三心通信 2021年4月

四月は、三心寺の庭にも町の中にも様々な花が次から次へと交代で咲いては散り、咲いては散りして、Bloomington(花咲く町)という名前がふさわしくなる時季です。日本では桜が咲く時期に寒の戻りがあるのを「花冷え」と呼ぶそうですが、今年はこちらでもありました。およそ1週間ほど急に寒さが戻ってきて、再び暖房を入れることもありました。その寒さも肌寒い程度ではなく、夕方から雪が降り始め、翌朝には、地面や家の屋根、花の上にも雪が積もっていました。その日の午後には溶けてしまいましたけれども。三心寺ではありませんが、近くの街に住む知人が庭の写真を送ってくれましたので、添付いたします。花冷えが過ぎると本格的な春になり、今は白やピンクのドッグウッド(ハナミズキ)が満開です。木々に新しい葉も出そろい、すっかり新緑の候となりました。

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                                                                    ©Jakushin Russell Flynn

 

昨年の臘八接心が終わってからですから、すでに5ヶ月近く坐禅を休ませてもらっています。前にも書きましたように、デスクトップのコンピューターの前で一時間も動かずに仕事をしていると、椅子に当たる尻の骨の部分が痛くなり、動かずにはいられなくなります。そうなると、仕事机の上に小さなテーブルを置いて、その上にセットしてあるラップトップで立って仕事をします。立ち仕事もそれほど楽ではなく、しばらくして歩こうとすると膝に痛みを感じます。そうなると、そばに敷いてあるヨガマットのうえに横になって、ストッレッチをしたり、本を読んだりです。それからまたデスクトップに戻ります。そんなことをしていると、2、3時間が経ち、昼食の時間になります。なにしろ、身体をだましだまし使わなければならず、仕事をしようとするとまず休まなければならないという体たらくです。63歳で椅子座禅を始めてからほぼ10年、週日は毎日朝2時間の坐禅、仕事もほぼ椅子に座ったままでした。摂心中は1日に約12時間、経行の時外は椅子の上にじっとしていました。ほぼ毎日、YMCAにいって1時間以上歩き、ストレッチをするようにしてきましたが、70歳を過ぎてからは、椅子に長く座っているだけで痛みを感じ始めました。

パンデミックでお寺が閉鎖されている間は坐禅を休ませてもらって、再開されたら、75歳で住職から退任するまでは、たとえ摂心は無理でも、毎朝の坐禅、日曜日の参禅会だけは坐りたいと願っております。これほど長く坐禅を休むのは、バレー禅堂から日本に帰って清泰庵に入らせていただくまでの半年ほど、体が痛み、また坐禅をする場所もなかった時以来です。1981年でしたから40年ほども前のことです

私は、内山老師のように坐禅ができない時には、「南無観世音菩薩」の称名でいくと言うことができませんので、ほぼ毎日、YMCAに行って歩くことが坐禅の代わりだと思っています。坐禅を始める前の子供の頃から、歩くことが好きでした。高校生のころ、休日にはよく、北摂や京都の山の中を一日中歩いていました。ブルーミントンに移ってから10年ほど、膝が痛くなるまでは、毎年秋の紅葉の頃にノースカロライナ州の山の中、アパラチアン・トレイルでウォーキング・メディテーション(歩行禅)のリトリートをしていたこともあります。アパラチアン・トレイルというのは、ニューイングランドメイン州から南部のジョージア州まで14州にまたがるおよそ3,500㎞の自然歩道です。リトリートの時に泊めてもらったのはトレイルを歩くハイカーたちの宿泊所でしたので、全行程を歩いた人たちに何人か会いました。踏破するのには少なくとも3ヶ月はかかるとのことでした。

YMCAのジムの中は、普通の時は毎日のように何組もの人々がバスケットボールの練習をしていて、目まぐるしく喧しいのですが、パンデミックになってから、YMCAにはあまり人が来なくて、いつも空いています。それほど気を散らさないで、速度は普通の歩行ですが、坐禅堂の中で経行をするようなつもりで歩いています。

三月の後半以降は、五月の眼蔵会の準備に集中してきました。昨年の3回の眼蔵会はZoomを通じて聴講のひとたちに同時に聞いてもらっていましたが、今回は、それを可能にするための様々な役割のひとたちの全体の動きをコーディネイトする人が都合でできなくなりました。中止になる可能性もあったのですが、なんとか、録画だけでもして、後から何らかの方法で人々に聞いてもらえるようにしたいとの私の願いを聞いてもらって、5月13日から17日まで、一人だけ三心寺の禅堂にきてもらって、私の講義を録画してもらうことになりました。講本は「正法眼蔵法性」と「十方」の両巻です。両方とも比較的短く、主題も近いものですので、5日間で話終えることができるであろうと楽観しております。両巻とも「現成公按」、「諸法実相」についてと同じことを法(現成、諸法、這裏)と法性(公按、実相、十方)の、修行・実践を通して表現される不一不二の関係を論じられているのだと理解しています。

長円寺本「随聞記」の英訳と「道元禅師和歌集」の英訳並びに解説とを一冊の本にするプロジェクトは現在、私の弟子でエディティングを担当してくれているDoju Layton(随聞記)とShoryu Bradley(和歌集)がWisdom社の編集者と最後の編集作業をしてくれています。今年中には出版できるように願っています。

Dogen Instituteから発行予定の、私の良寛詩についての講義と洞燃O’Connor師の良寛が住んだ越後を訪問した感想を綴った随筆、およびその時の写真、またO’Connor師のお弟子さんの絵画作品を一緒にしたRyokan Interpretedは現在、副住職の法光がブックデザインをしているところです。もうすぐ出来上がるはずです。

宮川敬之さんが日本語に訳してくださっているRealizing Genjokoanももう直ぐ出版社に提出する最終稿ができるとのことです。また、これは数年前に書いた物ですが、When Thinking Is Problemと題した論文集に寄稿したものも編集作業中ということです。

するべきこと、しておきたいことは沢山ありますが、薬山禅師が言われたように、「蔭蔭拳拳、羸羸垂垂、百醜千拙、(よぼよぼ、へなへな、へまばかり)」の方向に一方通行、とりあえず今日できることをしておくことしかないようです。


4月28日

奥村正博 九拝