三心通信 2023年3月

 

 

2月の中旬にボゴタから帰ってきた時、すでに暖かく、クロッカスの花が咲き、水仙の芽が出ていて驚きましたが、それからも順調に、光も春らしく明るくなり、木蓮やその他の花も咲き始めました。先週、2、3日寒くなり、最高気温が0℃にならない日があり、咲き始めた花たちが、また凍てついて死んでしまうのではないかと心配しました。幸いに寒波は長続きせず、お彼岸になると、春らしく暖かになりました。今日は春の暖かい雨が降りました。いくつかの木々の枝先にうっすらと新緑が見られるようになりました。境内の小さな草原はまだ茶色いままで、竹の葉も茶色くなっていますが、水分を得て、芝生はきれいな緑になりました。

 

3月1日から4日まで、ロスアンゼルスに行きました。今回は仏教関係ではなく、娘の葉子が演出した初めての長編映画が出来上がって、その試写会があり、家内と息子と3人でそれに参加するためでした。Unseenというタイトルですが劇場映画ではなく、ネット配信ですので、日本で見られるかどうかは分かりません。アメリカの映画界でも有色人差別や、性差別が問題になっている折から、日本人女性が監督し、主役2人も日系人女性俳優ということで、少し話題になっているようです。

 

1993年ですから丁度30年前に家族で日本からミネアポリスに移転した時、葉子は5歳で、幼稚園からアメリカ生活を始めました。よく育ってくれたものだと思います。自分が75歳になって、老化していくのも当然だと、納得しております。三心通信に書くことも、過去の思い出が多くなりました。愚痴や後悔は書かないように努力しておりますが。未来のことについては、この6月に退任するということまでしか見えておらず、その後のことは書こうとしても、何を書けばいいのか途方に暮れます。今回の人生、未来よりも過去の方が圧倒的に長くなったことは確かです。

 

7日から12日まで、内山老師のメモリアル接心がありました。私自身はそういう意味での信仰心がなくて、両親の年忌も師匠の年忌もしたことがなかったのですが、今年から、法光が始めてくれました。内山老師は1998年3月13日に、86歳で遷化されました。今年が遷化されて25年目になります。老師が亡くなられた夜が満月だったそうで、旧暦では2月15日、釈尊のご入滅、涅槃会の日でした。

 

当時私は、ロスアンゼルスに住んで、北アメリカ開教センター(現、国際センター)の仕事をしておりました。Dharma Rain Zen Centerと Zen Community of Oregonが共催した、涅槃会接心に講師として参加するためにオレゴン州の州都であるポートランド郊外のリトリート・センターにおりました。その時の涅槃会についての私の講義のなかで、内山老師の「生死法句詩集」から、「光明蔵三昧」と題した法句詩を紹介して話したことを覚えています。

 

「光明蔵三昧」

 

貧しくても貧しからず

病んでも病まず

老いても老いず

死んでも死なず

すべて二つに分かれる以前の実物―

ここには 無限の深さがある

 

大通・Tom Wrightさんと私の英語訳は;

 

Samadhi of the Treasury of the Radiant Light

 

Though poor, never poor

Though sick, never sick,

Though aging, never aging

Though dying, never dying

Reality prior to division –

Herein lies unlimited depth

 

「遺教経」の釈尊の最後の説法に「今より已後、我が諸の弟子、展轉して之を行ぜば、則ち是れ如來の法身、常に在して滅せざるなり。是の故に當に知るべし、世は皆無常なり。會うものは必らず離るること有り。憂悩を懐くこと勿れ、世相是の如し。 當に勤め精進して、早く解脱を求め、智慧の明を以て、諸の癡闇を滅すべし。 世は實に危脆なり、牢強なる者無し。」とあります。内山老師のこの詩は同じことを表現されているのだと思います。

 

無常の世界のなかに無常の五蘊の組み合わせである身体で生きて、今ここ、無常に目覚める修行のなかに如来の常在不滅の法身が常にあって滅することはないというのが、釈尊の入般涅槃という、まさに無常の真ん中で教えられたことでした。逆に言えば、我々が修行しなければ不滅の法身などはないということでしょう。そのことについて、seeing impermanence, realizing eternity (無常を観じ、永遠を現成する)を中心として話したのでした。

 

その接心が終わって、ロスに帰ると京都の鷹峰道雄さんからの留守番電話が入っていて、内山老師が遷化されたということでした。すぐにこちらからお電話をすると、すでにご葬儀が終わったところだということでした。その翌月だったと思いますが、老師追悼の5日間の接心をしました。ロスからそれほど遠くないオーハイに住んでいた、安泰寺の頃からの友人のArthur Bravermanさん始め、数名の人々が一緒に坐ってくれました。

 

その年の6月22日に私は50歳になりました。仕事で日本に滞在中でしたが、その日は何も予定を入れずに、京都に行きました。それまでは、たとえお訪ねすることはできなくても、京都に行けば老師がおられるということが、ある種確実なこととして、心の支えとなっておりました。これからは京都に来ても老師はおられないと思うと、私の世界が永遠に変わってしまったような気がしました。そして、私の今回の人生で仕事ができるのは75歳くらいまでだろう。その生産的な時間の3分の2はすでに過ぎてしまった。あと25年間はできるだけ仏法のために働かしてもらって、75歳になれば引退して、老師のように自分の生死を真っ直ぐに見つめる生活をしようと決めました。ミネアポリスの禅センターでの任期を終えて、老師に教えられた坐禅修行と仏法の参究ができる道場を創立するために三心禅コミュニティを1996年に創立しましたが、その道場の候補地を探し始めたばかりの時に、ロスに移転して開教センターの仕事を始めることになりましたので、三心寺創立の計画はまだ軌道に乗らない頃でした。

 

それから、早くも25年がたって、あと3ヶ月、その時に決めた通り75歳になる今年の6月に三心寺の住職を退任できることになりました。2003年に三心寺が出来て20年間、一緒に坐禅修行をし、仏法の参究をし、三心寺を支えていただいた、アメリカ、日本、その他の、すべての方々に感謝しなければなりません。

 

今回の接心の最後の日、12日の日曜日に法話をしました。2006年から16年ほど、日曜坐禅会の法話では、Opening the Hand of Thoughtについて話しています。毎回パラグラフ1つずつ位、ゆっくりと話しています。今回が私の記録では244回目でした。現在は、最後の第8章The Wayseekerの話をしています。これは、内山老師が1975年の2月に安泰寺での最後の提唱として話され、後に柏樹社から「求道者」という題で刊行された本に収録されたものの英語訳です。もともと、バレー禅堂にいた頃に一緒に坐禅していた人たちの希望で私が訳したものでした。このなかで、老師の「思いの手放し」という表現をなんとかletting go of thoughtという普通の英語を使わずに訳したいと思って使ったのが、opening the hand of thoughtでした。Tom Wrightさんも Arthur Bravermanさんも、これは英語ではないと言って、賛成してもらえませんでした。それが、1993年に出版される時にはこの本のタイトルとなるとは、私自身想像もしていませんでした。

 

退任する前に、この本についての話を完了できれば丁度良い区切りになると考えていたのですが、私が法話をする機会が減ったので、それは不可能になりました。7項目について話された中の1番目、「人情世情でなく、ただ仏法のために仏法を学し、仏法のために仏法を修すべきこと」の部分があと1回で終わるところです。引退後も、もうしばらく続きそうです。法話のあとに、老師のご遷化、25周年の法要がありました。久しぶりに導師を勤めました。

5月の眼蔵会の準備はまだ進行中です。幸に今までの眼蔵会より時間の余裕があるので、これまで調べることができなかった細かいところまで、可能であれば、なるべく原典にまで遡って調べています。添付の写真は、今月の三心寺のニュース・レターに掲載された昨年のvirtual genzo-eの私の講義の様子です。禅堂では、テクニカル・サポートの人と数名のブルーミントン在住の人々だけが聴講しました。眼蔵会だけではなく、坐禅だけの摂心も、Zoomを通じて世界中どこからでも参加できるようになっています。アイスランドから、今月の接心に参加して、三心寺の坐禅堂で坐っているように感じたという手紙をもらいました。坐禅堂がスタジオのようになっています。パンデミックの前には考えられなかったことですが、コロナ禍の置き土産として、これからも多かれ少なかれこのようなやり方が続いていくようです。

 

2023年3月23日

 

 

奥村正博 九拝