三心通信 2021年6月

あれほど騒がしかった17年ゼミの声も先週あたりからパタリとなくなり、静けさが戻ってきました。苔庭の草取りをしながら、何百という抜け殻や遺体を箒で掃いてバケツに入れてコンポストの山に捨てました。それ以外の芝生のうえに落ちていたものは、芝刈りの時に刈り取られた草にまぎれて、どこに行ったのかきれいになくなりました。あれだけ大量に発生したものが、後も残さずに消えてしまうのは、見事なものだと思います。十七年後にまた発生する子孫を残して、その遺体も土壌を肥やすのに役立てて、自分たちは跡形もなく消えていく、生命の営みの潔さに感動を覚えました。

私たちもそうありたいものですが、人間の文明は自然に対してはヤラズブッタクリのように見えます。秋山洞禅さんから、17年ゼミについてのNHKのニュースのDVDをおくっていただきましたが、それによると、気候変動が原因で17年ゼミのなかで、17年より何年か前に成虫になるものが出てきているのだそうです。地球温暖化が人間の営みにによって引き起こされているものならば、セミたちが何万年、あるいはそれ以上の時間をかけて作ってきた生き残りの戦略を狂わせてしまうのは、地球上に生息する同じ生き物としては、正常な生命活動ではないと思います。

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17年ゼミに代わって、夕方には蛍が見えるようになりました。境内の小さな草原には、昔からこの辺りにあった様々な植物が成長し花をつけ始めました。蜂やその他の昆虫が蜜を集めに来ています。当たり前の自然の共生の姿ですが、これがいつまでも続くのかどうか心配にもなってきます。

ワクチンの摂取が進んで、YMCAでマスクをつけなくても良くなったことは先月お知らせしました。それに伴って、再び多くの人たちが来るようになりました。特に、毎年夏休みに行われるサマーキャンプで、子供たちが沢山集まっていますが、マスクをつけている子は余りいません。また学校も休みになって、中学生や高校生たちがバスケットの練習にくるようになりました。今日YMCAに行くと、駐車場が一杯になっていました。人々が巣ごもりから解放されて、以前のような賑わいが戻りつつあります。

パンデミックでお寺が閉鎖されている間を利用して、半地下にある坐禅堂の改装が、ワーク・リーダー(直歳)の発心さんを中心にして行われています。釈尊をお祀りしている、仏壇が完成しました。これを内側に引くと、非常用の出口になります。坐禅堂の中の壁のペンキの塗り替えも行われています。(写真参照)

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最近の理事会のミーティングで、このままパンデミックが収束に向かうようであれば、8月の初旬から、ブルーミングトン在住の人たちのためのお寺での活動を再開することが決まりました。市外、州外、国外から人々が参加する接心やリトリートをいつから始めるかはまだ決まっていません。様子を見ることになります。できれば、2022年からは平常の活動が再開できるように願っています。

7月16日(金)から19日(日)には、ニューヨーク州にあるZen Mountain Monastery の金曜日から日曜日午前中までの週末リトリートでオンラインの講義をします。今回は「句中玄」の最初、「閑居偶作」2首、「山居」7首の9つの漢詩について話す予定で準備をしております。眼蔵会ではなくて、週末の短いリトリートでは、ここ数年、「道元禅師和歌集」で翻訳、解説したものを教材に使ってきました。大切なところがワンポイントで、簡潔に、そして美しく表現されていますので良い方法だと思っております。道元禅師の漢詩について話すのは今回が初めてですが、どのように受け取ってもらえるか楽しみにしております。

その次の週末、24日(土)には、イタリアのBuddhist Union主催のオンライン・セミナの一つとして、「道元禅師の清規」について1時間半の講義を行います。英語で話してイタリア語への通訳が入りますので、また質疑応答の入ると言うことですので、実際に話すのは1時間弱になるようです。

先月の通信で、宗務庁の宗典翻訳事業の「正法眼蔵」の英語訳が完成に近づいたので、日本語原文の校正をするように依頼されたことを書きましたが、あれから、毎日、朝食後の最初の1時間ほどは、1日に「道元禅師全集」のおよそ10ページを校正することを目標に進めています。校正作業をする場合には、意味を考えていると、誤字、脱字、句読点の違いなどに注意が行かず、見逃してしまいますので、意味を考えずに、ひたすら字面だけを追っていくようにしています。最初はこのような読み方は時間の無駄だと思って抵抗があったのですが、1月以上続けていると、こういう読み方にも意味があるように思えてきました。また、毎朝、この1時間が楽しみにもなってきました。翻訳をする場合や、眼蔵会の講義の準備をする場合には、一字、一句おろそかにせず、はっきりと理解ができているかどうかを確かめ、少しでも疑問があれば、註解書、参考書、英和、和英、漢和、仏教辞典などを引きまくって、1ページ読むのに1日かかることもあります。

そうではなくって、解るか解らないかということを気にしないで、とにかく毎日10ページ読むことを続けるのは、いわばグーグル・マップで世界地図のあちらこちらを俯瞰的に見ていくような楽しさがあります。一つの街の一つのブロックにある、通りや、公共施設、その他の建物を一つ一つ、シラミつぶしに確認していくような読み方も「正法眼蔵」の場合は必要ですが、海洋や山脈や平野や大きな河川などがどのようになっているのかを見るのも意味があるように思えてきました。現在「道元禅師全集」第1巻が終わり、第2巻に入ったところです。本文の校正が終わると、脚注に引用されている日本文の校正をすることになります。何しろ、原稿がレターサイズで2000ページ以上ありますので、先は遠いです。今年中にと言う依頼ですので、まだまだ先の長い話です。

先頃お知らせした、内山老師が「生命の実物」のなかで紹介された、カボチャの話を題材にしたSquabbling SquashesがWisdom社から6月22日に発行され、その見本が届きました。本文の作成には私も少し関わりましたし、表紙の絵も知っていましたが、中の絵をみるのは初めてでした。アメリカの人たちはよくできていると言ってくれるのですが、日本の人たちにお勧めするのはちょっと気が引けます。お寺の前に鳥居があったり、お坊さんたちの衣が、どう見ても日本のものには見えないのです。子供の絵本だから無国籍でも良いかと、納得しています。

この本が刊行された日が、ちょうど誕生日で73歳になりました。昨年に続いて、誰も来ない、家族だけの誕生日でした。メールや郵便でバースディ・カードを何人かの人たちからいただきました。73回目になると、それほどめでたくもありませんが、これまで大きな病気もせず、おおむね健康で生きてこられたこと、また、この年になっても、するべき仕事が与えられていることに感謝せずにはいられません。三心寺の住職を退任するまでに二年を切りました。体力や脳力の老化には歯止めがかかりませんので、今後どうなっていくのかはわかりませんが、1日1日その日できることを大切にして参りたいと願っております。


6月29日

奥村正博 九拝