三心通信 2021年5

 

 

2003年に三心寺の建築ができて、ブルーミングトンに移転して来た翌年、蝉の大群が発生して、あちこちの木の幹に、樹皮が見えなくなるほど張り付き、鳴き声も町中どこにいても聞けるほどで、驚きました。決まって17年ごとに大発生する、17年ゼミというのだと知りました。周期ゼミ、素数ゼミとも呼ばれていて、北アメリカ特有の蝉なのだそうです。「静けさや岩にしみ入る蝉の声」という芭蕉の俳句のワビ・サビの世界とは縁もゆかりもないただ圧倒的な騒音の世界でした。

 

あれから17年経った今年、5月の半ば頃から、庭のあちこちに、2、3センチの団子を半分に切ったのような土の盛り上がりができて、なんだろうかと不思議に思っていました。その半円球の土の塊をのけると、結構深そうな穴が空いていました。そして、4、5日前から、蝉の声が聞こえ始めました。木の幹だけではなく、草花の葉や茎にも取り付いて羽化した後が見えます。羽化するのは夜間ですので其の過程は見られませんが、朝見ると、まだ飛ぶ準備ができていないのか、抜け殻のそばに成虫がじっとしているのをみることができます。6月末まで、アメリカ東部、中部で数億匹の17年ゼミが発生するのだそうです。そのうち、掃いて捨てるほどのセミの死骸がそこら中に散乱するようになります。今朝、写真に取りましたので、添付いたします。

 

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17年間、地中に暮らし、地上に出て成虫になってからは、せいぜい2週間ほど、生殖活動をし、卵をうみつけるとすぐに死んでしまうのは、なぜなのか、17年ゼミの視点から見ると、地球環境や、生命のあり方がどのように見えているのか、興味があります。地中での生活がメインなので、陽の光もみず、地上の空気を吸わず、樹木の根から樹液を吸うだけで生きているのがどのような感じのものなのか、見当がつきません。それなりの喜びや、生き甲斐があるのでしょうか? 科学者の説のよると、天敵に遭いにくいように、13年とか、17年とか長い素数年の間隔をおいて、しかも一度に大量に発生すれば、いくら鳥やリスなどの動物に食べられても、何割かは生殖を完了することができるだろうという生き残り戦略なのだそうです。どの動物や植物にも害を及ぼすことのない昆虫としては、何か可哀想な戦略のように思います。

 

ともあれ、三心寺もあれから17年、無事に坐禅の道場として生息し続けることができました。20人ほどが得度を受け仏弟子になりました。10人以上の人が嗣法し、自分のサンガを持っている人たちもいます。三心禅コミュニティのネットワークもアメリカ、ヨーロッパに広がりました。日本人で出家得度を受ける人も出て来ました。それぞれは小さなグループにすぎませんが、大きな禅センターを作るよりも、小さなサンガの繋がりに重点を置いて来ました。何冊かの翻訳や著作も出版することができました。多数の人々のご支援のおかげでここまで、活動を続けられて来れたことに感謝せずにはおれません。しかし、次の17年後を考えると、おそらく私はもう生存していないでしょう。三心寺がどうなっているのかは、次の世代の人々におまかせするよりありません。

 

先月の三心通信で、昨年の臘八接心以来坐禅を休ませていただいていることを書いた部分に、「これほど長く坐禅を休むのは、バレー禅堂から日本に帰って清泰庵に入らせていただくまでの半年ほど、体が痛み、また坐禅をする場所もなかった時以来です。1981年でしたから40年ほども前のことです。」と書きましたが、間違いであることに気がつきました。1992年の7月に園部のお寺を出て、翌年の7月にミネアポリスに移転するまで、京都の修道院附属のお家におらせていただきましたが、その1年間は、小さなお家に家族4人でおりましたので、毎日坐禅をする場所はありませんでした。大津の山水庵で月に一度、日曜日に坐禅会をさせていただいたのが、唯一の坐る機会でした。謹んで訂正いたします。といっても、それも30年ほども前のことですが。

 

4月の末まで、私が通っているYMCAでは、入場者全員の体温を測り、コロナの症状がないかどうか確認していましたが、5月になってそれをしなくなりました。また、館内では運動中も必ずマスクを着用するようにとの張り紙がそこらじゅうに張り出してありましたが、先週からそれらも撤去され、マスクの着用をしなくても良くなりました。ビジターの数は、パンデミックが始まる前に比べるとまだ少数で、密になる危険は感じません。グループで毎日のようにバスケットボールの練習をしている人たちが戻って来ました。活気はありますが、歩行禅をしようとするには、騒々しくなったと感じてしまいます。私も、4月に2回、コロナのワクチンの摂種を受けました。ワクチンの接種がかなり進んで、この辺りでは、パンデミックの出口が見えて来たようにも思えます。しかし、規制が緩むと、揺り戻しがあるのでは無いかと心配にもなります。

 

5月13日から17日まで、5日間の眼蔵会がありました。講本は「正法眼蔵法性」と「十方」の両巻でした。今回は、私の講義を録画録音するためにアイオワ・シティから来てくれた人と、家内との2人だけが、禅堂にいました。Zoomによる配信もありませんでした。これから、録画したものをどのように人々に見てもらえるようにするかを決めます。

 

正法眼蔵法性」と「十方」の両巻は、1243年に道元禅師が越前に移転されて、吉峯寺滞在中に書かれた多くの巻の中で、「諸法実相」「無情説法」「仏経」などと同じ主題のもので、比較的短く、論点もはっきりしていますので、眼蔵の中では分かりやすいものだと思います。9回の講義で、2巻とも購読することができました。

 

宗務庁の宗典翻訳事業の「正法眼蔵」の英語訳が完成に近づいたので、原文の校正をするように依頼されました。原文と英語訳を対照し、詳しい注釈をつけた大部なものになるようです。春秋社版の「道元禅師全集」第1巻、第2巻(1991年、1993年刊行)と、英語原稿に打ち込んである原文とを比較する作業を始めています。1995年に始まった翻訳事業ですので、四半世紀をかけた大きな事業です。私もいささか関わったことのある事業ですので、早く完成するように願っておりました。これで、日本国外における「正法眼蔵」の研究は、格段に違ったレベルに達することになると思います。出版されるのはまだ2年ほど先だとのことです。

 

私の、長円寺本「随聞記」の英訳と「道元禅師和歌集」の英訳並びに解説とを一冊の本にする作業、Dogen Instituteから発行予定の、良寛詩についての本、などのブックプロジェクトも進んでおります。京都の安泰寺の頃からの友人のハワード・ラザリーニさんが英語訳に取り組んでいる内山老師の「観音経を味わう」も、翻訳第1稿ができて、訳文の見直しをされている所です。

 

面白くもおかしくもない日常の毎日の精進が歴史を作っているのだと感じています。

 

5月25日

 

奥村正博 九拝