三心通信 2022年11

 

今月3日から7日までの眼蔵会が円成してしばらくは暖かい日が続いたのですが、12日に急に寒くなり、2、3cm程度ですが雪が降りました。翌13日、ロスアンゼルスに出発する日には晴れましたが、温度は回復しなかったので、どのような服装で行けばいいのか迷いました。とりあえず、長袖の下着と、ジャケットを来ていきました。ロスアンゼルスでは、最低気温が10℃前後、午後には25℃ほどになりました。通りの日陰になっている側を歩くのが、やや涼しくて気持ちよく感じました。18日夕方にブルーミングトンに帰って来た時には、氷点以下になっていました。ロスアンゼルスとの温度差に驚きました。そ後、3日ほど寒い日が続きましたが、現在はやや回復し、最低気温は氷点下5℃ほどまで下がりますが、日中には10℃以上になります。地面を覆っていた落ち葉もあらかた掃き集められて、例年通りの冬の景色になりました。秋に晴天が続いて乾燥していたいたあいだ、苔の緑も色あせていましたが、雪が降ってから少し回復したようです。



三心寺のコロナ対策として、飛行機での旅行から帰って来た時は、5日間自己隔離をし、その後テストをして陰性であることを確認してから、人々と会ったり、公共の場所に出たりできることになっています。23日が5日目でした。テストの結果が陰性でしたのでことなきを得ました。

 

月はじめにあった眼蔵会は、数名の人たちだけが三心寺の禅堂で、坐禅を含んだ通常の差定通り修行しました。市外からの人たちにはオンラインで参加していただきました。パンデミックが始まってからこの方式が定着しました。それ以前は、20名ほどが受け入れられる限界でしたが、一緒に7炷の坐禅をし、講義を聞いてもらっていました。オンラインでの眼蔵会が始まってからは、アメリカ各地のみならず、ヨーロッパ、オーストラリア、日本から参加していただく人たちもあって、眼蔵参究の輪が広がったことは確かです。話をする方としては、聞いてくれている人たちの顔をみながら、話す方が手応えがあるのですが、おそらくパンデミックが収束してからもこのやり方は定着していくのだろうと思います。もっとも、私の眼蔵会は来年の5月で最終回ですが。

 

正法眼蔵佛性」パート2のメインになるのは、龍樹尊者の「身現佛性」の部分でした。「この身現は、先須除我慢なるがゆゑに、龍樹にあらず、諸佛體なり。以表するがゆゑに諸佛體を透脱す。しかあるがゆゑに、佛邊にかかはれず。」

 

私たちが坐る坐禅は、誰でもない私たち自身の身体と心(五蘊)を結跏して坐るのですが、「先須除我慢」、まず私たち自身の「我」に基づいた思いを手放して坐っているのですから、私(正博)の意欲と、目的意識に基づいた個人的な営為ではありえません。坐禅は佛性を表しているのですが、事実として、私の身心で坐っているわけですから、佛性そのものでもありません。佛性は表現されてあるだけです。ですから、衆生の世界と相対する仏の領域にかかずらっているわけでもありません。これは、道元禅師独自の非有非無中道、不一不二を表す論理なのだと思います。龍樹だけれども、龍樹ではない。佛性だけれども、佛性と呼ばれるなにものかが存在しているわけではない。ある意味では、一種の仮構の存在と空間が描き出されているように思えます。(「思う」だけが余計ですが。)

 

ロスアンゼルス禅宗寺での、北アメリカ国際布教100周年の記念行事として行われた授戒会に説戒師として参加させていただきました。委嘱を受けたときには、もう坐禅も正座もできないので、お役に立たないからと辞退しようとしたのですが、聞き入れられませんでした。授戒会に随喜したのは、日本では1回だけ、アメリカでは20年前の80周年記念の時の1度だけでした。どちらも、表舞台には立つことのない役目でしたので、今回が初めてのようなものでした。

 

三心寺創立以来、毎年7月に禅戒会を行い、その最終日に授戒をしてきました。戒師の責任として、「教授戒文」、「梵網経」の十重禁戒の部分について、説明して来ましたので、話の内容はある程度身についたものでした。しかし、今回聴いていただくのは三心寺の参禅者ではなく、既にご自分で授戒をしていられるアメリカ人の宗侶もあり、若い僧侶の方々もおられました。また日本人の僧侶でお手伝いに来ておられた方々もありました。100人の戒弟の中には、禅センターのメンバーの人たちもあり、日系アメリカ人の方々もおられましたので、話の内容として、どのあたりに焦点を当てればいいのか難しい点がありました。また、このような大きな法会に慣れていないので、場違いな空間に迷い込んでいるような感じもしました。

 

アメリカ開教100周年ということですが、私がマサチューセッツ州のパイオニア・バレー禅堂で修行するためにはじめてアメリカに来たのは、1975年でしたので、数えてみると47年前になります。1981年から1993年まで日本にいた間も、主にアメリカやヨーロッパから来た人々と坐禅修行とテキストの英訳をしていましたので、100年の中の半分近くの年月、私も隅っこでですが、関わって来たことになります。信じがたいことですが、27歳だったのが現在74歳ですので、驚きです。

 

70年代は、禅ブームの最中で、鈴木老師が創立されたサンフランシスコ禅センター、前角老師のロスアンゼルス禅センター、片桐老師のミネソタ禅センター、ケネット老師のシャスタ・アベイなど、少数の禅センターが成長し、繁栄しておりましたが、法系間の交流というものはほとんどなかったように思います。また曹洞禅のテキストについても、「随聞記」の英語訳と鈴木老師のZen Mind Beginner’s Mind、内山老師のApproach to Zen (「生命の実物」の最初の訳、日貿出版刊)などごく少数のものしかありませんでした。また、禅センターと日系の曹洞宗寺院との関係も、指導者の出身母体というだけで、積極的な交流はなかったように思います。

 

1993年にミネソタ禅センターに移転した頃、禅宗寺で開かれた開教師の会議に参加しましたが、私の記憶が正しければ、殆どが日本人開教師で、アメリカ人は大圓ベナージュ師だけだったのではないでしょうか。日系寺院以外で、アメリカ人を主な対象として活動していたのは、ベナージュ師以外には、秋葉老師とバレー禅堂の藤田一照師と私だけだったような気がします。

 

1997年に秋葉老師が総監に就任され、私が北アメリカ開教センターの所長を務めることになりました。その頃に現在のASZB (Association of Soto Zen Buddhists)が創立され、ほぼ同時にSZBA (Soto Zen Buddhist Association)が創立されて、アメリカ国内の曹洞禅の横のつながりができ始めました。開教センターの初期の目標は、日本曹洞宗アメリカの曹洞宗系の禅センター、日系寺院と禅センターとの交流を深め、北アメリカの曹洞禅の共同体意識を促進することでした。最初は禅宗寺にオフィスをおき、2年後にサンフランシスコの桑港寺に移転しましたが、開教センターの所長としての私の仕事の一つは、各地の禅センターを訪問して、坐禅修行や道元禅師の教えの参究を通じて交流を深めることでした。

 

その頃からすでに30年がたち、秋葉総監老師の継続的なご努力、ご指導とその他の人々の協力によって、今回の授戒会が日本人僧侶のご指導とお手伝いを得て、アメリカ人の宗侶が主な配役を担って行われ、日系寺院のメンバーと禅センターのメンバーが戒弟として参加しての授戒会は、曹洞宗の国際布教活動の歴史の中で、画期的な集会であったと思います。

 

私の英語の著書、Living by Vow が、南米コロンビアの嗣法の弟子伝照・キンテロによってスペイン語に翻訳され、この度出版されました。伝照はまた、来年2月にコロンビアでは最初の晋山式を行います。私も随喜させていただく予定でおります。



目の前に、すでに臘八接心がせまっています。私は、2020年の臘八接心の最終日12月8日で、身体的に坐禅がつらくなっていましたので、得度してから50年が経ったのを期に、摂心への参加をやめました。しばらくは、日曜参禅会には坐っていたのですが、それもできなくなりました。ですので、坐禅に関していえば、私はすでに現役ではありません。来年6月には、三心寺住職から引退する予定です。ほぼすべての活動は現在副住職の法光を中心にして何人かが協力して進めてくれています。

 

12月7日の深夜まで坐禅があり、8日の朝食後、禅堂その他の掃除をして解散というのが例年の差定でしたが、今年はその日の午後に得度式があります。沢木老師の得度式も内山老師のも、私が得度を受けたのも12月8日でした。今回はアメリカ在住の日本人の女性2人が得度します。私にとってはこれが最後の得度式になります。

 

2022年11月25日

 

 

奥村正博 九拝