三心通信 2023年1月

 

 

昨年末に厳しい寒波が来ましたが、それ以降、気温は平年並みで、曇りや雨降りの日が続きました。きれいに晴れる日は数日に一回という感じでした。昨日からまた寒くなり、昨夜から今朝にかけて雪が降りました。今年初めての雪景色になりました。苔庭に吊り下げてあるバード・フィーダーに赤いカージナルがひまわりの種を食べに来ていました。写真の左隅に写っている小さな赤い点がそうです。大きな写真はWikipediaから拝借したものです。

この鳥は1985年までは単にcardinalと呼ばれていたそうですが、現在では正式にはnorthern cardinalと呼ぶのだそうです。Red birdとも呼ばれています。日本語名を調べるとショウジョウコウカンチョウ(猩々紅冠鳥)というながったらしい名前でした。ショウジョウ(猩々)というのは中国の古典に出る架空の動物で、猿に似ていて、酒が好きだそうです。オランウータンだという説もあるそうです。その架空の動物とこの赤い鳥とどういう関係があるのか気になって調べてみました。

 

能に「猩々」という演目があって、赤い着物を着ているところから、赤い色と関連して使われるとのこと。猩々のように赤い色をしていて、紅色の冠のようなとんがった頭をしているという外観から付けられた名前のようです。英語のCardinalはカトリック枢機卿という意味ですが、枢機卿は赤い衣を来ているから、この言葉は「赤」の代名詞として使われていて、オスの色からこの鳥の名前になったのだそうです。高位の聖職者である枢機卿と酒好きの猩猩とが繋がって面白いと思いました。メスは赤みがかったオリーブ色です。アメリカの中西部では広く親しまれている野鳥です。以前は愛玩用に鳥籠の中で飼われていたこともあったそうですが、現在では禁止されています。インディアナ州はじめ7つの州の州鳥でもあります。カージナルスという大リーグの球団の名前としても知られています。

 

年末から、今月初めにかけては、曹洞宗国際センターの「法眼」誌に連載している「正法眼蔵観音」の原稿を書きました。その連載第7回で、最終回になります。眼蔵会で「観音」の巻を講本としたときの講義のトランスクリプションに訂正加筆して、読めるものにしました。まだセンターから依頼をいただいていないのですが、例年2月末が締め切りなので、今回は早い目に書いておこうと決めました。2月に南米のコロンビアに行く予定があるからです。私の原稿を弟子の正龍にエディットしてもらわなくてはなりませんので、少なくとも2週間は余分にみておかなければなりません。

 

「法眼」誌は曹洞宗国際センター(元の名称は北アメリカ開教センター)が設立されて、私が所長になった1997年に創刊されました。年に2回の発行で、現在50号まで刊行されています。何年か前に紙での刊行は停止され、現在はオンラインのみです。曹洞宗のサイトである、sotozen-net.or.jp からアクセス可能で、プリントもできます。最初、私が開教センターの活動として始めた「現成公案」の講義のトランスクリプションをもとにして作った原稿を掲載していました。その連載は11回続き、それをもとにRealizing Genjokoanという本ができWisdom社から出版されました。後に宮川敬之師によって日本語に訳されて春秋社から2021年に出版されたものです。その後も、「正法眼蔵」の中の比較的短い巻を選んで連載を続けてきました。これまで「菩提薩埵四摂法」、「摩訶般若波羅蜜」、「全機」、「一顆明珠」、そして「観音」と、ほぼ25年間連載を続けてきました。今年の6月に三心寺住職を退任するのを機会として、今回を最後にしていただくようにお願いしております。

 

2月のコロンビア訪問は、弟子のQuintero伝照の晋山式に出席するためです。伝照は、若い頃にフランスで坐禅をはじめ、得度も受けたのですが、その頃は日本の宗務庁との関係がなく、僧籍登録はされませんでした。曹洞宗の僧侶になることを希望して、2001年に兵庫県の安泰寺で時の住職の宮浦信雄師の得度を受けました。宮浦師の遷化の後、2005年に師僧替えをして私の弟子になりました。ブラジルの両本山南米別院仏心寺で伝照が首座法戦式をさせていただいた折には、采川道昭総監のお招きで、「教授戒文」の講義をさせていただきました。私から嗣法もし、教師資格もできて、本格的にお寺の創立のために努力するようになってすでに10年以上が経過しました。長年の努力が実って、創立した大心寺が曹洞宗の海外寺院として認可され、晋山式を行う運びになりました。

 

5月の眼蔵会の準備として「正法眼蔵佛性」パート3の参究を続けています。現在、私の分科では第11章の南泉と黄檗との、「定慧等学、明見佛性」の部分を調べています。よく分からないのは、「南泉曰く、醤水錢且致、草鞋錢教什麼人還。(南泉曰く、「醤水錢は且く致く、草鞋錢は什麼人をしてか還さしめん」。)という言葉の意味です。昔の解釈本「お聞書抄」から始まって、岸沢維安老師の解釈でも、定慧等学と醤水錢、明見佛性と草鞋錢とが結びつけられ、一方が「不管(免除する)」、もう一方は「誰をして返還させる」のか、とされています。私にはどうしてそういう結びつきが可能なのかがわかりません。10月号に紹介した唐子正定さんの本も岸沢老師の解釈を踏襲されているようです。

 

私にはこの言葉は、「定慧等学、明見佛性」ではなく、黄檗の言った「十二時中不依倚一物始得。(十二時中一物にも依倚せずして始得ならん)」についての南泉の批判的追及とした方が理解しやすいと思います。1日中、何物にも依存しないという黄檗の答えはたいしたものだけれど、そういう見処を得られるようになったのも、師匠である百丈や、この南泉の道場で修行、参学できたからだろう。叢林は仏道修行の後継者を育てるための場所だから、安居中の食費を返せとは言わないけれども、これまで何年も行脚してきた草鞋代、その他、一般の人々から受けてきた恩義はどうして返すのか?「不依倚一物」などといっても、人々に支えられ、依存していなければ仏道修行もできないだろう、という詰問だと理解した方が納得できるのではないかと思います。

 

釈尊が「他に依るものは動揺す」と言われ、「犀の角のように一人歩め」、と言われながら、食糧、衣類、その他生活するのに必要なものは完全に人々、あるいは社会からの喜捨に依存され、またそうすべきだと教えられていたこととの関係はどういうことなのか。私にとっては、内山老師の「自己ぎりの自己」、「他との兼ね合い以前の自己」とは何なのか、全てのものが相互依存しているインドラ網の中で、「不依倚一物」などということがあり得るのか、あり得るとしたら、それはどういうことなのか」との問いかけだと思います。

 

数日前に、低いところにあるものを取ろうとして膝を曲げ、腰をかがめた時に左側の膝に、激痛というほどではありませんでしたが、かなりの痛みを感じました。これまで、坐禅をしたり、正座で座る時には両膝とも痛かったのですが、それ以外の生活行動の中では、右膝には痛みがありましたが、左膝はそれほどでもなかったので、心配になりました。現在のところ、真っ直ぐに立っている分には、歩いても大丈夫なようで安心しました。しかし膝を曲げて、体重をかけるような姿勢はしないほうがいいようです。2月のコロンビアへの旅行に支障がないように願っています。

2023年1月23日

 

奥村正博 九拝