三心通信 2021年11月


今月の上旬、眼蔵会が終わる頃までは晴天が続いたのですが、中旬以降は曇りや雨の日が多く、少し残っていた木々の紅葉もほとんどなくなりました。サンガのワーク・ディもあいにくの雨になり、冬に向かう前の境内の清掃ができませんでした。落ち葉が風に吹かれてあちらこちらに溜まっています。幹と枝だけになった木々は寒々としています。最近は霜が降りたり、水溜りに氷がはることもあります。晩秋の風景です。今日はサンクスギビングでしたので、お寺の活動もなく、静かな1日でした。YMCAも休館なので、外には出ず、ずっと家の中で過ごしました。

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5月から始めた宗務庁翻訳事業の英語訳「正法眼蔵」の日本語の部分の校正は、8月末に「眼蔵」本文の校正が終わり、脚注の部分に引用されている日本文を見ております。現在、12巻「正法眼蔵」の第3、「袈裟功徳」の巻を終えたところです。あと第2巻の半分くらいが残っています。眼蔵会の前2週間ほどは休みましたが、毎日、朝の最初の1時間をこの作業に当てています。

10月末に駒沢時代からの友人が亡くなりました。駒沢大学に入学してすぐに、当時、世田谷の勝光院というお寺の墓地に付属した建物で、笹川浩仙さん、能勢隆之さん、関口道潤さんたちが毎週日曜日にされていた坐禅会を紹介してくれた人でした。それまで本を読んで我流で坐ったことはありましたが、駒沢に入って坐禅指導を受けた後、本当に坐禅を始めたのはその坐禅会においてでした。本気で坐禅を行じておられた方々にお会いできたのは、その友人のおかげでした。

卒業してからも、折々に宗門の僧侶としては常道ではない生き方をしている私を気にしてくれていました。1981年に身体の故障でアメリカから帰ったばかりで、お金も仕事も住むところもなく、これからどうしようかと考えながら、大阪の弟のアパートの留守番をしていたころ、広島のお寺に来るように言ってくれて、手伝いをしながら何日間か滞在させてもらいました。アメリカで屯田兵まがいの生活を5年間した後で、日本のお寺でお坊さんがすることは全部忘れてしまっていて、「舎利礼文」を読むのにも経本を見なければならいという体たらくでしたので、お手伝いと言うよりは邪魔をしていた方が多かったと思います。

20年ほども前だったと思いますが、高い石垣の上で作務をしていた時に、転落して、それ以来車椅子での生活を続けていました。数年前に帰国した折、駒沢の頃の友人二人と一緒に広島のお寺を訪ねして、一夜歓談したのが最後になりました。この夏に、珍しく手紙をくれて、御自分や共通の知人の近況をしらせてくれて、最後に是非又会いたいと書いてありました。次に帰国する機会にもお訪ねすることを楽しみにしていたのですが、かなわなくなりました。遠くに住んでいるもので、両親の死目にも葬儀にも出ることができなかった私ですので、今回も三人の知人から彼の訃報を知らせていただいたのですが、葬儀に出ることはできませんでした。これから、ますますこのような寂しく、申し訳ない経験をすることになると思います。あるいは、私自身も早晩、人生の店じまいをして、お暇をすることになるのでしょう。それにしても、様々な人々とのご縁のおかげでこのように坐禅をしながらここまで生きてこられたことを心から有難いことだと思います。

4日から8日まで「眼蔵会」がありました。今回は、オンラインで講義を提供するためのテクニカル・サポートの人たちの他、7、8人がマスクを着用してですが、禅堂で講義を聞いてくれました。オンラインでも参加してもらえるようになり、合計60名ほどの参加者がありました。禅堂の中は、そのためのカメラや集音マイク、コンピューターが設置され、スタジオのようになりました。それにしても、2、3年前まで、参加者の人たちと数炷の坐禅をしながら、1日2回、90分の英語での講義ができていたのが、今では信じられません。60歳代と70歳代の体力の違いに驚いております。今では、講義をするだけで精一杯です。

先月の三心通信に、「梅華」の巻と伝法偈に関係について書きましたところ、「『現成公按』を現成する」を日本語に翻訳していただいた宮川敬之さんから、水野弘元先生がかなり以前に「宗学研究」に書かれた「伝法偈の成立について」という論文を、わざわざ国会図書館のデジタルライブラリーにあるものを地元の図書館でコピーして送っていただきました。ご親切に感謝しています。先生はパーリ語仏教の世界的権威でしたから、中国禅の伝法偈の成立について研究されていたと知って驚きました。50年以上も前のことですが、駒沢大学で、水野先生の「仏教概論」の講義をお聞きしたことを思い出しました。

眼蔵会が終わった後に、水野先生の論文を読みました。「伝法偈」の成立について
大体首肯できることが書かれていました。その中に、次のような文がありました。

「以上によって六代の伝法偈は敦煌本にあるものが原始形であり、そこには禅の教理的なことは一切述べず、唯だ正法が達磨から慧能へと、よき条件の下に嫡嫡して、隆盛に向うにいたることを予言的な形で述べているものであることが知られる。伝灯録等にある流通偈では右のようなすっきりした意味はなく、曖昧な点、空思想を出そうとした点など、改変の後が見られる。」(33頁)

この部分を読んで、「禅の教理的なことは一切述べられていない」と言われているのに驚きました。私は、インド以来の如来蔵思想には全くなかった、有情の中には、果実の中の種のように佛性(如来蔵、本覚)がある。その種(佛性)は成長する力(生性)をもち、良縁に会えば、花を咲かせ、果実を実らせるという、「大乗起信論」の「本覚」に重点を置いた「禅思想」が述べられているのだと思います。分別、妄想、煩悩を取り除く修行の必要は全く説かれていないので、「始覚」の過程の方は無視されているようです。北宗を「漸修」として批判した、南宗の「頓悟」の主張なのだと思います。それは、道元禅師が「即心是仏」や「無情説法」で引用し、批判されている、南陽慧忠と問答した南方から来た僧の禅思想と根底的に同じものでしょう。やはり、道元禅師が「佛性」の巻で「凡夫の情量」として批判されている考え方に他ならないのではないでしょうか。

もっとも、パーリ仏教の権威で、アビダルマなどの仏教教理に精通しておられた水野先生には、このような安直な思想は仏教の教理だとは考えられなかったのかもしれません。その点では、道元禅師が「凡夫の情量」だと言われているのと共通していると思います。

道元禅師が「梅華」の巻で言われているのは、諸法実相にもとづいた、無限に広く、ダイナミックな縁起相関の全機を具現している梅樹や梅華等、個々の存在のあり方に目覚め、それを行として現成していくことなのだと思います。「供養諸仏」の巻で、「諸仏かならず諸法実相を大師としましますこと、あきらけし」と言われていることの重要性を感じました。

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昨年まで11月末のこの時期は、眼蔵会が終わって一息つくまもなく、臘八接心が目の前に迫っていて、緊張せざるを得ない時期でした。昨年の臘八接心は午前中だけ坐りました。それ以降、膝や足の付け根の痛みに加えて、坐骨のあたりが椅子に1時間も坐ると痛くなって、坐禅を休ませてもらっています。今年は、午前、午後、夜坐、1炷づつ坐れればいいなという感じです。加齢とともに、人生の風景も晩秋らしく変わりつつあります。

2021年11月25日

奥村正博 九拝

 

 

 

 

 

 

 

三心通信 2021年10月


この2、3日、冷たい雨が降ったり止んだりして、気温も下がり、外を歩くときにはジャケットを着るようになりました。紅葉はすでに盛りをすぎ、落葉も進んでいます。暖かい間に、蕾ができていたアイリスが季節外れの花を咲かせています。雨に濡れていかにも寒そうです。三心寺の小さな草原はすっかり花がなくなり、茶色になりました。雨に濡れて、苔の色はきれいな緑になりましたが、かなりの部分が落ち葉に覆われています。11月半ばまで、落葉掃きの季節です。もっとも、最近は熊手ではなく、電動式の小さなblower (送風機)に頼っています。かなり楽になりました。

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今月3日には、日曜坐禅会で法話をしました。Opening the Hand of thought の第8、最終章 Wayseekerの2回目です。先回はタイトルのWayseekerという言葉について話しました。これは、「求道者」という日本語の直訳で、英語の辞書にはない言葉です。それでも意味は分かるので、本を作るときにもそのままにしてくれたのだと思います。前にも書きましたが、この章は元々、私がバレー禅堂にいた1980年頃に訳したものです。それまでに、勉強会のために「普勧坐禅儀」を英語に訳していましたが、まだまだきちんとした英語は書けませんでした。また、禅堂で一緒に坐禅している人たちのためだけの翻訳でしたので、出版されて一般の人に読まれるなどとは夢にも思っていませんでした。結構、日本語の直訳でおかしな英語表現をつくって、ある意味、楽しんでおりました。この本のタイトになったOpening the Hand of thoughtも「思いの手放し」という内山老師の表現を直訳したものです。アメリカの人たちには、「これは英語ではない」と不評でした。しかし、Letting go of thoughtという普通の英語ではアメリカ人の頭の中を素通りしてしまって、内山老師が苦労して作られた表現の意味を深く考えてもらえないように感じて、そのまま残していたものです。「求道者」もWay Seekerとするよりは、日本語では一語なのだから一語にしたいと思っただけでした。しかし、この場合のWay、求道の「道」は、仏教語としては、サンスクリット語のbodhi (目覚め)の訳なのだということは説明しておかなければならないと思って、そのことを主に話しました。「求道心」は、省略して「道心」とも言いますが、菩提心(bodhi-citta)、「目覚めを求める心」の訳語です。今回は、「安泰寺に残す言葉」の第1、「人情世情でなく、ただ仏法のために仏法を学し、仏法のために仏法を修すべきこと」の「仏法のために仏法を学し、修する」について「随聞記」の道元禅師の言葉を紹介しながら話しました。三心寺で坐禅する人たちは、沢木老師の「坐禅しても何にもならない」(Zazen is good for nothing.)は耳にタコができるほどに聞いていますので、抵抗はないようです。

10月9日の土曜日には曹洞宗のヨーロッパ国際布教総監部主催の現職研修会のために「菩薩戒と菩薩の誓願」について話しました。フランス語への通訳が入るので、前もって英語の原稿を書いて総監部に提出し、当日はその原稿を読むようにとの依頼でした。三心寺の禅戒会で毎年のように話してきた内容ですので準備にそれほど時間はかかりませんでした。パンデミックが始まって以来、オンラインで話をするのが当たり前になりました。旅行をせずに遠隔地の人々とも時間を共有できるのは便利なのですが、コンピューターを通じて言葉だけでつながるのは、やはり直接会って、顔を見ながら話すのとは違うように思います。「面授」と言うことの意味を考え直しております。

それ以降は、ずっと11月の眼蔵会の準備に追われています。今回は「梅華」の巻です。如浄禅師の「梅華」をモチーフにした上堂語や偈頌についてのものですので、それほど難しいものとは思っていませんでした。少なくとも最近講読した「三界唯心」「説心説性」「無情説法」などに比較すれば、仏教教学的な知識も、禅宗史の中での様々な意見の違いを理解することもそれほど必要ないし、「諸法実相」で説かれたことを「梅の花」を比喩として詩的に表現されたものだから比較的説明しやすいだろうと考えておりました。しかし、参究するにつれて、詩偈の観賞程度のものでは無く、すごく重要なテーマが隠されていることに思い当たりました。

「華開世界起」や「吾本來茲土、傳法救迷情。一華開五葉、結果自然成」などから般若多羅尊者や達磨大師の伝法偈が使われていることは一読して明らかですが、それ以外でも伝法偈からの引用が見え隠れしていることがわかりました。「地華」「三昧華」「華地悉無生」「地華生生」「心地」「華情」などです。それで、「地」や「華」が出る伝法偈を選び出して、それらが何を言おうとしているのかを理解しようとしました。第27祖般若多羅から六祖慧能に至るまで、もっと言えば、慧能の弟子の南嶽懐譲、馬祖道一までの伝法偈が全てそうでした。基本的な論理の筋は、心地(真如)としてある個人のなかには種(本覚、佛性)があり、種は成長する性質を持っているので、それが法雨などの縁にめぐまれれば、華を咲かせ自然に実がなると言うことだと思います。これは、道元禅師が「佛性」の巻で「凡夫の情量」として批判されていた考え方だと思い当たりました。これはもともとの如来蔵・佛性思想とは違っているので、「佛性」の巻で邪解を指摘される時に、先尼外道の「我」とは区別して「凡夫の情量」として別に批判されているのでしょう。元来、佛性は常住不変で迷いの凡夫にあっても悟りの仏陀にあっても変わらないものでしたから。五祖弘忍禅師の偈には、「無情既無種、無性亦無生。」と「無情説法」で否定されていた無情には佛性がないとする思想もありました。

伝法偈は、「敦煌本六祖壇経」に初祖達磨大師から六祖慧能までの祖師方が伝えた法についての偈として、お袈裟を伝法の印にすることを中止して、その代わりに作られたものだそうです。そのあと、馬祖道一の洪州宗でつくられた「宝林伝」で摩訶迦葉から馬祖までの全ての祖師の伝法偈が作られ、それで、禅宗の西天二十八祖、東土六祖をとおして馬祖に至る系譜が確定しました。そのあと、「祖堂集」では、過去七仏の伝法偈が追加され、それが「景徳伝灯録」に受け継がれて、現在でも使われている、過去七仏から六祖慧能までの法系が確定したのでした。

道元禅師は「佛性」の巻で、
「ある一類おもはく、佛性は草木の種子のことし。法雨のうるほひしきりにうるほすとき、芽茎生長し、枝葉華果もすことあり、果實さらに種子をはらめり。かくのごとく見解する、凡夫の情量なり。たとひかくのごとく見解すとも、種子および華果、ともに條條の赤心なりと参究すへし。果裏に種子あり、種子みえざれども根茎等を生ず。あつめざれどもそこばくの枝條大圍となれる、内外の論にあらず。古今の時に不空なり。しかあれば、たとひ凡夫の見解に一任すとも、根茎枝葉、みな同生し同死し、同悉有なる佛性なるべし。」
と書かれていますが、私は今まで道元禅師が「凡夫の情量なり」と批判されていたこの説は誰のあるいはどのグループのものなのか、理解していませんでした。この批判はおそらく神会の影響を受けた「六祖壇経」から馬祖に至る人たちの伝法偈に表現されている思想を対象にしたものだと今回理解できました。「梅華」の巻では、「雪裏の梅華」を比喩として使いながら、「凡夫の情量」ではない、諸法実相に基づいた佛性の働きを説かれているのだと考え直しました。梅華には、「種」が伝法偈で使われている意味(本覚、佛性)では全く使われていないことにも意味があると思います。それに基づいて、東土の六祖までだけを特別に見る法統についての考え方を否定されているのだと思います。「梅華滿舊枝といふは、梅華全舊枝なり、通舊枝なり、舊枝是梅華なり」はそのように読んで初めて意味が通ると思います。

11月4日から眼蔵会が目の前に迫ってから、このようなことが分かってきて、これを英語でどのように説明すればいいのか、途方に暮れています。

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2021年10月25日

奥村正博 九拝

 

 

 

 

三心通信 2021年9月

 

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お彼岸も過ぎ、朝夕は冷んやりと感じるようになりました。境内の小さな草原には昨年も紹介した、snakeroot(丸葉藤袴)と goldenrod(背高泡立草)が今を盛りと咲いています。夏の間、鹿たちの毛は、明るい茶色でしたが、秋になって灰色がかった暗い茶色になりました。まだ大部分緑ですが、気の早い木々の黄葉、落葉も始まっています。

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今年は中秋の名月が八年ぶりに満月だったとのことが報道されていました。中秋の名月が満月とは限らないということが初めて理解できました。旧暦の8月15日、16日、あるいは17日に満月になる可能性があるのだそうです。「永平広録」によると、道元禅師は中秋の日に上堂されていました。1240年から1252年までの13年間に9回の中秋上堂が記録されています。記録されていない4年のうち、1243、44年は越前移転以後、大仏寺での安居が始まる以前で上堂ができなかった時期です。1247年は鎌倉に行かれていた年です。

第10巻の偈頌81から86までは、8月15日から17日までの3日間、おそらく2年間にわたって会下の僧たちと共に、如浄禅師の中秋の上堂を9句に分けて、一年目には最初の3句、次の年には4句目から6句目までについて、ご自分の偈頌を作られています。道元禅師だけではなく、僧衆たちも偈を作ったのでしょうか? 中秋(十五夜)、十六夜、十七夜と満月の可能性があるとすれば、3日間、月見の詩の会を続けられたことも分るような気がします。しかし、9句完結するはずの3回目は記録されていません。

1252年、最後の中秋上堂(521)はかなりの長文で、力を込めて示衆しておられるように感じます。それからあとは10回の上堂があり、おそらく、同年の臘八上堂(506)が最後の示衆だったのだと思われます。翌月、1253年の1月6日には「八大人覚」を執筆されましたが、その時にはこれが最後の著作だと自覚しておられたのでしょう。とすれば、中秋の日の僧たちとの詩会が2回だけしかなく、未完に終わっているのは、1253年の中秋の日には永平寺にはおられなかったからではないでしょうか。つまり、初めての中秋の詩会は1251年、2回目は1252年に行われたのではないかと想像します。

「建撕記」によると、1253年のその日に、「御入滅之年八月十五日夜、御詠歌に云」の前書きがある和歌を作っておられます。

 又見んと 思ひし時の 秋だにも 今夜の月に ねられやはする

今年は中秋が満月だとのニュースを読んで、晩年の道元禅師のことについて想像をたくましくしました。何も資料がないので、単なる推測に過ぎません。もしもそうだとすれば、100巻の「正法眼蔵」の構想が未完に終わったこととともに、如浄禅師の中秋上堂についての偈頌が完結しなかったことも残念に思われていたことでしょう。それにしても、現在の私よりも20歳も若くして亡くなられたことを今更ですが、残念に思います。もしもあと20年長く生きておられたら、宗門の歴史がどう変わっていたかは想像することもできませんが。

宗務庁版英訳「正法眼蔵」本文の校正は8月末に完了し、現在訳注にある日本文の校正をしています。毎朝、最初の1時間ほどをこの仕事にあてています。現在、春秋社版「道元禅師全集」第1巻の半分強が終わったところです。今年中にということですが、完了できるかどうか自信がありません。

拙著、Realizing Genjokoanの日本語訳、「現成公按」を現成する:「正法眼蔵」を開く鍵、がもうすぐ春秋社から刊行されます。訳者の宮川敬之さん、有益なアドバイスをいただいた鈴木龍太郎さんに厚く御礼を申し上げます。

11月の眼蔵会の講本として「正法眼蔵梅華」の翻訳を作りました。第1稿としてつくったものを、聖元・Hartkemyerさんに添削してもらいました。聖元さんは、何十年も前にフランスで弟子丸泰仙師に得度を受けた人です。語学の専門家で長年学校の先生をしていましたが、先年引退しました。三心寺ではもう15年ほど、静かに坐ることと、仏法の参究だけを地道に続けています。僧籍登録とか、嗣法とか、教師資格には全く興味がない人です。アメリカに来て出会った本物の坐禅人のうちの一人です。

 

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良寛さんの漢詩について書いた、Ryokan Interpretedも編集作業は完了し、10月に予定している刊行を待つばかりです。これは出版社からではなく、Dogen Instituteからの自己出版です。19日の日曜日に、ミネアポリスミネソタメディテーション・センターと三心寺との両方を結んで、オンラインの法話をしました。出版間近ですので、この本を紹介し、時期は不明ですが五合庵で書かれたとおぼしい漢詩一首について話しました。その当時の托鉢と坐禅の生活を転描したものだと思います。

 荒村乞食了(荒村、乞食を了わり)
 帰来緑岩辺(帰り来る、緑岩の辺)
 夕日隠西峰(夕日、西峰に隠れ)
 淡月照前川(淡月、前川を照らす)    
 洗足上石上(洗足して、石上に上り)
 焚香此安禅(香を焚いて、此に安禅す)
 我亦僧伽子(我も亦た僧伽の子)
 豈空流年渡(豈に空しく流年を渡らんや)
 (私訳)
 Finished with begging in a desolate village,
 I return to my hermitage with its mossy green rock.
 As the evening sun sets behind the western ridge,
 The pale moon is reflected in the stream before my hut.
 I wash my feet and ascend the rock,
 Burn incense, and sit peacefully in zazen.
 Also a child of the sangha,
 How can I spend the passing years in vain?

 

1981年にバレー禅堂から京都に戻って、旧安泰寺の近くの清泰庵で留守番をさせていただいていた3年間、最低限の生活を支えるために月に2、3回の托鉢をしておりました。托鉢が終わって、清泰庵に帰って、足を洗い、一人で坐禅したことが何回もありましたので、その頃から心に残っている漢詩です。山中の小庵にただ一人、住んでいた間も、自分は僧伽の子だと自覚されていたことを明確にされています。日没後の、しかしまだ明るい情景の描写は、「回光返照」という道元禅師の坐禅そのものの提示だということを話しました。

MZMCから法話を依頼されたのは、来年に、創立50周年を迎えるからです。私が日本からミネアポリスに移転した1993年に20周年がありました。あれからすでに30年近くがたってしまいました。今回の法話の準備をしている間に、創立者の片桐大忍老師が、1972年、ミネアポリスに移転される年の春頃、御家族とともに安泰寺に内山老師を訪問された折に、お会いしていることを思い出しました。私が大学を卒業して安泰寺に安居し始めた頃でした。つまり50年近く前のことです。その次には、バレー禅堂にいて、友人を訪ねてボストンに行ったおり、たまたま片桐老師がボストンのシャンバラというチベット仏教のセンターで公開の講演をされました。御講話を聞いた後、お部屋に伺って、少し話をしました。宝鏡寺を建立する予定の広大な土地を買収して、これから僧堂を建立するという構想を話しておられました。1978年だったかと思います。歳をとって、自分の思い出もすでに歴史の1ページになってしまっているように感じています。

 

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Ryokan Interpreted と長円寺本随聞記の英訳と道元禅師和歌集の英訳と解説とを一冊の本にした、Dogen’s Shobogenzo Zuimonki: the New Annotated Edition; also Included Dogen’s Waka Poetry with Commentary はすでにAmazonで紹介されています。その表紙の写真を添付します。

 


2021年9月25日

奥村正博 九拝

 

 

三心通信 2021年8月

 

 

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8月は、雨が少なく、やや乾燥していました。モグラは相変わらず元気で、トンネルを掘り続けています。最近、地上数カ所に穴ができました。モグラも外に出ることがあるのでしょうか。まだお目にかかったことはありません。朝夕は涼しくなって、気のはやい木の葉は、黄葉を始めています。境内の小さな草原に咲き誇っていた夏の花たちもおおかた、萎んでしまいました。残っている花たちには、蜂が蜜を求めて飛び回っています。鹿の家族が草を食べるためだけではなく、休憩しにくるようになりました。これまでは必ず母親の後をついて回っていた白い斑点がまだ取れない小鹿たちも、自分たちだけでくるようになりました。写真を撮るためにかなり近づいても、遠ざかりはしますが、逃げることはありません。先日、子供達だけで苔庭で休憩する姿が見えました。日が暮れると、虫たちの声が聞こえるようになりました。

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先月から続いて、仕事に追われています。5月に始めた「正法眼蔵」本文の校正作業はようやく最終段階に入りました。春秋社版「道元禅師全集」の第2巻、あと30ページほどで完了します。毎日、朝一番に1時間ほど、この作業を続けています。「眼蔵」本文の校正の後、英語訳の脚注の日本語の部分の校正もしければならないのですが、これはどれほどできるか自信がありません。今年中にと言われているのですが、お寺の行事が再開され、10月に短期ですがヨーロッパに行き、11月に眼蔵会があり、その後臘八接心ですので、今までのように時間がありません。4ヶ月ほど、字面を追うだけでしたが、毎朝「正法眼蔵」を読むのは楽しいことでもありました。

 

そして、Realizing Genjokoan日本語訳のゲラ刷り第2稿の校正が入りました。訳者の宮川敬之さんのご努力に感謝せずにいられません。内山老師が引退された1975年、瑞応寺に半年間安居した後、12月にマサチューセッツ州のバレー禅堂に行って以来、1981年から93年までを除いて、成人してからの人生の大半をアメリカで過ごしておりますので、日本で育てていただきながら、お返しをほとんど何もできずにおりました。「眼蔵」は、駒沢大学で勉強したのと、内山老師の提唱を聞かせていただいたのとを除いて、全くの独学と云うか我流ですので、日本の伝統的な宗学を学ばれている方々に評価されることはないように思いますが、アメリカでの坐禅修行を通して、日本にいただけでは見えなかったものが見えてきたところもあります。いささかでも、その事が表現できていればと願っております。9月末に出版の予定とのことです。

 

そのあと、11月の眼蔵会の講本として「正法眼蔵梅華」の翻訳にはいりました。ごく粗い翻訳は、昨冬に一応していたのですが、細かく一語一語、確かめながら訳し直しました。天童如浄禅師の「梅華」についての八つの上堂や偈頌について評釈されています。1243年の夏に越前移転以後、「三界唯心」、「諸法実相」、「仏経」、「無情説法」、「法性」、「説心説性」など、一群の教学的な内容とそれに基づいた宋朝禅の批判を通して、これから越前で、どのような修行を、どのような思想に基づいて行なっていくのかを鮮明にされた巻を書かれました。また「嗣書」や「面授」では、この仏法の相承の重要性を説かれました。それらに続いて、如浄禅師から受け継がれた仏法を詩的に表現されたものだと思います。

 

その間に、先月書いた、Opening the Hand of Thoughtについて話した法話の録音をトランスクリプトしてくれている方がいて、その第3章 Reality of Zazen (日本語「生命の実物」では、第2章坐禅の実際)の部分ができてきました。もとは、一回に一段落くらいの割合で話したものなので、20回以上の法話をトランスクリプトしていただいたことになります。日曜日の法話や、リトリートの講義でしたので、その度に聴聞している人が違います。新しい人たちにも、以前からの続きがわかるように、何回も同じ内容を繰り返して話した部分もあります。それらの重複はなるべく省いてもらったので、トランスクリプトの仕事もただ音を文字に置き換えるというだけではなく、大変だったと思います。それでも約70ページありました。この1週間ほどはこれにかかりきりになっていました。

 

毎月、Dogen Instituteのウエブサイトに連載している「道元漢詩」は、「句中玄」の順番では、第45首目になりました。これまでの44首は、「永平広録」の第10巻に収録されているものばかりでしたが、これから、それ以前の巻の上堂からの偈頌に入ります。最初は、1252年の上元(旧暦1月15日)の上堂のものです。
雪覆蘆花豈染塵 (雪、蘆花を覆う、豈に塵に染まんや。)
誰知浄智尚多人 (誰か知らん、浄地に尚お人多きことを)
寒梅一點芳心綻 (寒梅一點芳心綻ぶ、)
喚起劫壺空處春 (喚起す、劫壺空處の春。)
遷化される前の年の正月のものです。このおよそ1年後に「八大人覚」を書かれたのが、最後の著作になりました。「梅華」の巻にも通じる、全世界が雪に覆われたままの永平寺の新春の様子を、坐禅修行に現れている、永遠の、時のない春(timeless spring)として描いておられます。

 

今月から、週日、月曜日から金曜日までの早朝の坐禅、日曜日午前中の坐禅会は、人数を制限し、ワクチンの接種を済ました人に限るということで、三心寺の坐禅堂で行うようになりました。まだマスクの着用はしなければなりません。8月の第1日曜日の法話は私が担当しました。Opening the Hand of Thoughtの第7章の一番最後の部分について話しました。第6章、第7章は宗務庁から刊行された小冊子、「現代文明と坐禅」の翻訳です。「坐禅に見守られ、みちびかれ、そこに誓願と懺悔をもって生きる『ボサツという人間像』こそは、これからの時代にとって、真に理想としてえがかれねばならぬ人間像だ」と言われる老師の言葉は、半世紀も前に書かれたものですが、ますますその重要性を増していると思います。来月からは、最後の第8章について話し始めます。

 

週日夕方の坐禅や、読書会、初心者の坐禅指導などは、まだオンラインです。今のところ、地元の人達を対象としたものだけです。市外、州外、国外からの参禅者を含めた、接心、リトリート、ワークショップなどの再開がいつになるかはまだ決められません。ワクチン接種者が増えたことで、パンデミックの収束が見えたように思いましたが、まだまだ予断を許さないようです。

 

それでも、来年には、通常通りの活動が再開できるように、少なくともその可能性が出てきた場合に備えて、計画は立てておかなくてはなりません。現在のところ、少なくとも、4月初旬から7月初旬までの3ヶ月の夏期安居は再開したいと願っています。4月の、受戒予定者が絡子を裁縫するためのソーイング・リトリート、5月の眼蔵会、6月の接心、首座法戦式、7月の授戒会などです。私が戒師を務める授戒会はこれが最後になります。昨年に受戒する予定だった人たち8人が、2年間待つことになりましたが、受戒をする予定でおります。2023年6月に私は退任する予定ですので、それからは、法光が住職に就任し、授戒も行うことになります。


2021年8月29日

奥村正博 九拝

 

 

三心通信 2021年7月


今月は、雨降りが多く、湿度の高い日が続きました。例年に比べて暑さはそれほどでもないようです。苔庭の苔は十分な水分を吸ってきれいな緑になりました。周囲の木々の葉も、圧倒的な生命力を感じさせます。春先から、鹿や、リスや、野ウサギなどの子供たちが生まれました。人間がずっと巣ごもりしているせいか、野生の生物たちが活気付いているような気がします。苔庭の地面をでこぼこにしているモグラも、見たことはありませんが元気なようで、あちらこちらにトンネルやモグラ塚をこしらえています。

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昨年から、境内の表の庭の半分以上の芝生を取り払って、この地方に元からあった野生の植物を植えて、小さな草原を作っています。芝刈りの時間や手間を節約する意味もあります。以前は、境内全体の芝刈りをするのに手押し式の芝刈り機で2時間ほどかかっていたのが、半分以下になりました。去年は、ブラック・アイ・スーザンというひまわりを小さくしたような花をもつ植物が全域を占領していましたが、今年はそれ以外の花も咲きました。ご近所で飼っている鶏が三羽ほど、毎日草むらで忙しく何かを啄んでいます。日没になると、蛍が飛び交っています。

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7月は忙しい月になりました。例年、年頭のご挨拶と、暑中見舞いを三心寺創立の折にお世話になった方々、ご縁のある方々に差し上げています。日本在住の人たちだけでなく、アメリカやヨーロッパにお住まいの人たちも合わせるとおよそ120通になります。ご挨拶、近況をお知らせするだけですが、暑中お見舞いの文面を書き、封筒を印刷し、宛名を書き、私信のある方には、手書きでメッセージを書き、封筒にいれて、郵送するまでに3日はかかります。例年ですと、夏期安居の最後の行持である授戒会が終わって一息入れてからの仕事でした。それは計算に入っているのですが、そのあと、5月から続いている「正法眼蔵」の校正に加えて、日本語に訳していただいているRealizing Genjokoanの校正が入りました。

そのあと、16日から18日までのZen Mountain Monasteryの週末リトリートのための講義の準備に入りました。先月書きましたように、「句中玄」の最初の2首「閑居偶作」と、そのあとの「山居」7首の9つの漢詩について話す予定で準備をしておりました。深草閑居と越前移転以後の「山居」の間には10年間の興聖寺での活動が挟まっています。道元禅師の漢詩を伝記の材料としても考えたいと思っていますので、中国から帰国されてから、深草閑居まで、興聖寺開創から入越までの伝記的な事柄、その間の著作の思想的な事柄も加えて話しました。そうすると、9首について話すつもりだったのが、「閑居偶作」2首と「山居」2首、合計4首についてしか話すことができませんでした。しかし、道元禅師の漢詩と、伝記を絡めて学ぶのは、意味のあることだと思いました。

その次の週末、24日の土曜日には、イタリアのブッディスト・ユニオン主催のセミナで「道元禅師の清規」について話しました。私の持ち時間は1時間半でしたが、主に禅宗の叢林での普請作務について話しました。逐次通訳つきで、Q&Aの時間もあったので実質的には1時間と10分ほどの予定だったのですが、やや時間を超過してしまいました。

そのあと、2本の原稿書きがありました。10月にヨーロッパ総監部の現職研修会での、「菩薩戒と誓願」のオンラインでの講義を依頼され、その英語原稿を書かなければなりませんでした。1週間ほどかかって本日、ようやく第1稿ができました。これから手直しをして、英語を添削してもらい、8月9日までに提出の予定なのですが、添削をしてもらう人の予定によって遅れるかもしれません。

もう一つは、Lion’s Roar (獅子吼)という仏教雑誌から、道元禅師の特集をしたいので「現成公按」について1000語ほどの記事を書いて欲しいという依頼でした。明日からその執筆にかかる予定にしております。

8月の6日(金曜日)から8日(日曜日)までの週末に三心禅コミュニティの理事会の年に一度の三心寺での会議があります。毎月のミーティングはオンラインです。その最後の日、8日の日曜日から、三心寺の禅堂がブルーミントン在住の人々に再開されます。1年半ぶりに日曜参禅会がお寺で行われます。私が、以前からの続きでOpening the Hand of Thoughtについて話す予定です。これは、「生命の実物」と「現代文明と坐禅」を主として、内山老師の安泰寺での最後の提唱、その他のお話を英語訳したものです。2006年の7月から、日曜参禅会ではこの本について、一回にほぼ一段落ずつ話してきました。私の記録ではおよそ15年の間に234回話したことになります。この次話すのは、第7章の最後の2段落、日本語の原本では、「現代文明と坐禅」の締めくくりの部分です。

これが終わると、あと最終の第8章、The Wayseeker (求道者)と題した内山老師の安泰寺での最後の提唱の英語訳です。もとは、まだマサチューセッツ州のバレー禅堂にいた1980年頃に訳したものです。この提唱で話された7ヶ条を英語に訳して額に入れて、バレー禅堂の入り口に掛けていたのですが、参禅者から老師がそれぞれの項目についてどんなことを話されたか知りたいと言う希望があって、そのころ、身体のあちこちが痛くなって作務ができなくなっていた私が、皆が作務をしている時間に訳しました。そのために生まれて初めてタイプタイターの使い方を習いました。骨董品の重たいタイプライターでしたが、ある程度使えるようになりました。

日本に帰って翻訳の仕事を始め、アップルのマッキントッシュが初めて売り出された時に購入して、コンピューターで原稿をタイプできるようになったのは、この時の経験があったからでした。京都曹洞禅センターから出版された、英語訳の本は、日本でコンピューターを使って原稿を書き、手書きの原稿なしで、それをそのままディスケットから印刷した本としてはかなり早いものだったと思います。

ともあれ、私の三心寺住職の任期はあと2年弱で、これからは、月に1回法話をする予定ですので、話す機会はそれほど多くありません。できればそれまでにこの第8章を話し終わって、Opening the Hand of Thoughtを完結したいと願っております。

「生命の実物」は私が得度していただいた1970年ごろに執筆されたものです。その頃たくさん参禅に来ていた西洋の人たちにも分かるような坐禅の入門書を執筆しているといただいたお手紙に書かれていたのを思い出します。最初から英語に訳されることを想定して書かれたものです。最初の英語訳がApproach to Zenというタイトルで出版されたのは1973年でした。バレー禅堂にいたころ、英語の曹洞禅のテキストがあまりなく、私たちも英語で十分に仏法の話を出来なかったもので、この本をたくさん買って、坐禅にくる人に読んでもらいました。その後、絶版になったので、1981年に私がアメリカから京都に帰ってから、トム・ライトさんと訳し直したものです。ですので、私の坐禅の理解と実践は、得度してから今まで、ひとえにこの本に依っています。

三心寺住職から解放された後、どうするのかは、まだ明確な予定はありません。私個人としては、翻訳や著作や、残された体力と能力に見合った分だけ講義などをして、三心寺に骨を埋めたいと願っております。


2021年7月28日

奥村正博 九拝

 

 

三心通信 2021年6月

あれほど騒がしかった17年ゼミの声も先週あたりからパタリとなくなり、静けさが戻ってきました。苔庭の草取りをしながら、何百という抜け殻や遺体を箒で掃いてバケツに入れてコンポストの山に捨てました。それ以外の芝生のうえに落ちていたものは、芝刈りの時に刈り取られた草にまぎれて、どこに行ったのかきれいになくなりました。あれだけ大量に発生したものが、後も残さずに消えてしまうのは、見事なものだと思います。十七年後にまた発生する子孫を残して、その遺体も土壌を肥やすのに役立てて、自分たちは跡形もなく消えていく、生命の営みの潔さに感動を覚えました。

私たちもそうありたいものですが、人間の文明は自然に対してはヤラズブッタクリのように見えます。秋山洞禅さんから、17年ゼミについてのNHKのニュースのDVDをおくっていただきましたが、それによると、気候変動が原因で17年ゼミのなかで、17年より何年か前に成虫になるものが出てきているのだそうです。地球温暖化が人間の営みにによって引き起こされているものならば、セミたちが何万年、あるいはそれ以上の時間をかけて作ってきた生き残りの戦略を狂わせてしまうのは、地球上に生息する同じ生き物としては、正常な生命活動ではないと思います。

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17年ゼミに代わって、夕方には蛍が見えるようになりました。境内の小さな草原には、昔からこの辺りにあった様々な植物が成長し花をつけ始めました。蜂やその他の昆虫が蜜を集めに来ています。当たり前の自然の共生の姿ですが、これがいつまでも続くのかどうか心配にもなってきます。

ワクチンの摂取が進んで、YMCAでマスクをつけなくても良くなったことは先月お知らせしました。それに伴って、再び多くの人たちが来るようになりました。特に、毎年夏休みに行われるサマーキャンプで、子供たちが沢山集まっていますが、マスクをつけている子は余りいません。また学校も休みになって、中学生や高校生たちがバスケットの練習にくるようになりました。今日YMCAに行くと、駐車場が一杯になっていました。人々が巣ごもりから解放されて、以前のような賑わいが戻りつつあります。

パンデミックでお寺が閉鎖されている間を利用して、半地下にある坐禅堂の改装が、ワーク・リーダー(直歳)の発心さんを中心にして行われています。釈尊をお祀りしている、仏壇が完成しました。これを内側に引くと、非常用の出口になります。坐禅堂の中の壁のペンキの塗り替えも行われています。(写真参照)

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最近の理事会のミーティングで、このままパンデミックが収束に向かうようであれば、8月の初旬から、ブルーミングトン在住の人たちのためのお寺での活動を再開することが決まりました。市外、州外、国外から人々が参加する接心やリトリートをいつから始めるかはまだ決まっていません。様子を見ることになります。できれば、2022年からは平常の活動が再開できるように願っています。

7月16日(金)から19日(日)には、ニューヨーク州にあるZen Mountain Monastery の金曜日から日曜日午前中までの週末リトリートでオンラインの講義をします。今回は「句中玄」の最初、「閑居偶作」2首、「山居」7首の9つの漢詩について話す予定で準備をしております。眼蔵会ではなくて、週末の短いリトリートでは、ここ数年、「道元禅師和歌集」で翻訳、解説したものを教材に使ってきました。大切なところがワンポイントで、簡潔に、そして美しく表現されていますので良い方法だと思っております。道元禅師の漢詩について話すのは今回が初めてですが、どのように受け取ってもらえるか楽しみにしております。

その次の週末、24日(土)には、イタリアのBuddhist Union主催のオンライン・セミナの一つとして、「道元禅師の清規」について1時間半の講義を行います。英語で話してイタリア語への通訳が入りますので、また質疑応答の入ると言うことですので、実際に話すのは1時間弱になるようです。

先月の通信で、宗務庁の宗典翻訳事業の「正法眼蔵」の英語訳が完成に近づいたので、日本語原文の校正をするように依頼されたことを書きましたが、あれから、毎日、朝食後の最初の1時間ほどは、1日に「道元禅師全集」のおよそ10ページを校正することを目標に進めています。校正作業をする場合には、意味を考えていると、誤字、脱字、句読点の違いなどに注意が行かず、見逃してしまいますので、意味を考えずに、ひたすら字面だけを追っていくようにしています。最初はこのような読み方は時間の無駄だと思って抵抗があったのですが、1月以上続けていると、こういう読み方にも意味があるように思えてきました。また、毎朝、この1時間が楽しみにもなってきました。翻訳をする場合や、眼蔵会の講義の準備をする場合には、一字、一句おろそかにせず、はっきりと理解ができているかどうかを確かめ、少しでも疑問があれば、註解書、参考書、英和、和英、漢和、仏教辞典などを引きまくって、1ページ読むのに1日かかることもあります。

そうではなくって、解るか解らないかということを気にしないで、とにかく毎日10ページ読むことを続けるのは、いわばグーグル・マップで世界地図のあちらこちらを俯瞰的に見ていくような楽しさがあります。一つの街の一つのブロックにある、通りや、公共施設、その他の建物を一つ一つ、シラミつぶしに確認していくような読み方も「正法眼蔵」の場合は必要ですが、海洋や山脈や平野や大きな河川などがどのようになっているのかを見るのも意味があるように思えてきました。現在「道元禅師全集」第1巻が終わり、第2巻に入ったところです。本文の校正が終わると、脚注に引用されている日本文の校正をすることになります。何しろ、原稿がレターサイズで2000ページ以上ありますので、先は遠いです。今年中にと言う依頼ですので、まだまだ先の長い話です。

先頃お知らせした、内山老師が「生命の実物」のなかで紹介された、カボチャの話を題材にしたSquabbling SquashesがWisdom社から6月22日に発行され、その見本が届きました。本文の作成には私も少し関わりましたし、表紙の絵も知っていましたが、中の絵をみるのは初めてでした。アメリカの人たちはよくできていると言ってくれるのですが、日本の人たちにお勧めするのはちょっと気が引けます。お寺の前に鳥居があったり、お坊さんたちの衣が、どう見ても日本のものには見えないのです。子供の絵本だから無国籍でも良いかと、納得しています。

この本が刊行された日が、ちょうど誕生日で73歳になりました。昨年に続いて、誰も来ない、家族だけの誕生日でした。メールや郵便でバースディ・カードを何人かの人たちからいただきました。73回目になると、それほどめでたくもありませんが、これまで大きな病気もせず、おおむね健康で生きてこられたこと、また、この年になっても、するべき仕事が与えられていることに感謝せずにはいられません。三心寺の住職を退任するまでに二年を切りました。体力や脳力の老化には歯止めがかかりませんので、今後どうなっていくのかはわかりませんが、1日1日その日できることを大切にして参りたいと願っております。


6月29日

奥村正博 九拝

 

 

三心通信 2021年5

 

 

2003年に三心寺の建築ができて、ブルーミングトンに移転して来た翌年、蝉の大群が発生して、あちこちの木の幹に、樹皮が見えなくなるほど張り付き、鳴き声も町中どこにいても聞けるほどで、驚きました。決まって17年ごとに大発生する、17年ゼミというのだと知りました。周期ゼミ、素数ゼミとも呼ばれていて、北アメリカ特有の蝉なのだそうです。「静けさや岩にしみ入る蝉の声」という芭蕉の俳句のワビ・サビの世界とは縁もゆかりもないただ圧倒的な騒音の世界でした。

 

あれから17年経った今年、5月の半ば頃から、庭のあちこちに、2、3センチの団子を半分に切ったのような土の盛り上がりができて、なんだろうかと不思議に思っていました。その半円球の土の塊をのけると、結構深そうな穴が空いていました。そして、4、5日前から、蝉の声が聞こえ始めました。木の幹だけではなく、草花の葉や茎にも取り付いて羽化した後が見えます。羽化するのは夜間ですので其の過程は見られませんが、朝見ると、まだ飛ぶ準備ができていないのか、抜け殻のそばに成虫がじっとしているのをみることができます。6月末まで、アメリカ東部、中部で数億匹の17年ゼミが発生するのだそうです。そのうち、掃いて捨てるほどのセミの死骸がそこら中に散乱するようになります。今朝、写真に取りましたので、添付いたします。

 

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17年間、地中に暮らし、地上に出て成虫になってからは、せいぜい2週間ほど、生殖活動をし、卵をうみつけるとすぐに死んでしまうのは、なぜなのか、17年ゼミの視点から見ると、地球環境や、生命のあり方がどのように見えているのか、興味があります。地中での生活がメインなので、陽の光もみず、地上の空気を吸わず、樹木の根から樹液を吸うだけで生きているのがどのような感じのものなのか、見当がつきません。それなりの喜びや、生き甲斐があるのでしょうか? 科学者の説のよると、天敵に遭いにくいように、13年とか、17年とか長い素数年の間隔をおいて、しかも一度に大量に発生すれば、いくら鳥やリスなどの動物に食べられても、何割かは生殖を完了することができるだろうという生き残り戦略なのだそうです。どの動物や植物にも害を及ぼすことのない昆虫としては、何か可哀想な戦略のように思います。

 

ともあれ、三心寺もあれから17年、無事に坐禅の道場として生息し続けることができました。20人ほどが得度を受け仏弟子になりました。10人以上の人が嗣法し、自分のサンガを持っている人たちもいます。三心禅コミュニティのネットワークもアメリカ、ヨーロッパに広がりました。日本人で出家得度を受ける人も出て来ました。それぞれは小さなグループにすぎませんが、大きな禅センターを作るよりも、小さなサンガの繋がりに重点を置いて来ました。何冊かの翻訳や著作も出版することができました。多数の人々のご支援のおかげでここまで、活動を続けられて来れたことに感謝せずにはおれません。しかし、次の17年後を考えると、おそらく私はもう生存していないでしょう。三心寺がどうなっているのかは、次の世代の人々におまかせするよりありません。

 

先月の三心通信で、昨年の臘八接心以来坐禅を休ませていただいていることを書いた部分に、「これほど長く坐禅を休むのは、バレー禅堂から日本に帰って清泰庵に入らせていただくまでの半年ほど、体が痛み、また坐禅をする場所もなかった時以来です。1981年でしたから40年ほども前のことです。」と書きましたが、間違いであることに気がつきました。1992年の7月に園部のお寺を出て、翌年の7月にミネアポリスに移転するまで、京都の修道院附属のお家におらせていただきましたが、その1年間は、小さなお家に家族4人でおりましたので、毎日坐禅をする場所はありませんでした。大津の山水庵で月に一度、日曜日に坐禅会をさせていただいたのが、唯一の坐る機会でした。謹んで訂正いたします。といっても、それも30年ほども前のことですが。

 

4月の末まで、私が通っているYMCAでは、入場者全員の体温を測り、コロナの症状がないかどうか確認していましたが、5月になってそれをしなくなりました。また、館内では運動中も必ずマスクを着用するようにとの張り紙がそこらじゅうに張り出してありましたが、先週からそれらも撤去され、マスクの着用をしなくても良くなりました。ビジターの数は、パンデミックが始まる前に比べるとまだ少数で、密になる危険は感じません。グループで毎日のようにバスケットボールの練習をしている人たちが戻って来ました。活気はありますが、歩行禅をしようとするには、騒々しくなったと感じてしまいます。私も、4月に2回、コロナのワクチンの摂種を受けました。ワクチンの接種がかなり進んで、この辺りでは、パンデミックの出口が見えて来たようにも思えます。しかし、規制が緩むと、揺り戻しがあるのでは無いかと心配にもなります。

 

5月13日から17日まで、5日間の眼蔵会がありました。講本は「正法眼蔵法性」と「十方」の両巻でした。今回は、私の講義を録画録音するためにアイオワ・シティから来てくれた人と、家内との2人だけが、禅堂にいました。Zoomによる配信もありませんでした。これから、録画したものをどのように人々に見てもらえるようにするかを決めます。

 

正法眼蔵法性」と「十方」の両巻は、1243年に道元禅師が越前に移転されて、吉峯寺滞在中に書かれた多くの巻の中で、「諸法実相」「無情説法」「仏経」などと同じ主題のもので、比較的短く、論点もはっきりしていますので、眼蔵の中では分かりやすいものだと思います。9回の講義で、2巻とも購読することができました。

 

宗務庁の宗典翻訳事業の「正法眼蔵」の英語訳が完成に近づいたので、原文の校正をするように依頼されました。原文と英語訳を対照し、詳しい注釈をつけた大部なものになるようです。春秋社版の「道元禅師全集」第1巻、第2巻(1991年、1993年刊行)と、英語原稿に打ち込んである原文とを比較する作業を始めています。1995年に始まった翻訳事業ですので、四半世紀をかけた大きな事業です。私もいささか関わったことのある事業ですので、早く完成するように願っておりました。これで、日本国外における「正法眼蔵」の研究は、格段に違ったレベルに達することになると思います。出版されるのはまだ2年ほど先だとのことです。

 

私の、長円寺本「随聞記」の英訳と「道元禅師和歌集」の英訳並びに解説とを一冊の本にする作業、Dogen Instituteから発行予定の、良寛詩についての本、などのブックプロジェクトも進んでおります。京都の安泰寺の頃からの友人のハワード・ラザリーニさんが英語訳に取り組んでいる内山老師の「観音経を味わう」も、翻訳第1稿ができて、訳文の見直しをされている所です。

 

面白くもおかしくもない日常の毎日の精進が歴史を作っているのだと感じています。

 

5月25日

 

奥村正博 九拝