三心通信 2021年5

 

 

2003年に三心寺の建築ができて、ブルーミングトンに移転して来た翌年、蝉の大群が発生して、あちこちの木の幹に、樹皮が見えなくなるほど張り付き、鳴き声も町中どこにいても聞けるほどで、驚きました。決まって17年ごとに大発生する、17年ゼミというのだと知りました。周期ゼミ、素数ゼミとも呼ばれていて、北アメリカ特有の蝉なのだそうです。「静けさや岩にしみ入る蝉の声」という芭蕉の俳句のワビ・サビの世界とは縁もゆかりもないただ圧倒的な騒音の世界でした。

 

あれから17年経った今年、5月の半ば頃から、庭のあちこちに、2、3センチの団子を半分に切ったのような土の盛り上がりができて、なんだろうかと不思議に思っていました。その半円球の土の塊をのけると、結構深そうな穴が空いていました。そして、4、5日前から、蝉の声が聞こえ始めました。木の幹だけではなく、草花の葉や茎にも取り付いて羽化した後が見えます。羽化するのは夜間ですので其の過程は見られませんが、朝見ると、まだ飛ぶ準備ができていないのか、抜け殻のそばに成虫がじっとしているのをみることができます。6月末まで、アメリカ東部、中部で数億匹の17年ゼミが発生するのだそうです。そのうち、掃いて捨てるほどのセミの死骸がそこら中に散乱するようになります。今朝、写真に取りましたので、添付いたします。

 

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17年間、地中に暮らし、地上に出て成虫になってからは、せいぜい2週間ほど、生殖活動をし、卵をうみつけるとすぐに死んでしまうのは、なぜなのか、17年ゼミの視点から見ると、地球環境や、生命のあり方がどのように見えているのか、興味があります。地中での生活がメインなので、陽の光もみず、地上の空気を吸わず、樹木の根から樹液を吸うだけで生きているのがどのような感じのものなのか、見当がつきません。それなりの喜びや、生き甲斐があるのでしょうか? 科学者の説のよると、天敵に遭いにくいように、13年とか、17年とか長い素数年の間隔をおいて、しかも一度に大量に発生すれば、いくら鳥やリスなどの動物に食べられても、何割かは生殖を完了することができるだろうという生き残り戦略なのだそうです。どの動物や植物にも害を及ぼすことのない昆虫としては、何か可哀想な戦略のように思います。

 

ともあれ、三心寺もあれから17年、無事に坐禅の道場として生息し続けることができました。20人ほどが得度を受け仏弟子になりました。10人以上の人が嗣法し、自分のサンガを持っている人たちもいます。三心禅コミュニティのネットワークもアメリカ、ヨーロッパに広がりました。日本人で出家得度を受ける人も出て来ました。それぞれは小さなグループにすぎませんが、大きな禅センターを作るよりも、小さなサンガの繋がりに重点を置いて来ました。何冊かの翻訳や著作も出版することができました。多数の人々のご支援のおかげでここまで、活動を続けられて来れたことに感謝せずにはおれません。しかし、次の17年後を考えると、おそらく私はもう生存していないでしょう。三心寺がどうなっているのかは、次の世代の人々におまかせするよりありません。

 

先月の三心通信で、昨年の臘八接心以来坐禅を休ませていただいていることを書いた部分に、「これほど長く坐禅を休むのは、バレー禅堂から日本に帰って清泰庵に入らせていただくまでの半年ほど、体が痛み、また坐禅をする場所もなかった時以来です。1981年でしたから40年ほども前のことです。」と書きましたが、間違いであることに気がつきました。1992年の7月に園部のお寺を出て、翌年の7月にミネアポリスに移転するまで、京都の修道院附属のお家におらせていただきましたが、その1年間は、小さなお家に家族4人でおりましたので、毎日坐禅をする場所はありませんでした。大津の山水庵で月に一度、日曜日に坐禅会をさせていただいたのが、唯一の坐る機会でした。謹んで訂正いたします。といっても、それも30年ほども前のことですが。

 

4月の末まで、私が通っているYMCAでは、入場者全員の体温を測り、コロナの症状がないかどうか確認していましたが、5月になってそれをしなくなりました。また、館内では運動中も必ずマスクを着用するようにとの張り紙がそこらじゅうに張り出してありましたが、先週からそれらも撤去され、マスクの着用をしなくても良くなりました。ビジターの数は、パンデミックが始まる前に比べるとまだ少数で、密になる危険は感じません。グループで毎日のようにバスケットボールの練習をしている人たちが戻って来ました。活気はありますが、歩行禅をしようとするには、騒々しくなったと感じてしまいます。私も、4月に2回、コロナのワクチンの摂種を受けました。ワクチンの接種がかなり進んで、この辺りでは、パンデミックの出口が見えて来たようにも思えます。しかし、規制が緩むと、揺り戻しがあるのでは無いかと心配にもなります。

 

5月13日から17日まで、5日間の眼蔵会がありました。講本は「正法眼蔵法性」と「十方」の両巻でした。今回は、私の講義を録画録音するためにアイオワ・シティから来てくれた人と、家内との2人だけが、禅堂にいました。Zoomによる配信もありませんでした。これから、録画したものをどのように人々に見てもらえるようにするかを決めます。

 

正法眼蔵法性」と「十方」の両巻は、1243年に道元禅師が越前に移転されて、吉峯寺滞在中に書かれた多くの巻の中で、「諸法実相」「無情説法」「仏経」などと同じ主題のもので、比較的短く、論点もはっきりしていますので、眼蔵の中では分かりやすいものだと思います。9回の講義で、2巻とも購読することができました。

 

宗務庁の宗典翻訳事業の「正法眼蔵」の英語訳が完成に近づいたので、原文の校正をするように依頼されました。原文と英語訳を対照し、詳しい注釈をつけた大部なものになるようです。春秋社版の「道元禅師全集」第1巻、第2巻(1991年、1993年刊行)と、英語原稿に打ち込んである原文とを比較する作業を始めています。1995年に始まった翻訳事業ですので、四半世紀をかけた大きな事業です。私もいささか関わったことのある事業ですので、早く完成するように願っておりました。これで、日本国外における「正法眼蔵」の研究は、格段に違ったレベルに達することになると思います。出版されるのはまだ2年ほど先だとのことです。

 

私の、長円寺本「随聞記」の英訳と「道元禅師和歌集」の英訳並びに解説とを一冊の本にする作業、Dogen Instituteから発行予定の、良寛詩についての本、などのブックプロジェクトも進んでおります。京都の安泰寺の頃からの友人のハワード・ラザリーニさんが英語訳に取り組んでいる内山老師の「観音経を味わう」も、翻訳第1稿ができて、訳文の見直しをされている所です。

 

面白くもおかしくもない日常の毎日の精進が歴史を作っているのだと感じています。

 

5月25日

 

奥村正博 九拝

 

 

 

三心通信 2021年4月

四月は、三心寺の庭にも町の中にも様々な花が次から次へと交代で咲いては散り、咲いては散りして、Bloomington(花咲く町)という名前がふさわしくなる時季です。日本では桜が咲く時期に寒の戻りがあるのを「花冷え」と呼ぶそうですが、今年はこちらでもありました。およそ1週間ほど急に寒さが戻ってきて、再び暖房を入れることもありました。その寒さも肌寒い程度ではなく、夕方から雪が降り始め、翌朝には、地面や家の屋根、花の上にも雪が積もっていました。その日の午後には溶けてしまいましたけれども。三心寺ではありませんが、近くの街に住む知人が庭の写真を送ってくれましたので、添付いたします。花冷えが過ぎると本格的な春になり、今は白やピンクのドッグウッド(ハナミズキ)が満開です。木々に新しい葉も出そろい、すっかり新緑の候となりました。

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                                                                    ©Jakushin Russell Flynn

 

昨年の臘八接心が終わってからですから、すでに5ヶ月近く坐禅を休ませてもらっています。前にも書きましたように、デスクトップのコンピューターの前で一時間も動かずに仕事をしていると、椅子に当たる尻の骨の部分が痛くなり、動かずにはいられなくなります。そうなると、仕事机の上に小さなテーブルを置いて、その上にセットしてあるラップトップで立って仕事をします。立ち仕事もそれほど楽ではなく、しばらくして歩こうとすると膝に痛みを感じます。そうなると、そばに敷いてあるヨガマットのうえに横になって、ストッレッチをしたり、本を読んだりです。それからまたデスクトップに戻ります。そんなことをしていると、2、3時間が経ち、昼食の時間になります。なにしろ、身体をだましだまし使わなければならず、仕事をしようとするとまず休まなければならないという体たらくです。63歳で椅子座禅を始めてからほぼ10年、週日は毎日朝2時間の坐禅、仕事もほぼ椅子に座ったままでした。摂心中は1日に約12時間、経行の時外は椅子の上にじっとしていました。ほぼ毎日、YMCAにいって1時間以上歩き、ストレッチをするようにしてきましたが、70歳を過ぎてからは、椅子に長く座っているだけで痛みを感じ始めました。

パンデミックでお寺が閉鎖されている間は坐禅を休ませてもらって、再開されたら、75歳で住職から退任するまでは、たとえ摂心は無理でも、毎朝の坐禅、日曜日の参禅会だけは坐りたいと願っております。これほど長く坐禅を休むのは、バレー禅堂から日本に帰って清泰庵に入らせていただくまでの半年ほど、体が痛み、また坐禅をする場所もなかった時以来です。1981年でしたから40年ほども前のことです

私は、内山老師のように坐禅ができない時には、「南無観世音菩薩」の称名でいくと言うことができませんので、ほぼ毎日、YMCAに行って歩くことが坐禅の代わりだと思っています。坐禅を始める前の子供の頃から、歩くことが好きでした。高校生のころ、休日にはよく、北摂や京都の山の中を一日中歩いていました。ブルーミントンに移ってから10年ほど、膝が痛くなるまでは、毎年秋の紅葉の頃にノースカロライナ州の山の中、アパラチアン・トレイルでウォーキング・メディテーション(歩行禅)のリトリートをしていたこともあります。アパラチアン・トレイルというのは、ニューイングランドメイン州から南部のジョージア州まで14州にまたがるおよそ3,500㎞の自然歩道です。リトリートの時に泊めてもらったのはトレイルを歩くハイカーたちの宿泊所でしたので、全行程を歩いた人たちに何人か会いました。踏破するのには少なくとも3ヶ月はかかるとのことでした。

YMCAのジムの中は、普通の時は毎日のように何組もの人々がバスケットボールの練習をしていて、目まぐるしく喧しいのですが、パンデミックになってから、YMCAにはあまり人が来なくて、いつも空いています。それほど気を散らさないで、速度は普通の歩行ですが、坐禅堂の中で経行をするようなつもりで歩いています。

三月の後半以降は、五月の眼蔵会の準備に集中してきました。昨年の3回の眼蔵会はZoomを通じて聴講のひとたちに同時に聞いてもらっていましたが、今回は、それを可能にするための様々な役割のひとたちの全体の動きをコーディネイトする人が都合でできなくなりました。中止になる可能性もあったのですが、なんとか、録画だけでもして、後から何らかの方法で人々に聞いてもらえるようにしたいとの私の願いを聞いてもらって、5月13日から17日まで、一人だけ三心寺の禅堂にきてもらって、私の講義を録画してもらうことになりました。講本は「正法眼蔵法性」と「十方」の両巻です。両方とも比較的短く、主題も近いものですので、5日間で話終えることができるであろうと楽観しております。両巻とも「現成公按」、「諸法実相」についてと同じことを法(現成、諸法、這裏)と法性(公按、実相、十方)の、修行・実践を通して表現される不一不二の関係を論じられているのだと理解しています。

長円寺本「随聞記」の英訳と「道元禅師和歌集」の英訳並びに解説とを一冊の本にするプロジェクトは現在、私の弟子でエディティングを担当してくれているDoju Layton(随聞記)とShoryu Bradley(和歌集)がWisdom社の編集者と最後の編集作業をしてくれています。今年中には出版できるように願っています。

Dogen Instituteから発行予定の、私の良寛詩についての講義と洞燃O’Connor師の良寛が住んだ越後を訪問した感想を綴った随筆、およびその時の写真、またO’Connor師のお弟子さんの絵画作品を一緒にしたRyokan Interpretedは現在、副住職の法光がブックデザインをしているところです。もうすぐ出来上がるはずです。

宮川敬之さんが日本語に訳してくださっているRealizing Genjokoanももう直ぐ出版社に提出する最終稿ができるとのことです。また、これは数年前に書いた物ですが、When Thinking Is Problemと題した論文集に寄稿したものも編集作業中ということです。

するべきこと、しておきたいことは沢山ありますが、薬山禅師が言われたように、「蔭蔭拳拳、羸羸垂垂、百醜千拙、(よぼよぼ、へなへな、へまばかり)」の方向に一方通行、とりあえず今日できることをしておくことしかないようです。


4月28日

奥村正博 九拝

 

 

三心通信 2021年3月

YMCAに行く道から見えるあちらこちらの家や保育園の庭に水仙の花が今を盛りと咲いています。外を歩くのにもジャッケットは必要なく、天気の良い日には薄着でも汗をかくようになりました。木々に新芽がでて、点々と緑が見えてきました。三心寺の庭の桜の花も咲き出し、苔庭にも小さな雑草がそこら中に芽を出し始めました。毎年と同じように草取りを始めなければ、苔庭とは思えなくなってしまいます。お彼岸も過ぎましたので当たり前のことなのですが、近年は「異常なのが当たり前」のような感じがしていますので、普通のことが普通に起こるだけで、ホッとするようになりました。

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苔庭の草取りは、以前なら何時間かかっても1日で終わっていた仕事ですが、膝や腰をかがめてする仕事は15分程度が限界になり、草取り作務でさえ億劫になりました。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」いう漢詩の言葉を思い出しております。外でする作務だけではなく、椅子に坐ってコンピュータに向かって仕事をするのでさえ、一時間以上同じ姿勢でいることが難しくなりました。立ったり、座ったり、横になったりをくりかえしております。「応に憐むべし、半死の白頭翁」。まだ「半死」と言うには修行がたりませんが、この言葉が実感になりつつあります。

昨年、3月16日にヨーロッパから帰ったその日から、三心寺は閉鎖になりました。すでに1年以上が経ちました。最初の3ヶ月は、オンラインで副住職の法光と何人かの人々が中心になって行っている朝の坐禅と朝課、毎週の坐禅会や勉強会の活動とは別に、一人で坐禅堂で坐り、朝課も一人でしました。その後は、坐禅堂もZOOMでつながって、自宅で坐る他の人たちとも一緒に坐り、朝課をしました。昨年の臘八接心までは、そのように坐禅を続けていました。そのあと、椅子に坐るときに、椅子の表面に当たる部分と足の付け根の部分が痛くなり、坐禅は休んでおります。椅子に坐るのを始めたのは、63歳になった時ですので、すでに10年近く椅子坐禅を続けております。毎日の坐禅や摂心で坐るだけでなく、毎日数時間机の前で仕事をする時も同じ姿勢でじっとしておりますので、尻から腰、足の付け根辺りに負担がかかっているのでしょう。

宮川敬之さんが日本語訳を作っておられる拙著Realizing Genjokoan (「『現成公按』を現成する」)の日本語版前書きに、「生命の実物」という言葉について書く準備として、内山老師の著作、1965年発行の「自己」から1972年発行の「生命の働き」までの9冊の本と1975年の「現成公按意解」、1987年の「現成公按を味わう」を、「生命の実物」という表現に絞って読み直してみました。英語の拙著にReality, あるいはrealityという言葉を300回以上使っていて、それらの多くを「生命実物」と訳していただいているからです。老師の「生命実物」と云う表現は、もともとは、「随聞記」の「坐禅は自己の正体なり」を説明するために長年にわたって、考察された結果だったのだと思います。1965年の「自己」はそれ以前に書かれた文章を集めたものですが、「生命の実物」という表現はまだ使われていません。むしろ、「随聞記」の「坐禅は自己の正体なり」の「自己の正体」を現代語でいかに表現するか苦労されています。「思い以上の私」という表現が使われています。

1965年12月に沢木老師が遷化されて、安泰寺の堂頭になられてすぐに、安泰寺で修行する坐禅を示すために書れた「正しい坐禅のすすめ:ほんとうのホトケさまをする仕方」という小冊子にはじめて、「自己の正体」の現代的表現として「自己の実物」、「現在実物」、「実物としての自己」、「完結した自己」、「生命の自己」、「自己ぎりの自己」、「自己の生命の実物」などの表現の一つとして初めて使われています。

その後も思索を続けられ、1971年の「生命の実物」で「生命の実物」の定義をされました。「生命の実物」という表現が老師の基本的用語となり、縦横無尽に使われるようになるのはこの「生命の実物」執筆以降です。1987年の「現成公按を味わう」では、「生命の実物」ではなく、「生命実物」と四字熟語としておよそ150回以上使われます。

老師は、宗門の人たちが「仏法」という言葉に慣れすぎてしまって、すでにわかっているように思い、意味を吟味しないで、符牒のように使うようになったと批判されています。それと同じように、老師の学人としては、正確な意味を考えないで、不用意に「生命実物」という表現を使うようになる危険性が出てきたと思います。私のRealityの使用法はその弊害を示しているのではないかと愕然としました。老師が伝統的仏教用語で、「生命実物」と同じとされている真如、法性、法身、等の用語の表現や説明が英語では、確立していないのと、私の英語の語彙力の貧弱さによって、Reality、reality をやたらに使いすぎているように思います。老師が、長年かかって、厳密な考察によって確立された「生命の実物」、「生命実物」という表現の意味が水増しされて、意味が広くなりすぎ、結局何の意味もない言葉として使っているのではないかと心配になりました。

Dogen Instituteのウェブサイトに「句中玄」の順番で道元禅師の漢詩の解説というか感想を毎月連載しています。「永平広録」第10巻、偈頌の部分の最初の50頌は1226年から1227年に日本に帰られるまで、天童山で修行されている頃の漢詩です。今月まで「句中玄」でいうと35番目から39番目の5つの漢詩について書きました。35、36番は、観音の霊場である補陀洛迦山に参詣された時のもの、37番から39番は、中国人の在家参禅者であろう役人と詩の交換をされたものです。

これらの漢詩の意味を考えていて、気がついたのは、道元禅師のこれら50の漢詩は、道元禅師の伝記にも、道元禅師の著作や思想についての研究にもほとんど注目されていなかったのではないかということでした。私自身もこれらの漢詩について勉強しようなどとはこれまで思ったこともありませんでした。著作や思想としては「普勧坐禅儀」が最初のものとされてきたと思います。面山師によって「句中玄」に選ばれた3種の漢詩はどれも三教一致の思想を積極的に主張しているとは云えないまでも、少なくとも否定はしていないように見えます。また天童山に出入りしていたであろう、士大夫たちとも詩の交換などの交流をされています。三教一致を否定して基本的に儒者である士大夫の人たちと親しむことは不可能だったでしょう。1225年に明全和尚が亡くなって以後、「随聞記」にも語られているような道心を持った同参の修行僧たちとともに厳しい坐禅修行に専念し、如浄禅師との仏法や修行について個人的な参学を許されて、1226年はおそらく道元禅師にとっては非常に充実した時期であったでしょう。

「辧道話」には「大宋国には、いまのよの国王大臣・士俗男女、ともに心を祖道にとどめずといふことなし。武門・文家、いづれも参禅学道をこころざせり。こころざすもの、かならず心地を開明することおほし。これ世務の、仏法をさまたげざる、おのづからしられたり」と書かれています。また「永平広録」巻8、法語1、には「予は亦た山林を希わず、人里を辞すること無し。、、、如かず、鄽市街頭に游んで、以て名相の閫域を超えんには」とあります。興聖寺を開かれる頃には、如浄禅師会下の天童山のような道場を創ることを理想とされていたのではないでしょうか。深草から越前に移転される頃には、在家人の得道や三教一致思想も厳しく批判されるようになりますけれども。


3月28日

奥村正博 九拝

 

 

三心通信 2021年1月

 

 

一昨日まで10日ほど、寒波が続き、ブルーミントンでも最高気温が0℃に達しない真冬日が続きました。一番寒い日は最低気温マイナス17℃、最高気温がマイナス5℃でした。毎年のように大雪が降る北東部だけではなく、今回は雪が滅多に降らないテキサスのような南部でも雪や氷嵐(ice storm:すべてのものに氷を付着させる冷たい雨を伴った嵐)の被害があって、驚きのニュースでした。広範囲で停電し、水道も何日間か止まったとのことです。夏の暑さや風水害だけでなく、冬の天気も変化しつつあるようです。昨日午後には久しぶりに氷点を越える暖かい日になり、雪もかなり溶けました。

 

寒波のせいで、1週間ほどYMCAにも行かず、お寺に閉じこもっていました。曹洞宗のお坊さん四人が2018年、2019年と2年続けて日本から、三心寺の眼蔵会に参加されました。二度とも眼蔵会の始まる前の日に日本から到着して、終わるととんぼ返りという強行日程で驚きました。その中の一人の宮川敬之さんが、拙著Realizing Genjokoanを日本語に訳しておられます。この度、その第1稿ができて、送っていただきました。全部を読み、できるだけ手直しをさせていただきました。その過程で、自分の不注意の間違いや、あやふやな表現がいくつも見つかりがっかりしました。しかし、日本語訳が出版されてから、読者から指摘されるよりも、その前に自分で見つけられたことが救いです。

 

その一つは、内山老師が「自己」(1965)、「現代文明と坐禅」(1967)「生命の実物」(1971)などで引用されているダンマパダの第160偈、「自己の依りどころは自己のみなり」、という仏教全体としても最もよく知られている言葉です。高校生の時に「自己」を読み、ダンマパダのこの言葉はこうなのだと頭に刷り込まれていました。仏教の勉強を始めてから、パーリ語からの日本語訳も英語訳もほとんど、「依りどころ」ではなく、「主、master」だということは知っていましたが、頭の中では、内山老師の「依りどころ」で一貫していました。Realizing Genjokoanを執筆した時にも、当然のようにこの言葉を引用する時には、「自己の依りどころは自己のみなり」を英語に訳して、Self is the only foundation of the Self.と訳しました。その上で、これは日本語訳や英語訳とは違うので、内山老師は漢訳を使われたのだろうと想定し、註にそのように書きました。

 

今回、宮川師から、漢訳の典拠が確定できないといわれて、老師は典拠としてどの訳を使われたのだろうということが初めて疑問になりました。「法句経」の漢訳など自分でも読んだこともないことにも気が付きました。一度頭に刷り込まれてしまったことには、疑問を持つことさえ難しい事を思い知らされました。こちらでは調べようがないので困惑しましたが、宮川師の調べで、「南伝大蔵経」にその訳があると判明しました。また、内山老師が「大正新脩大蔵経」を見られていたこともわかりました。そう言えば、安泰寺の図書室のガラス戸のついた本棚に沢木老師が施本として作られた正法眼蔵のいくつかの巻の冊子などと共に「南伝大蔵経」も「大正新脩大蔵経」もあったことを思い出しました。他の場所には「国訳一切経」もありました。安泰寺に入ってからは、なるべく本は読まないと決めて、自分の本も東京から送った段ボールのまま押し入れに突っ込んだままにしていた私は、全く興味がなく、それらを読もうとしたことも、手にとってみたことも一度もありませんでした。ほかの人たちが読んでいるのを見た記憶もありません。紫竹林学堂の頃からの備品だったのかなと思った程度でした。内山老師がそれらを読まれていたことに思いが至りませんでした。著書や提唱の中ではおくびにも出されませんでしたが、老師が綿密な研究をされていたことと、自分の杜撰さに初めて気が付きました。

 

この寒波で閉じこもっていたおかげで、翻訳の第一稿をなんとか最初から最後まで読ませていただくことができました。完成原稿までまだいくらか時間がかかると思います。日本で出版ができるように願っております。宮川師がお忙しいなかで、時間をかけて訳していただいたことに感謝しております。

 

長円寺本「正法眼蔵随聞記」の英語訳と「道元禅師和歌集」の翻訳と解説とを一つの本にするというプロジェクトは既にWisdom社との契約が終わっていましたが、ようやく編集作業が動きはじめました。同社の編集者との実際のやりとりは「随聞記」は道樹・レイトンが、「和歌集」は正龍・ブラッドレイがしてくれるのですが、何か問題があれば私が決めなければならないことも出てくると思います。そのために、帰ってきた原稿を一度読み返さなければなりません。2冊分の原稿を続けて読むということも、パンデミックの閑居中だからこそできるのかもしれません。

 

30年以上前に面山本「随聞記」の英語訳を刊行した時、奈良康明先生から長円寺本の訳でないのが残念だと言われて以来、長円寺本の英訳をやってみたいと思っていました。当時は、面山本と長円寺本と、巻目の順序が違っていること、古い文字づかいが保存されているくらいは知っていましたが、両本の意味の違いを英語で表現出来る自信がなかったもので、それまで読み慣れていた、また意味も理解しやすい岩波文庫本を底本にしました。今回の長円寺本の翻訳は、前の訳をなるべく見ないで、少しずつ三心寺の週一回の勉強会のテキストとして初稿を作り、私が意味を説明した後、勉強会の出席者から、理解できる英語にするようにアドヴァイスしてもらったものをまとめたものです。3年間ほどかかったと思います。今回は、日本語長円寺本との対訳になります。

 

道元禅師和歌集」は、「長月の紅葉の上に雪ふりぬ、見ん人誰か、歌をよまざらん」から、タイトルを、White Snow on Bright Leavesとしました。これは、三心禅コミュニティのニュースレターに短い解説をつけて連載したものです。これまで、全和歌の英語訳は、私の知る限りでは、2つありましたが、翻訳だけで解説はありませんでしたので、ユニークな本になると思います。連載が終わってからも、ピッツバーグのスティル・ポイント・サンガのリトリートの際、何年間か、和歌をテキストにして講義をしました。「正法眼蔵」のように難しい文ではなく、短いので、道元禅師の教えを味わう教材としてはいいものだと思います。

 

三月の声を聞くと、水仙やクロッカスの花が咲き始めます。

何人かの知人から、コロナのワクチンを接種したとの連絡がありました。ワクチンが効力を発揮して、人々が早く普通の生活ができるように願っております。

 

2月22日

 

奥村正博 九拝

 

三心通信 2021年1月

 

昨年の冬もそうだったと思いますが、比較的暖かで、穏やかな日が続いています。最高気温が0℃に届かないような厳しい寒さはまだありません。雪が降っても地面をうっすらと白くする程度で、午後になれば陽が当たる部分は消えてしまいます。冬になっても、地中のモグラの活動は活発で、苔庭はそこら中がデコボコになっています。

 

11月3日の大統領選挙の日から1月20日の新大統領の就任式の日まで、アメリカのメディアは前大統領に振り回されていました。特に1月6日のトランプ支持者による議事堂占拠のあとは、無事に就任式が挙行できるかどうか大騒ぎでした。首都は厳戒体制で一般の人々は新しい大統領の就任を祝いたくても会場には近づけない状態でした。ともあれ、就任式が無事におこなわれて、ようやくパンデミックや経済の立て直しの方に人々の目が移ったようです。

 

先日、西海岸に住む知人から、コロナのワクチンの第1回の接種を受けたと知らせてきました。ワクチンが効力を発揮して、コロナ禍が収束し、普通の生活が早く戻ってくるように願わざるを得ません。三心寺も、昨年3月から閉鎖になり、少なくとも今年の6月まではこの状態が続きます。それ以降、平常のお寺の活動に戻れるのかどうかは、現時点では不透明です。副住職の法光と数名の人々が中心になってオンラインでの坐禅法話、勉強会、接心などを行っています。オンラインだと、普段の坐禅などの活動にも遠隔地の人々も参加が可能になりました。これは、おそらくパンデミックが収束してからも続くことになりそうです。

 

昨年の3月以来の私の活動は5月、8月、11月の眼蔵会のみでした。三心寺で行う眼蔵会では、施設の限界があって22人しか受け入れられません。それで何回かブルーミントン市内にあるTMBCC(Tibetan Mongolian Buddhist Culture Center)の施設をお借りして眼蔵会を行いましたが、約50名が限界でした。オンラインの場合、講義を聞いてくれる人たちとの直接の触れ合いがなく、話していても人々の反応が見えませんので、物足りない点はありますが、より多くの人々に話を聞いてもらうことができることは確かです。5月の眼蔵会は約90名、8月は約130名、11月は80名ほどの参加者がありました。アメリカ国内だけでなく、ヨーロッパ、南アメリカ、日本から参加していただいた人々もありました。

 

ともあれ、眼蔵会は2023年に三心寺住職を辞任する時点で終わりにするつもりです。「正法眼蔵」について英語で、5日間、1日に90分の講義を2回するのは体力的、脳力的に限界に近づいています。それ以降は、もし余力があれば、もうすこし緩やかな日程で、「正法眼蔵」だけではなく、他のテキストについても一緒に参究できるような会を続けたいと願っております。

 

昨年末に内山老師が1975年の2月、安泰寺から引退される際にされた提唱の日本語原文「求道者」(柏樹社刊「求道」、大法輪閣刊「禅からのアドバイス」に収録)と Opening the Hand of Thought の最後に収録されている英語訳を対照して、写経のつもりでコンピューターに入力しました。先月の三心通信に書きましたように、2006年からこの本をテキストにして日曜日の法話に毎回ほぼ一段落ずつ話してきました。14年経って230回以上話し、全8章のうちの第7章がほぼ終わるところまでたどり着きました。最後の第8章が「求道者Wayseeker」です。わたしが住職を辞めるまで、あと2年半ほどありますが、この第8章をその間に完了したいと願っております。

 

この本は老師の「生命の実物」と「現代文明と坐禅」を中心とし、「求道者」と老師が主に外国人を対象として話をされ、トム・ライトさんが通訳されたものを成文化したものを付け加えて一冊の本としたものです。「求道者Wayseeker」は私がバレー禅堂にいた頃に訳したものが初稿になりました。老師が話された7項目が英語に訳され、バレー禅堂の入り口のドアのそばの壁に額に入れてかけてありました。坐禅に来る人たちが項目だけではなく、実際に老師がそれらの項目についてどのようなことを話されたのか知りたいという要望にこたえて訳したものです。その訳の中で、老師の「オモイの手放し」という言葉をわたしは直訳してOpening the Hand of Thoughtとしました。しかし、一緒にこの本の翻訳の仕事をしたトムさんも、これは英語ではないと反対でした。それは本当ですが、私は、これまでの英語にはない思想を表現するのには、今までになかった英語表現にするのも仕方がないのではないかと思っていました。また日本語の味わいのようなものも残したいと思っていました。内山老師が、何年も坐禅した挙句に作り出された表現をletting go of thoughtという当たり前の英語に訳すると、内山老師が苦労して既成の仏教語では伝わらないことを表現しようとされた意図と努力、日本語での「アタマの手放し」という表現のユニークさが伝わらないと思いました。それで、トムさんにお願いして、The Wayseekerにだけは“Opening the Hand of Thought”を使わせてもらいました。それがどういうわけか本のタイトルになったのでした。私にとってはそういう思い出のある翻訳です。

 

その最後の提唱をされてすぐに老師は安泰寺を去られ岐阜県大垣市に移転されました。私も安泰寺を出て瑞応寺僧堂に半年間安居し、その年の12月に渡米しました。数週間カリフォルニアに滞在した後、数人でアメリカ大陸を自動車で横断して次の年の1月にバレー禅堂にたどり着いたのでした。それ以降、現在まで、この7項目を老師の遺言として心に刻んでまいりました。ですので、私の三心寺での法話をこの老師の最後の提唱で締めくくるのはふさわしいのでないかと思います。

 

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今日は1日雪が降りました。積雪は2、3センチですが、今年初めて白銀の世界になりました。午後には、雪の中YMCAまで歩いて行きました。

 1月27日

 

奥村正博 九拝

 追伸:今朝はマイナス六℃まで温度が下がり、最高気温もマイナス一℃とのことです。はじめての真冬日です。 1/28

三心通信 202012

 

今年もアメリカで言うホリディ・シーズンが来ました。例年ですと、月曜日から金曜日まで週5回の早朝の坐禅と朝課、毎週の参禅会や勉強会、定期的な眼蔵会、接心など、波状的に様々なお寺の行事があり、忙しくなったり、緊張したり、反対に息抜きをしたりとメリハリがあります。臘八接心が終わり、クリスマスの頃になると、また一年が終わったとホッとするのが普通でした。しかし、今年は3月中旬から、コロナ禍のためにお寺が閉鎖になり、全てのお寺の行持をオンラインで行うようにになりました。この建物に住むのは私と家族だけで、来客もほとんどありません。サラリーマンの定年後の生活についてだったと思いますが昔、「毎日が日曜日」という表現がありました。今年の生活はまさに毎日が休日のようなものです。私にとっては、引退後の生活のリハーサルのようなものでした。周りに人がいなかったら生きている気がしないと言う人間ではなく、一人でいても全く退屈だとは思わないので、この長い閑居を結構楽しんでおります。

 

このような毎日の予定に縛られない生活は、1981年にバレー禅堂から京都に帰り、清泰庵で3年間留守番としてお世話になった時以来でした。清泰庵を出て、京都曹洞禅センターを始めてからこれまでは、家族ができ、何回かの引越しをして、30年以上ずっと走り続けてきたように感じていました。もっとも、坐禅をするのに忙しかったのですから、本当に暇なしだったのかどうか分かりかねるところもあります。ともあれ今回は、かなり長い休暇が取れたという感じです。しかし、この状態があまりに長く続くと三心寺の存続に関わりますので、早く収束するようにと願っております。

 

世界中で8000万人近くが感染し、170万人以上の人がコロナで亡くなられたとのこと。大都市一つが無人になってしまったほどの惨状です。加えて人類の自然破壊に対する報復のような異常気象、風水害、地震、その他の自然災害、また国の中での人々の分断、国家間での紛争、競争、多くの国の政治的、経済的な指導層に見られる倫理、道徳的な退廃、など、アメリカ中西部の田舎町に住む私の周りの静けさからは考えられないような出来事がニュースとして伝えられています。この落差に戸惑っています。このような時期だからこそ、菩薩戒、誓願と懺悔に基づいた菩薩行が必要だと思います。内山老師は、世間の人々がどうしていいか分からないで右往左往している時には、静かに坐っているのが、一番の貢献だという意味のことを言っておられました。それを信じて坐り続け、道元禅師の仏法を伝えるように働いてきました。これからもそれを続けていくほかに私にできることはないと存じます。

 

3月半ばにヨーロッパ訪問を中断してアメリカに帰ってから、2週間ほどは自己隔離のつもりでおとなしくしておりました。4月から5月の眼蔵会の準備が始まるまでは、副住職の法光たちがしているオンラインの行持とは別に、毎週月曜日から金曜日までの5日間私一人で坐り、朝課をしました。眼蔵会が終わった後は、三心寺の坐禅堂もZOOMを通じて人々と一緒に坐り、朝課をすることができました。

 

5月、8月、11月の眼蔵会が担当した行事でした。他に何もなかったので例年になく、十分な準備時間を取ることができました。これまで気にかかっていたけれども調べる時間がなかったことを調べたり、読む時間がなかった本を読んだり、原稿の執筆や翻訳に時間を取ることもできました。

 

今年の臘八接心は例年よりも3日短く、12月3日の夕方から7日の深夜まででした。法光さんともう一人発心さんがお寺の坐禅堂で坐り、他の人たちはZOOMを通じて自宅で坐りました。12人ほどの参加者がありました。私は、毎日、昼まで半日だけ二人と一緒に坐りました。接心の最後の日12月8日は私が安泰寺で得度を受けて50年目でした。接心全部を坐ることはできませんでしたが、毎日昼まで、半分だけ坐ることができました。50年間内山老師から受け継いだ坐禅だけの接心を続けてこられたこと、いまでも坐禅の現場にいられることに感謝しております。しかし、過ぎてしまうと拍子抜けで、単なる通過点です。どうということもありません。というよりも、沢木老師の「坐禅しても何にもならない」というお言葉の正しさを証明しただけのことだと思います。可もなく不可もない大学生が、可もなく不可もない72歳の老人になっただけのことです。

 

膝の関節痛のために椅子に坐っての坐禅をはじめてすでに10年近くになります。書斎で仕事をする時にも当然、椅子に坐ります。この1、2年、坐る時に椅子に当たる部分が痛み出して、長時間坐ることができなくなりました。「床ずれ」とか「すわりだこ」という言葉は聞いたことがありますが、椅子に長時間坐りすぎて、その擦れる部分が痛み出したということはあまり聞きません。その症状をどういう言葉で呼べばいいのかもわかりません。最近はなるべく1時間以上は椅子に坐らないようにしています。普通に仕事をするのはコンピューター・デスクの上に置いてあるデスクトップに向かってですが、小さい、低いテーブルを作って仕事用の机の上に置き、ラップトップをその上に置いて、立って仕事ができるようにしています。最近アメリカでは、高さが調節できて、椅子に坐っても、立っても仕事ができるようスタンディング・デスクというのが売られているようです。また昼食後はほとんど毎日昼寝を兼ねて横になり、眠たくなくてもベッドで本を読むようにしています。それと、台所の食器洗いを担当しています。日本の流し台は私には低すぎて腰を曲げないと皿洗いができませんが、アメリカの流しは私の身長に丁度よく、直立したままで仕事ができます。それと、YMCAにいって1時間ほど歩き、すこしストレッチをするようにしています。

 

本作りのプロジェクトはだいぶ進みました。内山老師が「生命の実物」の中で紹介されたカボチャの喧嘩のお話をもとにした絵本が来年6月にWisdom社から出版されます。すでにアマゾンに予告が出ていますので、表紙の写真をコピーしてもいいと思います。この通信に添付いたします。長円寺本「正法眼蔵随聞記」英訳と「道元禅師和歌集」の英訳並びに解説も、Wisdom社から来年秋ごろに刊行される予定です。

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Dogen Instituteからの出版はこれまで三心寺創立15周年記念として刊行した内山老師の「生死法句詩抄」の日本語と英語を対照して、高橋慈正さんの写真を加えたLIFE-AND-DEATHと、同じく記念文集として作成したBoundless Vows, Endless Practice: Bodhisattva Vows in the 21st Centuryの英語版とドイツ語版が刊行されアマゾンから入手可能でしたが、スペイン語訳も完了しました。もう直ぐ刊行されます。現在、私の良寛詩についての講義と、Tonen O’Connor師のエッセイ、そのお弟子のTomonさんのイラストレーション、法光さんが撮影した良寛関係地の写真などをまとめてRyokan Interpretedという一冊の本にするプロジェクトの、最終稿がほぼ出来上がりました。これまで良寛さんの詩の英語訳は、わたしの知る範囲では10冊ほどありますが、ほとんどが翻訳だけで、良寛さんの生涯を背景とした詩の解釈などはありませんでした。良寛さんの紹介としては新しい本になったと思います。

 

2006年から日曜参禅会の法話でOpening the Hand of Thoughtについてほぼ毎回一段落ずつ話してきて、すでに230回ほどになりました。それらの法話の録音をトランスクライブした原稿をもとにして、一冊の本を作るプロジェクトも進んでおります。これもDogen Instituteからの出版になります。これらはアマゾンを通して注文が来た分だけ印刷するオンデマンドですので、出版時にまとめて印刷する費用も、在庫を収納する場所も、こちらで注文の受け答えや発送をする手間もかかりません。出版社では採算が取れなくて扱ってもらえないような、小さな企画でも本にすることができます。ただし、収益は見込めません。出版自体の収益よりも、興味のある人に読んでもらえて、その人たちとの繋がりができることの方が大切だと思っております。これからも道元禅師とその教えを学ぶのに有益な企画があればDogen Instituteの活動として続けていきたいと願っております。

 

「句中玄」に収録されている道元禅師の漢詩の解説を、「永平広録」の英語訳で作った翻訳を使って毎月一つ、Dogen Instituteのウェブサイトに書いております。まる2年続いております。「句中玄」には150の漢詩がありますので、その全部について書くことは無理だと思いますが、道元禅師の教えの様々な面をそれほど難解ではない短いことばで語ることができるので、私自身の勉強のためにも意味のあることだと考えております。人生の卒業式まで残された時間、静かに生命を燃やしていきたいと願っております。

 

 

2020年12月24日

 

奥村正博 九拝

 

 

三心通信 2020年11月

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境内の地面をおおっていた落ち葉も掃き集められたり、強風が吹いた日に吹き溜りに集められたりして、落ち着くべきところに落ち着きました。このところ数日間雨の日や曇天の日が続き、苔庭の苔の色も綺麗な緑になりました。もぐら塚は雨が降って地が固まって平らになりましたが、土が露出してやや美観を損ねています。落葉樹の葉っぱはすべて落ちてしまって、寒々としていますが、空が広々と見えます。リスたちは厳しい冬に備えて、クルミなどを集め、また腹一杯食いだめをしているようで、丸々と太っています。


11月19日から23日まで三心寺の眼蔵会がありました。今年の3月以来、お寺は閉鎖されていますので、5月、8月に続いてオンラインでの眼蔵会となりました。三心寺の禅堂にいたのは、アイオワティーから来てくれたジェフさんが録音や照明の設定や調節、Zoomの接続など技術的なことを受け持ってくれました。三拝をするときのインキンを鳴らす役目の家内と、私の3人だけでした。

普通に三心寺で眼蔵会を行う場合は、受け入れられる人数が22人に限定されていました。それではいつもお断りする人たちが多すぎるので、何回かブルーミントンにあるTMBCC (Tibetan Mongolian Buddhist Culture Center) の施設を借りて行いましたが、それでも50名ほど受け入れるのが限度でした。5月と今回は、およそ90名の参加者がありました。Zoomが100名限定で、10名分ほどはこちらでオーガナイズする人たちのために確保しておかなければならないので、90名はほぼ制限人数いっぱいということになります。アメリカの各地以外に、ヨーロッパ、南アメリカ、オーストラリア、日本からの参加者もあったとのことです。8月に行われたサンフランシスコ禅センター主催の眼蔵会は参加者が130名ほどでした。

お寺の中で、5日間寝食を共にし、何炷か同じ禅堂で一緒に坐りながら眼蔵を参究するのと、コンピューターを通して一方的に話をするのとでは、やはり大きな違いがあります。話をする方としても、同じ禅堂にいる人たちに話す場合は、長年の参禅の経験があり、「正法眼蔵」にも親しんでいる人たちと、全く新しい人たちとがどの程度の割合になっているかがわかります。それでどの程度の人たちに照準を合わせればいいのか、今話していることを理解してもらっている人たちと、そうでない人たちがどの程度あるかも、肌で感じることができます。それで時には、話し方や話題を調整することもできます。オンラインの場合は、聞き手の表情が見えませんので、話している内容が理解してもらえているかどうか感じることができません。何がなんでも、こちらで準備したことを話すしかないので、どの程度通じているのか測り兼ねるところがあります。

今回の眼蔵会の講本は「仏経」の巻でした。前半は「仏経」という表現についての道元禅師の洞察が書かれていて、他の巻ほどは難解でもなく、禅師の思想の構造を理解するのには参究しやすい巻だと思います。後半は宋朝禅の、教禅一致、機関禅、三教一致など宋代の禅者一般についての批判が多く、中国禅についての知識が余りない私には、道元禅師の批判が当を得ているものなのかどうかが理解できかねました。それで、9回の講義のうち8回は前半に集中してできるだけ丁寧に話し、後半については最後の回で概観するだけということにしました。

中でも私に理解できないのは、臨済を貶めるためにその師匠の黄檗を過大に讃嘆されていることです。例えば、「黄檗は勝師の道取あり、過師の大智あり。佛未道の道を道得せり、祖未會の法を會得せり。黄檗は超越古今の古佛なり。百丈よりも尊長なり、馬祖よりも英俊なり。」この巻で道元禅師が批判されている「以心伝心」、「教外別伝」などは黄檗の「伝心法要」で主張されていることです。また「経教は、ながくみるべからず、もちゐるべからず。枯木死灰のごとくなるべし」の「枯木死灰」という表現ももとは荘子の「斉物論」に出てくる表現ですが、「伝心法要」に禅者のあるべきようとして使われています。道元禅師がそのことを知らないはずはないと思います。これは不注意なのではなく、なにか意図があってのことなのでしょうか?

11月の眼蔵会が終わると臘八接心が目の前に迫っています。臘八が終われば新年までわずかしか残っていないと毎年感じます。ことに今年は眼蔵会が2週間ほど遅くなったので余計にそう感じます。ただ、臘八接心も主にオンラインで、坐禅堂にいつも坐るのは副住職の法光さんと長年直歳をしてくれている発心さんの二人だけで、後の人たちは自宅で坐るという方式です。期間も例年は11月31日の夕方から12月7日の深夜まで坐って、8日の朝に解散ですが、今年は3日の夕方から7日の深夜までと短くなります。私は、1970年12月8日、接心の最後の日に得度をしていただきましたので、今年が50年目になります。体力の許す限りなるべく多く坐りたいと願っております。

50年間、様々なことがありましたが坐禅、ことに内山老師が始められた坐禅だけに専注する接心を続けることができたことを感謝せずにはいられません。ことに私は、安泰寺を出て瑞応寺で半年間安居させていただいたあと渡米した1975年以来、既成の坐禅の道場にはあまりご縁がなく、バレー禅堂、清泰庵、京都曹洞禅センターの晶林寺、三心寺など、ミネアポリスの禅センターを除いては、その時、その場所でご縁があった少数の同行者と坐ってきましたので、その感を深くします。


2020年11月29日

奥村正博 九拝