三心通信 2022年7月

 

 

7月は例年のように暑い日が続いております。雨もあまり降らず、苔庭には、茶色い部分が目立ってきました。モグラの活動も活発で、今年もまたトンネルを掘っております。YMCAの近くにある貸し農園では、いろんな野菜などと一緒に、3メートルほどもある巨大なひまわりが辺りを睥睨するように咲き誇っております。いかにも夏の盛りという風景です。当地は緯度が高く、内陸ですので、この暑さはそれほど長くは続かず、8月の中旬には温度が下がり始めます。

 

4月4日から始まった3ヶ月の夏期安居は7月4日の在家得度式をもって円成いたしました。過去2年間、コロナ禍のために接心やリトリートを取り止めておりましたので、3年ぶりの安居で、始まる前は無事に円成できるかどうか心配しておりましたが、週5日の毎日朝夕の行持と、5月の眼蔵会、6月の坐禅だけに専注する接心、小山一山さんの首座法戦式、7月の禅戒会などを滞りなく終えることができました。私は、椅子坐禅も難しくなって、眼蔵会と禅戒会の講義、授戒の戒師だけを担当しました。その他のすべての行持は副住職の法光が、何人かの長く参禅している人たちと共に担当してくれました。なるべく、人々の修行の目障りにならないように心がけております。

私が戒師を勤める授戒会は今年が最後になりました。今回は8人の人たちが受戒して仏弟子になりました。私が初めて戒師を務めたのは、1995年のミネアポリスの禅センターでした。創立者の片桐大忍老師が1990年に遷化されてはじめての授戒でしたので、希望者が多く40名近くの人たちが同時に受戒しました。なるべく同じ法名を避けたいので、最初の時から、受戒した人の法名を記録しております。それによると、これまでに182人の人たちが私から受戒しました。

 

今回の禅戒会での「菩薩戒」についての講義は、「教授戒文」の前半、序分で説かれる「諸仏大戒」ということ、律蔵で説かれる具足戒などとは違って、仏仏祖祖が伝えてきた法の内容が戒なのだということ。それから、懺悔、三帰戒、そして三聚浄戒までの話をしました。これは、11月に予定されている北アメリカ開教100周年記念の授戒会で、私が話すように依頼されている部分でもあります。十重禁戒については今回は話す時間がありませんでした。5日間の禅戒会では最終日に受戒の式があり、4回しか講義がありませんので、これは毎年のように起こることです。それで、ある時期4、5年をかけて、第十不痴謗三宝戒から始めて、毎年、概説と十重禁戒の3つの戒に集中して話しました。その時の講義のトランスクリプションを使って、「菩薩戒の参究」と題した本を作りたいと願い、十重禁戒の部分の加筆訂正を行なっています。6月と7月で、第十不痴謗三宝戒と第九不瞋恚戒の部分ができました。

 

三帰依戒」について書き直しているときに、12巻品正法眼蔵の「帰依仏法僧宝」の巻を読んでいて、12巻品正法眼蔵の第11「一百八法明門」と第12巻「八大人覚」を除いて、最初の10巻は「出家受戒」についての説示なのだと思い当たりました。

 

第1「出家功徳」、第2「受戒」は文字通り「出家受戒」が眼目です。

第3「袈裟功徳」も出家者が着用すべき正伝のお袈裟についての説示であり、在家者もお袈裟をつけるように説かれています。

第4「発菩提心」は出家受戒の前提条件である菩提心についての説示で、「感応道交」、内からほとばしり出るものと外からそれに対応する仏の慈悲の重要性が説かれています。

第5「供養諸仏」は、「出家受戒」は到達点ではなくて諸仏を供養する修行の出発点なのだということです。

第6「帰依仏法僧宝」は、いうまでもなく十六条戒の最初の帰依三宝についてです。

第7「深信因果」、第8「三時業」は、菩薩の誓願に基づき、「菩薩戒」に従って修行を続ける上で必要な因果についての「信」を確定しなければならないことを説かれています。因果を撥無せず、しかし「悪しき業論」の落とし穴に落ち込まない「深信因果」についての説示です。

第9「四馬」は、再び菩提心について、発心の仕方には各人によって、遅い、早い、様々あるけれども、生死を明めることが基本だと説示されます。

第10「四禅比丘」は、仏法について間違った理解をしているときにはそのことに気づき、懺悔し、その都度新しく菩提心を起こすべきことが説かれています。

 

12巻本はこれから永平寺で出家受戒する次世代の人々に、出発点で理解しておくべき基本的に重要な点を確認するために書かれたのではないかと考えております。道元禅師自身や、そのもとに集まってきた人々はすでに仏教の基本を天台宗やその他のお寺で学び、それに疑問を持って新しいものを求めてこられたのだと思います。これから、永平寺仏道修行の第一歩を始める人たちに自分達が乗り越えなければならなかった困難を避けて、真っ直ぐに進めるようにと、入門書として書かれたのではないかと考え始めております。その正見、正信に基づいて、75巻本で説かれたような自由で創造的な思索、修行を展開しなければならないというのが、道元禅師が「正法眼蔵」全体で説き、後世に残しておきたかったことのような気がしております。

 

今からは、8月のGreat Tree Woman’s temple の4日間のリトリートで道元禅師の漢詩について話し、9月のChapel Hill ZCの眼蔵会の「見仏」の巻についての講義の準備を始めなければなりません。そのあと、11月の三心寺の眼蔵会、そしてロスアンゼルス禅宗寺での授戒会と続きますので、年末まで忙しくなります。

 

日本ではコロナ禍がまだ収束しないのに、火山の噴火などの自然災害、人間によって起こされている様々な社会不安が報じられています。アメリカでも様々な深刻な問題があり、多くの人々が将来への不安を抱えているようです。このような中で、仏法を学び、坐禅を行じていくことの意味を考えております。

 

先週の、金曜日、土曜日、日曜日の午前中と、2日半にわたって、年に一度の三心禅コミュニティのボード(理事会)のリトリートがありました。毎月の理事会のミーティングはZoomを使ってリモートで行なっていますので、顔を合わせての理事会は年に一度だけです。州外に居住しているボード・メンバーの人たちが2泊3日の朝9時から午後5時頃までのミーティングに参加するために来てくれました。来年、私が退任することによって、将来の、短期、中期、長期の展望を共有しなければなりませんので、なかなか大変でした。今回、私たち家族は、来年三心寺境内から離れて、近くに住みたいという希望を伝えました。今私たち家族が住んでいる建物全体をお寺として使ってもらうようにお願いしました。2003年から20年近く住んでいるこの建物や境内を離れるのにはそれなりの感慨がありますが、お寺の将来を考えると、その方がいいと思います。



 

 

6月24日

 

 

奥村正博 九拝