三心通信 2022年

 

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今年の元旦は暖かくて、気温が15℃ほどもありましたが、その後寒い日が続いています。今朝の最低気温はマイナス9℃でした。最高気温もマイナス2℃だとのことです。昨夜、雪がふって、白く寒々としていますが、うっすらと地面を覆っているくらいです。今冬はまだ本格的な積雪はありません。リスたちだけが忙しそうに走り回っています。

 

昨年までは、いくら寒くても歩いてYMCAに行っていましたが、最近、午後になっても氷点以上に上がらない日には、外を歩くのが億劫になりました。そういう日には、自動車で行くか、サボって家にいるかになります。身体を動かさないと何か調子が良くないので、なるべく出かけるようにしていますが、やはり年齢のせいのようです。なにくそと反発して困難に立ち向かうという精神は薬にしたくてもなくなりました。

 

例年通り、正月の三ヶ日はお寺の活動もお休みでした。その後、もとにもどり、週日、朝の坐禅、夕方の勉強会などが始まりました。3日間の接心もありました。これらの活動は全て法光と何人かの人たちが中心になって行っています。以前は私が全ての摂心、リトリート、日曜参禅会の法話、勉強会、略布薩などを行っていましたが、現在は、法光が摂心や勉強会を担当し、二、三人の長く三心寺で参禅している出家者が法話などもしてくれるようになりました。

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私は月に1度、日曜日の法話を担当する程度です。9日の日曜日には、Opening the Hand of Thoughtの第8章、内山老師が1975年の2月、安泰寺から引退される際にされた提唱、「求道者Sayseeker」の第3回目で、7項目のうちの第1項「人情世情ではなく、ただ仏法のために仏法を学し、仏法のために仏法を修すべきこと」の部分で、まず仏法とは何かを話しはじめられる部分でした。内山老師は仏法とは何かを語られるのに、石頭希遷と天皇道悟の「長空白雲の飛ぶを礙えず」についての会話を紹介されています。

 

この則を話される最初に、「昭和20年から23年までの間、丹波の十方寺にいた時分、この則をみて非常に感銘した。それで沢木老師に「長空不礙白雲飛」というのを書いてもらった。その額が今、安泰寺にかかっている」と言われています。確かに沢木老師のこの句の額がかかっていたのを思い出しました。それともうひとつ、老師が最初に出版された「自己」の中に大空と雲のことを書かれている部分があって、高校生の頃に読んだ記憶が蘇りました。仏教について何も知らない高校生にも良くわかるように仏法を説明されていました。それで、今回はその部分を私が訳したものを紹介しました。大法輪閣から再版された「自己:ある禅僧の心の遍歴」では、27ページから始まる「坐禅という最高文化」の部分です。

 

「物足りようの思いでかけずりまわる自分」と、「そんな思いをつき放してどっかり坐禅している自分」との関係を大空と雲の関係として説明されています。十方寺で石頭の則を読んでうけられた感銘とはこのことだったのだと思い至りました。英語に訳したものも、ほとんど説明しなくてもわかるように、仏教や禅の専門語を一つも使わないで、坐禅とはどういうものかを説明されています。17歳でこの本を読んで以来、このことが私の坐禅の理解の基本になっています。思えば、この教えに導かれて、今まで歩いてきたのでした。

 

その後は、「正法眼蔵佛性」と「見仏」の英語訳に専念しました。三心寺の住職を退任する2023年の6月までに、三心寺での眼蔵会が3回、それとノースカロライナ州のチャペルヒル・禅センターでの眼蔵会が1回、あります。三心寺での3回の眼蔵会には「佛性」を3回に分けて参究し、チャペルヒルでは、「見仏」を読むつもりで、そのテキスト作りです。

 

「佛性」はこれまで、開教センターの月例勉強会、サンフランシスコ禅センター、ミネアポリスのダルマ・フィールド・禅センターでの眼蔵会で、少なくとも3回は全体を通して話しましたが、自分で翻訳ができるとは思えなかったので、The Heart of Dogen’s Shobogenzo(State University of New York Press 発行)に収録されている Norman Waddellさんと阿部正雄さんの共訳をテキストとして使いました。今回はなんとか自分で訳したものを使って講読したいと願っております。およそ3分の1ほど、四祖、五祖の無佛性のあたりまで訳し終えました。これで、今年5月の眼蔵会のテキストとしては十分だと思います。

 

ここ数年の眼蔵会で、1243年に越前に移られた年に書かれたものを読んできましたが、「見仏」の巻は、その続きです。1244年までは多くの巻を書かれていますが、大仏寺の安居が始まった1245年以降は、新しい叢林の修行を確立するのに時間のエネルギーを使われたのだと思いますが、眼蔵の著作は少なくなり、それに代って、「永平広録」に収録されている法堂での上堂が多くなります。

 

これまで三心寺の禅戒会で「教授戒文」をテキストとして講義してきたものを1冊の本(「仮題「菩薩戒の参究」」になるようにまとめる作業を始めておりますが、今のところ眼蔵会のテキスト作りに時間を取られていてあまり進んでいません。

 

現在、第五不酤酒戒という不思議な戒のところで、滞っています。出家受戒した時には私は大学生でした。卒業すれば僧侶として生きていくつもりでしたから、買ったり飲んだりすることはあっても、酒を販売する可能性はゼロでした。どうして「酒を販売してはいけない」という戒を受けなければならないのか、理解できませんでした。不飲酒戒は原始仏教から、比丘戒としても、在家戒としてもありますが、「梵網経」の十重禁戒ではどうして不酤酒戒になり、不飲酒戒が48軽戒の一つにまわされたのか、よく分かりません。大乗戒としては、飲酒は自分が酔っぱらうだけだけれども、酒を売れば多くの人に酒を飲ませ、酔わせるから、その方が罪が重いという理屈ですが、戒や律がそのような理念的な理由だけで設けられることはないように思います。自分で飲酒しなければ、酒を造ったり、売ったりすることはいいだろうと、酒造業や酒の販売をする仏教徒が出てきたとかいうような社会的、現実的な問題があったのでしょうか。あるいは、商業に従事する在家仏教徒のあいだで、異教徒は酒の販売をしているけれども、大乗仏教徒としては酒の販売には手を出さないと自粛するための戒だったのでしょうか。漢訳された経典で不酤酒戒がでるのは「優婆塞戒経」だけで、中国でできたと思われる「梵網経」はその影響を受けたのかも知れないということですが、どうも良く分かりません。

 

穀物や果実で作る飲料の酒だけでなく、間違った思想や情報を人に吹き込んだり、社会に撒き散らすことが酤酒にあたるというのが不酤酒戒の説明ではいつも言われます。そして私も受戒する人たちに戒の説明をするときにはそのように言ってきました。万仭道担の「禅戒本義」では「仏祖正伝の坐禅を、酒を酤らざるの戒とするもの也」と言われています。沢木老師も「禅戒本義を語る」で「只管打坐をここに不酤酒戒と参ずる」と言われています。結論としては、それに間違いはないと思います。しかし、それでは、「酒」というのは人々を酔わせたり、惑わせたりするもの一般の代名詞にすぎないのでしょうか?これは、いわば、全くの理念としての戒(理戒)であり、現実的な倫理(事戒)としての意味はないのでしょうか? 少なくとも日本で、酒を販売する人たちは受戒できないとか、仏教徒酒類の販売に従事してはならないというような主張を聞いたことがありません。自分自身酒を飲みますので、後ろめたいということもあってでしょうが、酒についての戒についてはあまり深く考えたことがありませんでした。

 

オミクロン株の影響がブルーミントンでもでてきました。坐禅にくる常連の一人が感染し、二人が感染かどうかは分からないが、風邪の症状があるとのことで、1週間お寺を閉鎖することになりました。まだまだパンデミックの出口が見えないようです。2月に3日間のリトリート、3月に同じく3日間の摂心、そして4月から以前のように夏期安居を予定しております。予定通りに行持ができるように願っております。

 

 

2022年1月28日

 

奥村正博 九拝

 

追伸:

今冬初めて雪景色になりました。積雪はせいぜい1㎝乃至2cmですので、大したことはありませんが、今日の最低気温はマイナス15℃、午後3時でも、マイナス6℃です。YMCAには行かないことに決めました。

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