三心通信 2021年8月

 

 

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8月は、雨が少なく、やや乾燥していました。モグラは相変わらず元気で、トンネルを掘り続けています。最近、地上数カ所に穴ができました。モグラも外に出ることがあるのでしょうか。まだお目にかかったことはありません。朝夕は涼しくなって、気のはやい木の葉は、黄葉を始めています。境内の小さな草原に咲き誇っていた夏の花たちもおおかた、萎んでしまいました。残っている花たちには、蜂が蜜を求めて飛び回っています。鹿の家族が草を食べるためだけではなく、休憩しにくるようになりました。これまでは必ず母親の後をついて回っていた白い斑点がまだ取れない小鹿たちも、自分たちだけでくるようになりました。写真を撮るためにかなり近づいても、遠ざかりはしますが、逃げることはありません。先日、子供達だけで苔庭で休憩する姿が見えました。日が暮れると、虫たちの声が聞こえるようになりました。

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先月から続いて、仕事に追われています。5月に始めた「正法眼蔵」本文の校正作業はようやく最終段階に入りました。春秋社版「道元禅師全集」の第2巻、あと30ページほどで完了します。毎日、朝一番に1時間ほど、この作業を続けています。「眼蔵」本文の校正の後、英語訳の脚注の日本語の部分の校正もしければならないのですが、これはどれほどできるか自信がありません。今年中にと言われているのですが、お寺の行事が再開され、10月に短期ですがヨーロッパに行き、11月に眼蔵会があり、その後臘八接心ですので、今までのように時間がありません。4ヶ月ほど、字面を追うだけでしたが、毎朝「正法眼蔵」を読むのは楽しいことでもありました。

 

そして、Realizing Genjokoan日本語訳のゲラ刷り第2稿の校正が入りました。訳者の宮川敬之さんのご努力に感謝せずにいられません。内山老師が引退された1975年、瑞応寺に半年間安居した後、12月にマサチューセッツ州のバレー禅堂に行って以来、1981年から93年までを除いて、成人してからの人生の大半をアメリカで過ごしておりますので、日本で育てていただきながら、お返しをほとんど何もできずにおりました。「眼蔵」は、駒沢大学で勉強したのと、内山老師の提唱を聞かせていただいたのとを除いて、全くの独学と云うか我流ですので、日本の伝統的な宗学を学ばれている方々に評価されることはないように思いますが、アメリカでの坐禅修行を通して、日本にいただけでは見えなかったものが見えてきたところもあります。いささかでも、その事が表現できていればと願っております。9月末に出版の予定とのことです。

 

そのあと、11月の眼蔵会の講本として「正法眼蔵梅華」の翻訳にはいりました。ごく粗い翻訳は、昨冬に一応していたのですが、細かく一語一語、確かめながら訳し直しました。天童如浄禅師の「梅華」についての八つの上堂や偈頌について評釈されています。1243年の夏に越前移転以後、「三界唯心」、「諸法実相」、「仏経」、「無情説法」、「法性」、「説心説性」など、一群の教学的な内容とそれに基づいた宋朝禅の批判を通して、これから越前で、どのような修行を、どのような思想に基づいて行なっていくのかを鮮明にされた巻を書かれました。また「嗣書」や「面授」では、この仏法の相承の重要性を説かれました。それらに続いて、如浄禅師から受け継がれた仏法を詩的に表現されたものだと思います。

 

その間に、先月書いた、Opening the Hand of Thoughtについて話した法話の録音をトランスクリプトしてくれている方がいて、その第3章 Reality of Zazen (日本語「生命の実物」では、第2章坐禅の実際)の部分ができてきました。もとは、一回に一段落くらいの割合で話したものなので、20回以上の法話をトランスクリプトしていただいたことになります。日曜日の法話や、リトリートの講義でしたので、その度に聴聞している人が違います。新しい人たちにも、以前からの続きがわかるように、何回も同じ内容を繰り返して話した部分もあります。それらの重複はなるべく省いてもらったので、トランスクリプトの仕事もただ音を文字に置き換えるというだけではなく、大変だったと思います。それでも約70ページありました。この1週間ほどはこれにかかりきりになっていました。

 

毎月、Dogen Instituteのウエブサイトに連載している「道元漢詩」は、「句中玄」の順番では、第45首目になりました。これまでの44首は、「永平広録」の第10巻に収録されているものばかりでしたが、これから、それ以前の巻の上堂からの偈頌に入ります。最初は、1252年の上元(旧暦1月15日)の上堂のものです。
雪覆蘆花豈染塵 (雪、蘆花を覆う、豈に塵に染まんや。)
誰知浄智尚多人 (誰か知らん、浄地に尚お人多きことを)
寒梅一點芳心綻 (寒梅一點芳心綻ぶ、)
喚起劫壺空處春 (喚起す、劫壺空處の春。)
遷化される前の年の正月のものです。このおよそ1年後に「八大人覚」を書かれたのが、最後の著作になりました。「梅華」の巻にも通じる、全世界が雪に覆われたままの永平寺の新春の様子を、坐禅修行に現れている、永遠の、時のない春(timeless spring)として描いておられます。

 

今月から、週日、月曜日から金曜日までの早朝の坐禅、日曜日午前中の坐禅会は、人数を制限し、ワクチンの接種を済ました人に限るということで、三心寺の坐禅堂で行うようになりました。まだマスクの着用はしなければなりません。8月の第1日曜日の法話は私が担当しました。Opening the Hand of Thoughtの第7章の一番最後の部分について話しました。第6章、第7章は宗務庁から刊行された小冊子、「現代文明と坐禅」の翻訳です。「坐禅に見守られ、みちびかれ、そこに誓願と懺悔をもって生きる『ボサツという人間像』こそは、これからの時代にとって、真に理想としてえがかれねばならぬ人間像だ」と言われる老師の言葉は、半世紀も前に書かれたものですが、ますますその重要性を増していると思います。来月からは、最後の第8章について話し始めます。

 

週日夕方の坐禅や、読書会、初心者の坐禅指導などは、まだオンラインです。今のところ、地元の人達を対象としたものだけです。市外、州外、国外からの参禅者を含めた、接心、リトリート、ワークショップなどの再開がいつになるかはまだ決められません。ワクチン接種者が増えたことで、パンデミックの収束が見えたように思いましたが、まだまだ予断を許さないようです。

 

それでも、来年には、通常通りの活動が再開できるように、少なくともその可能性が出てきた場合に備えて、計画は立てておかなくてはなりません。現在のところ、少なくとも、4月初旬から7月初旬までの3ヶ月の夏期安居は再開したいと願っています。4月の、受戒予定者が絡子を裁縫するためのソーイング・リトリート、5月の眼蔵会、6月の接心、首座法戦式、7月の授戒会などです。私が戒師を務める授戒会はこれが最後になります。昨年に受戒する予定だった人たち8人が、2年間待つことになりましたが、受戒をする予定でおります。2023年6月に私は退任する予定ですので、それからは、法光が住職に就任し、授戒も行うことになります。


2021年8月29日

奥村正博 九拝