三心通信 2023年

 

 

新緑の季節になりました。YMCAに行く途中のモンテソーリの学校の前の芝生にスミレやタンポポの花が咲いて、良寛の和歌を思い出すような光景もありましたが、すでにタンポポはほとんど綿毛になっています。三心寺の境内の小さな草原も緑を回復しています。

 

4月の中旬には暖かくなり、25℃を超える日もあって、半袖の Tシャツで外を歩いても汗をかくくらいでした。しかし、この数日は、また温度が低くなり、今朝の最低温度はマイナス1℃、午後でも10℃より少し上程度でした。この気温の変化と湿度の影響か、腰や足の付け根が痛くなり、この2、3日、椅子に長く座るのもつらくなりました。椅子に座ってデスクトップのコンピューターで仕事をしたり、立って机の上でラップトップを使ったり、寝ころんだりと、ひんぱんに姿勢を変えなければなりません。5月3日からの眼蔵会まで、10日ほどしかありませんので、それまでに立ち直れるように願っております。

 

残念なことに、三心寺ができてすぐに植えた桜の木が枯れる寸前になりました。花もあちらこちらにちらほらとしか咲かなくて、新しい葉もごくわずかしかありません。数年前から、幹が割れ、その部分が何かの病気にかかったようでしたが、昨年まではなんとか枝枝の全体に花を咲かせていました。植えてから2、3年後、2006年の若木で元気だった頃の写真を添えます。これまで20年間、いかにも春らしく、境内を飾ってくれましたが、無常の姿ですからしようがありません。私の退任があと2ヶ月に迫っていますので、世代の交代を告げているのかもしれません。

今月は、眼蔵会の準備以外には、毎月Dogen Instituteのサイトに寄稿している道元禅師の漢詩の註解と三心通信のこの原稿を書くことだけしかしていません。面山瑞芳和尚が作った道元禅師の漢詩集である「洞上句中玄」(1759刊)には、「永平広録」に収録されている400以上の漢詩の中から150首を選んであります。「永平広録」の第10巻には、120首ほどの漢詩が集められていますが、その他は全体が漢文で書かれている大きな書物のあちらこちらに上堂の部分として収められています。序文には道元禅師の漢詩には、大蔵経の玄旨が表現されてあるのに、まだ漢文に慣れていない若い雲水たちが漢詩だけを読むことが難しいので、選集したと書かれています。

 

面山和尚は当時刊行されていた卍山本の「永平広録」から選んだのですが、現在、より多く読まれている門鶴本の詩とは違っている部分があります。句中玄の順番通りに註解をすすめていますが、漢詩は門鶴本を底本として、太源レイトン師と訳した全訳本Dogen’s Extensive Recordの英語訳を使っています。卍山本と違いがある場合は、その点を指摘しています。今月、65番目の1248年12月の上堂からの「謝監寺」と題した詩について書きました。まだ半分にも達していないので、今回の人生の間に完成できるかどうかわかりません。退任した後、時間に余裕があれば毎月一首ではなく、速度を上げて書けばできるかもしれません。現在進行中の3冊の本を書き上げなくてはなりませんし、どうなる事かわかりません。6月以降のことは、まだ考えないようにしております。

 

1月の「三心通信」に、「眼蔵佛性」の巻パート3の南泉と黄檗の「定慧等学、明見佛性」「不依倚一物」の問答についてちょっと書きましたが、黄檗の答えについて、道元禅師はコメントの中で、「依倚不依倚」と「依倚」と「不依倚」を並べて書いておられます。この場合、黄檗の発言の中での意味とは違って、「依倚」が否定され「不依倚」でなくてはならないと言われているのではないと思って、どういうことかと考え続けてきました。

 

私は、駒沢大学で勉強したことと、内山老師の提唱を聞いた以外、仏教も「正法眼蔵」もほとんど独学ですので、幅広い仏教学の知識もなく、いわゆる「伝統宗学」も理解できない部分の方が多いので、道元禅師が論じられていることについて、それほど複雑ではない初期仏教で何か言われていることはないかと探すようにしています。初期仏教の主なものは、パーリのニカーヤも含めて英語訳があるので、英語で話すのに便利だということもあります。「スッタニパータ」の「他に依るものは動揺す」という表現が出ている、「二種の観察」と呼ばれる部分を、二種の日本語訳と二種の英語訳で読んでみました。この経は短いものですが、釈尊の「縁起」についての、アビダルマ化される以前の教説の大要が書かれているものです。

 

経名になっている「二つの観察」というのは、十二支縁起の順観と逆観にあたるものです。四聖諦の苦諦(苦しみ)と集諦(苦しみの原因)を観じるのが一つ目の観察、滅諦(苦しみの止滅)と道諦(苦しみの死滅に至る道)を観じるのが、二つ目の観察です。宮坂宥勝訳では、

 

752: 依存しない者は〔心が〕動揺することがないが、依存している者は執われていて、このような状態から他の状態への輪廻を超えない。

753: 「もろもろの依存には大いなる恐怖がある」という、この煩いを知って、依存することなく、執われることなく、正しい想念をもって、行乞者は遍歴するがよい。

 

中村元訳の岩波文庫本は、

 

752:こだわりのない人はたじろがない。しかしこだわりのある人は、この状態からあの状態へと執着していて輪廻を超えることがない。

 

となっていて、内山老師の著書で引かれる「他に依るものは動揺す」と言う表現に長年親しんでいた私は、この個所を探し出すのに時間がかかりました。

 

我々は様々な外界の対象について、それについての快、不快、どちらでもない、などの自分の感受にもとづいて名前をつけ、好き/嫌い、意味/無意味、価値/無価値などの分別をし、それにこだわって、その物やそれについての分別に依存してしまいます。個人的な感受の経験に基づいた分別だけではなく、文化や伝統、また現時点での社会の潮流によって規定された価値観の枠組みのなかで、好ましいものは追いかけ、好ましくないものからは逃げようとして、浮いたり沈んだりの輪廻の生き方を始めてしまいます。ここで釈尊は「依存しない」という言葉を、そのような依存をやめるという意味で使われています。黄檗の「不依倚一物」も全く同じ意味だと分かります。

 

しかし、道元禅師の「依倚不依倚」はそう言う意味ではないように思います。この場合の「依倚」は大乗の縁起の相互依存、相依性のことで、私たちの心が何か対象物に固着するというせまい意味ではなく、一切の物事が相互に依存していると言う意味だと思います。すべてはインドラ網のなかで相依相関しているので、「不依倚」と言うことはあり得ません。むしろ、自分が誰にも、何にも依存していないと思うことが妄想になります。

 

しかし、道元禅師が「現成公案」で言われる、前後際断して、薪が薪の法位に住している長さのない絶対的現在には、「依倚」と言うことはありません。長さのない「今」だけです。それは、始めのない始めから、終わりのない終わりまでが切れ目のない、流れることのない永遠の時間とブッ続いています。それが「十二時中たとひ十二時中に所在せりとも、不依倚なり」と言われる意味だと思います。

 

同じことが、空間である、国土にも言えます。多数の場所のひとつとしての「ここ」と、距離も大きさもなく、位置だけしかない絶対の「ここ」と、全宇宙、全空間をひとつとしてその中に全てを含んだ、「尽時尽界尽法」の「ここ」も同じです。自己についても同じことが言えて、多数の人の中の一人の「個」としての自己と「無我」無実体の自己と、一切と繋がり一切を含む「尽一切自己」と全く同じものです。私はこれを1=0=∞と表現しています。1である、「今−ここ−自己」は万物と相互依存(依倚)するしか存在の仕方がありません。しかし0=∞は「不依倚」であり、内山老師の表現で言えば、「他との兼ね合いなし」です。これは、釈尊黄檗が言われる、私たちの心がこだわり、依存していると言う意味での「依倚」「不依倚」とは違うものです。道元禅師は佛性をそう言う意味での「諸法実相」として表現されているのではないかと考えています。

 

 

 

2023年4月24日

 

 

奥村正博 九拝