三心通信 2022年10

 

 

この1週間ほど、こちらで言うインディアン・サマーで暖かい日が続いています。それ以前には、霜が降った朝もありましたので、外に出る時にはジャケットを来ていましたが、今はティーシャツだけでも大丈夫なほどです。一昨日、曇天で、風が強く、時おり雨が降りましたので、また気温が下がるのだろうと思いましたが、昨日、今日とまたよく晴れて、暖かく爽やかな、清秋というにふさわしい天候になりました。紅葉の盛りは中旬に過ぎ、落葉が進んでいます。先月、小さな草原に君臨していたsnakeroot(丸葉藤袴)も色があせてしまいました。goldenrod(金の竿)も、日本名であるセイタカアワダチソウ(背高泡立草)と呼ぶ方が相応しくなりました。

 

セイタカアワダチソウという長い日本名はどういう人がつけたのでしょう。英語の名前のイメージと違い過ぎています。この植物に対するレスペクトが感じられません。花が枯れて綿毛になってからの、決して美しくはない形状を表現しているのだと思いますが、老衰の姿を名前にされては、ご本人としては不本意だろうなと思います。日本や中国では、侵略的な外来種としていまでも警戒されているそうです。50年ほど前、この花がのさばり始めていた日本では、同じく北アメリカ原産のブタクサ(hogweed)と混同されて、アレルゲンだと疑われていました。決して好意的に見られていなかったことは確かだと思います。しかし、若くてきれいに咲いている時の花のイメージが表現されている英語の名前との差が大きすぎるように思います。それに、この辺りに咲いているgoldenrodは、それほど背高ではありません。かなり高くなるものも中にはありますが、多くは、私の腰のあたりくらいですから、1mほどだと思います。日本では土壌が肥えていたせいか、私の身長よりも高く、2m以上もありそうなのが川原や休耕田や空き地を占領していたような記憶があります。また、goldenrodは薬効もあり、花はハーブ・ティになり、この花から取れる蜂蜜はゴールデンロッド・ハニーと呼ばれて人気があるそうです。

 

こちらでは、goldenrodについて、ネガテイブなイメージは全くありません。日本でセイタカアワダチソウがススキの天敵としてきらわれているのと同じで、こちらではススキがgoldenrodの競争者として嫌われています。どちらにしても、それらの植物が悪意を持って他所の土地を侵略したのではなく、人間が人間の都合で運び込んだものなのに、植物たちに、良い、悪いの差別的判断をつけるのは、あまりに人間中心主義的なように思います。



9月中旬のChapel Hill Zen Center主催の眼蔵会が終わってから、少し休んで11月の三心寺の眼蔵会の準備に入りました。今回は「正法眼蔵佛性」の巻のパート2です。私の区分では、第5章の「嶺南人無佛性」、第6章「六祖無常佛性」、第7章「龍樹身現佛性」が含まれます。これまで、3回か4回、講義してきましたが、まだ、本当に理解できているのか、我ながら自信がもてません。これまでは、もともとEastern Buddhistという、京都で発行されていた英文の仏教誌に発表され、2002年にState University of New York PressからThe Heart of Dogen’s Shobogenzoというタイトルで出版された、Norman Waddel and Masao Abeの翻訳を使いました。自分で「佛性」の巻を翻訳できるとは思えなかったからです。今回、来年の三心寺住職から引退する前の最後の3回の眼蔵会に、「佛性」を3つのパートに分けて自分の訳を作り、それをもとに講義することにしました。パート1は、今年の5月の眼蔵会で読みました。今回はその2回目ということになります。

 

私の兄弟子の唐子正定さんの御著書「正法眼蔵佛性参究」(春秋社発行、2015年)を参考に読ませていただいております。十数年にわたる、滝見観音堂における参禅会での提唱の記録をもとにまとめられたものです。460ページの大冊です。

 

正定さんに初めてお会いしたのは、京都玄啄にあった安泰寺の接心に初めて参加させていただいた1969年の正月でした。私は二十歳で、駒澤大学の1回生でした。そのおり、4名おられた安泰寺の雲水さんのお一人が正定さんでした。無言の摂心でしたので、もちろんお話をさせていただく機会もありませんでした。その年の夏の夏季日課に参加させていただいた時、正定さんは、大阪の英語学校に通って英語の勉強をしておられました。次の年、アメリカのマサチューセッツ州に行かれるとのことでした。

 

1970年の12月8日に私は得度をさせていただいたのですが、その時にはすでにアメリカに行かれておりました。次にお会いしたのは、1973年の冬だったと思います。1972年に駒澤大学を卒業し、安泰寺に安居しておりましたが、その年の11月、臘八接心の前から半年の間、埼玉県新座市滝見観音堂におりました。その時は、内山老師は安泰寺から引退された後、滝見観音堂に移転される予定でしたので、それまで雲水が3人ほど留守番として、托鉢をしながら坐禅修行をしておりました。私が観音堂にいる間に3年間アメリカに滞在されておられた正定さんが帰国されて滝見観音堂においでになられ、しばらく滞在されたのでした。その間に、もう一人の方と一緒に高尾山にハイキングに行ったことを覚えております。その後、正定さんは永平寺に1年間安居され、内山老師の隠居場所の予定が変わったので、正定さんが滝見観音堂に住職されることになりました。そのころ一度、ご一緒に東京で托鉢をさせていただいたのを覚えております。

 

その後、1975年、内山老師が安泰寺から引退された年の12月に、今度は、前年に行かれていた市田高之さんと合流するために、池田永晋さんと私がマサチューセッツ州に行き、正定さんが始められたアメリカ人のグループが結成したパイオニア・バレー禅堂に参りました。それ以降はアメリカから日本に帰る折に何回か滝見観音堂にお訪ねしましたが、ご一緒に坐禅したり、講義を聞かせていただく機会はありませんでした。

 

駒澤大学以来の友人で、この三心通信や、三心禅コミュニティ日本事務局のお世話をしていただいている鈴木龍太郎さんは、駒沢在学中、1年間休学して、正定さんと滝見観音堂で参禅されました。後年、春秋社で編集の仕事をされましたが、正定さんの「正法眼蔵佛性参究」の編集をされたのは鈴木さんでした。それで出版されてすぐにご恵送いただいたのですが、様々の仕事が忙しく、ざっと目を通しただけでした。今回、「佛性」の巻を自分で英語に訳し、3回に分けて眼蔵会で講義をするにあたって、大切なところは書写させていただいて、精読させていただいております。なによりも、参究の緻密さに圧倒されております。時折出てくる、京都学派や滝沢克巳さんの哲学用語は、私には馴染みがなくて、深く理解できているとは思えませんが、現在、曹洞宗の中で、これ以上の「佛性」の巻の解説を書ける人はいないだろうということはできます。十歳以上若輩でもあり、親しくお付き合いさせていただいたわけではありませんが、半世紀以上にわたる長年のご法縁に感謝しております。

 

11月の眼蔵会が終わると、13日からロスアンゼルスに参ります。北アメリカ最初の曹洞宗の寺院として禅宗寺がロスアンゼルスに創立されたのが1922年で今年が100周年になります。それは同時にアメリカ開教100周年でもあります。その記念行事として行われる、授戒会に説戒師として参加するためです。2020年の3月にパンデミックの影響で、ヨーロッパでの滞在を急遽きりあげて、三心寺に帰ってから、2年半以上、飛行機に乗って旅行したことはありません。年齢のせいか、田舎町で静かに暮らしているのが心地よく、遠くに行きたいとも思わなくなりました。

 

 

2022年10月27日

 

 

奥村正博 九拝