三心通信 2023年2月

 

 

今月9日に出発して14日まで、5日間南アメリカ、コロンビアのボゴタに滞在しました。帰りのフライトがインディアナポリスの空港に着いたのが15日の午前12時頃でしたので、空港の近くのホテルに一泊し、お昼前に三心寺に帰り着きました。気温はボゴタと同じくらいに暖かく、すでにクロッカスの花が咲き、水仙の芽が出ていました。例年だと、3月に入るまで新しい緑は見えないのですが、今年は春が半月ほども早いようです。もっとも。このまま順調に暖かくなるという保証はありません。

 

何年か前、3月後半、桜の花が咲き始めてから、最高気温が0℃に達しない日が数日続いて、勿論花も芽も凍りついてしまいました。それまで順調に育っていた桜の木が下の方の数本の枝を残して枯れてしまいました。前にも書きましたが、西のロッキー山脈と東のアパラチア山脈の間は、山らしい山はほとんどありませんので、中西部には北風も南風も遮るものが有りません。気圧の加減によって北極からの風もメキシコ湾からの風も吹き通しです。風が北から吹くか、南から吹くかで気温が大きく変わります。この2、3日、最高気温は15℃ほどになって、YMCAまで歩くのにも防寒のジャケットは要らないくらいです。何か良くないことが起こる予兆ではないかないかと、心配になるくらいです。

 

ボゴタは人口800万人ほどある、南米では3番目の大都市です。赤道に近く、亜熱帯にありますが、標高2500メートル以上の高地ですので、気候は年中穏やかで、気温も季節による変動はあまりないようです。雪が降ることも氷が張ることもないとのこと。最高気温も年間を通して20―25℃。極端に寒くなることもなく、熱帯夜もない。サンフランシスコのように住みやすい気候のようです。もっとも私は、きちんと四季があるところに住みたくて、サンフランシスコからブルーミントンに移りました。

 

9日の午前10時前に、アーカンソー州に行仏寺を創立した正龍さんと一緒に三心寺を出発しました。正龍さんは伝照さんとは、宗務庁の特別安居で一緒だった頃から親しい間柄です。インディアナポリス発のフライトでテキサス州のダラスについたのが午後2時ころ、午後6時過ぎ発のフライトが1時間ほど遅れて、ボゴタの空港についたのは10日の午前2時頃でした。ホテルにチェックインして、眠りについたのは午前3時頃になりました。ビジネスクラスの席を取ってくれていたので、エコノミーの座席よりは随分と楽でしたが、坐骨のあたりの痛みは避けようがありませんでした。

 

正午まではホテルの部屋で休んで、伝照さん、南アメリカの総監老師、国際布教師の方々と昼食を取りました。そのあと、大心寺に拝登して、伝照さんやサンガの人々に会いました。夕食は大きなレストランで南アメリカの国際布教師の方々と一緒でした。ずいぶんとにぎやかな音楽が演奏されていて、旅の疲れや睡眠不足もあったのでしょうが、人々と話をしたことも、どんなものを食べたかの記憶もさだかには残っていません。

 

11日午前中は、南アメリカの人々が総監部の会議をされている間、私と正龍さんは、ホテルの部屋で休みました。「佛性」の巻の準備も少しできました。ホテルのレストランで昼食の後、大心寺に行き、首座入寺式、本則行茶がありました。このような儀式には慣れていないので、なるべく目立たないように、人々の邪魔にならないようにしているしかありません。12日午前中には、晋山式、首座法戦式があり、そのあと、場所を移して日本でいう祝斎がありました。行持はすべて無事に円成しました。南アメリカの国際布教師さんたちがほとんど参加されていて、盛会だったと思います。私の著作を読んだり、講義の動画などを見ている人たちもいて、会ったことがないのに旧知の人のような感じがしました。

13日は、昼ころまでホテルの部屋で休息し、大心寺のサンガの20名ほどの人たちとレストランで昼食を取りました。その後、大心寺に戻り、伝照さんの通訳でサンガの人たちと話し合う機会がありました。まず、三心寺から持っていった沢木老師の揮毫の絵皿を見てもらいました。揮毫は道元禅師の和歌、「守るとも思わずながら、小山田の、いたずらならぬ、僧都(かかし)なりけり」とともに、田んぼの中に笠をかぶって立っている行脚中の僧のように見える案山子(かかし)の絵が書かれたものでした。

 

この絵皿は、小山一山さんが博多の明光寺を送行する時に、同寺で参禅されていた九州大学の西村重雄氏からいただいたものを、三心寺で保存するようにと持ってきてくれたものでした。もとは、1966年12月、沢木老師の1周忌の折に内山老師が参会者への記念品として作られたもので、西村先生が受け取られて50年以上手元に置かれていたものだとのことでした。この絵皿のことは全く知らなかったのですが、沢木老師の揮毫は、私が、「宿無し法句参」を英語訳して、1990年に京都曹洞禅センターから出した時に表紙に使ったのと同じものでした。「守るとも思はないカカシのような坐禅」が道元禅師から、沢木老師、内山老師を通じて伝えられてきたものだと考えたからでした。

 

ボゴタの大心寺の晋山式に出ると決まったとき、この絵皿が伝照及び大心寺サンガへの贈り物としてふさわしいと思って、一山さんにそうしてもいいかと訊ねて、了承をえました。そういう由来を話したあと、この絵皿と「守るとも思はないカカシのような坐禅」を末長く大心寺で守り続けてほしいとお願いしました。

 

そのあと、何人かの人々の質問に答えて、気がつくと、2時間ほどが過ぎていました。若い人々が多く、この人たちが将来の希望なのだと思いました。儀式の間は、いるというだけで大して役にも立てなかったのですが、こうして、サンガの人たちと話すことができて、ボゴタにきた甲斐があったと思いました。

 

ボゴタから帰ってすでに10日ほどが過ぎ、やっと旅行の疲れがとれて、また「佛性」の巻の参究に戻ることができそうです。

 

5月末に最後の眼蔵会が終わった後、また禅宗寺に行きます。瑩山禅師700回忌の予修法要と、禅宗寺創立と曹洞宗アメリカ開教100周年の記念、それに宗務庁宗典翻訳事業の「正法眼蔵」の英語訳の完成を記念した正法眼蔵シンポジウムがあるそうです。6月の退任の式まで、忙しくなりそうです。

 

 

2023年1月23日

 

 

奥村正博 九拝