三心通信 2021年7月


今月は、雨降りが多く、湿度の高い日が続きました。例年に比べて暑さはそれほどでもないようです。苔庭の苔は十分な水分を吸ってきれいな緑になりました。周囲の木々の葉も、圧倒的な生命力を感じさせます。春先から、鹿や、リスや、野ウサギなどの子供たちが生まれました。人間がずっと巣ごもりしているせいか、野生の生物たちが活気付いているような気がします。苔庭の地面をでこぼこにしているモグラも、見たことはありませんが元気なようで、あちらこちらにトンネルやモグラ塚をこしらえています。

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昨年から、境内の表の庭の半分以上の芝生を取り払って、この地方に元からあった野生の植物を植えて、小さな草原を作っています。芝刈りの時間や手間を節約する意味もあります。以前は、境内全体の芝刈りをするのに手押し式の芝刈り機で2時間ほどかかっていたのが、半分以下になりました。去年は、ブラック・アイ・スーザンというひまわりを小さくしたような花をもつ植物が全域を占領していましたが、今年はそれ以外の花も咲きました。ご近所で飼っている鶏が三羽ほど、毎日草むらで忙しく何かを啄んでいます。日没になると、蛍が飛び交っています。

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7月は忙しい月になりました。例年、年頭のご挨拶と、暑中見舞いを三心寺創立の折にお世話になった方々、ご縁のある方々に差し上げています。日本在住の人たちだけでなく、アメリカやヨーロッパにお住まいの人たちも合わせるとおよそ120通になります。ご挨拶、近況をお知らせするだけですが、暑中お見舞いの文面を書き、封筒を印刷し、宛名を書き、私信のある方には、手書きでメッセージを書き、封筒にいれて、郵送するまでに3日はかかります。例年ですと、夏期安居の最後の行持である授戒会が終わって一息入れてからの仕事でした。それは計算に入っているのですが、そのあと、5月から続いている「正法眼蔵」の校正に加えて、日本語に訳していただいているRealizing Genjokoanの校正が入りました。

そのあと、16日から18日までのZen Mountain Monasteryの週末リトリートのための講義の準備に入りました。先月書きましたように、「句中玄」の最初の2首「閑居偶作」と、そのあとの「山居」7首の9つの漢詩について話す予定で準備をしておりました。深草閑居と越前移転以後の「山居」の間には10年間の興聖寺での活動が挟まっています。道元禅師の漢詩を伝記の材料としても考えたいと思っていますので、中国から帰国されてから、深草閑居まで、興聖寺開創から入越までの伝記的な事柄、その間の著作の思想的な事柄も加えて話しました。そうすると、9首について話すつもりだったのが、「閑居偶作」2首と「山居」2首、合計4首についてしか話すことができませんでした。しかし、道元禅師の漢詩と、伝記を絡めて学ぶのは、意味のあることだと思いました。

その次の週末、24日の土曜日には、イタリアのブッディスト・ユニオン主催のセミナで「道元禅師の清規」について話しました。私の持ち時間は1時間半でしたが、主に禅宗の叢林での普請作務について話しました。逐次通訳つきで、Q&Aの時間もあったので実質的には1時間と10分ほどの予定だったのですが、やや時間を超過してしまいました。

そのあと、2本の原稿書きがありました。10月にヨーロッパ総監部の現職研修会での、「菩薩戒と誓願」のオンラインでの講義を依頼され、その英語原稿を書かなければなりませんでした。1週間ほどかかって本日、ようやく第1稿ができました。これから手直しをして、英語を添削してもらい、8月9日までに提出の予定なのですが、添削をしてもらう人の予定によって遅れるかもしれません。

もう一つは、Lion’s Roar (獅子吼)という仏教雑誌から、道元禅師の特集をしたいので「現成公按」について1000語ほどの記事を書いて欲しいという依頼でした。明日からその執筆にかかる予定にしております。

8月の6日(金曜日)から8日(日曜日)までの週末に三心禅コミュニティの理事会の年に一度の三心寺での会議があります。毎月のミーティングはオンラインです。その最後の日、8日の日曜日から、三心寺の禅堂がブルーミントン在住の人々に再開されます。1年半ぶりに日曜参禅会がお寺で行われます。私が、以前からの続きでOpening the Hand of Thoughtについて話す予定です。これは、「生命の実物」と「現代文明と坐禅」を主として、内山老師の安泰寺での最後の提唱、その他のお話を英語訳したものです。2006年の7月から、日曜参禅会ではこの本について、一回にほぼ一段落ずつ話してきました。私の記録ではおよそ15年の間に234回話したことになります。この次話すのは、第7章の最後の2段落、日本語の原本では、「現代文明と坐禅」の締めくくりの部分です。

これが終わると、あと最終の第8章、The Wayseeker (求道者)と題した内山老師の安泰寺での最後の提唱の英語訳です。もとは、まだマサチューセッツ州のバレー禅堂にいた1980年頃に訳したものです。この提唱で話された7ヶ条を英語に訳して額に入れて、バレー禅堂の入り口に掛けていたのですが、参禅者から老師がそれぞれの項目についてどんなことを話されたか知りたいと言う希望があって、そのころ、身体のあちこちが痛くなって作務ができなくなっていた私が、皆が作務をしている時間に訳しました。そのために生まれて初めてタイプタイターの使い方を習いました。骨董品の重たいタイプライターでしたが、ある程度使えるようになりました。

日本に帰って翻訳の仕事を始め、アップルのマッキントッシュが初めて売り出された時に購入して、コンピューターで原稿をタイプできるようになったのは、この時の経験があったからでした。京都曹洞禅センターから出版された、英語訳の本は、日本でコンピューターを使って原稿を書き、手書きの原稿なしで、それをそのままディスケットから印刷した本としてはかなり早いものだったと思います。

ともあれ、私の三心寺住職の任期はあと2年弱で、これからは、月に1回法話をする予定ですので、話す機会はそれほど多くありません。できればそれまでにこの第8章を話し終わって、Opening the Hand of Thoughtを完結したいと願っております。

「生命の実物」は私が得度していただいた1970年ごろに執筆されたものです。その頃たくさん参禅に来ていた西洋の人たちにも分かるような坐禅の入門書を執筆しているといただいたお手紙に書かれていたのを思い出します。最初から英語に訳されることを想定して書かれたものです。最初の英語訳がApproach to Zenというタイトルで出版されたのは1973年でした。バレー禅堂にいたころ、英語の曹洞禅のテキストがあまりなく、私たちも英語で十分に仏法の話を出来なかったもので、この本をたくさん買って、坐禅にくる人に読んでもらいました。その後、絶版になったので、1981年に私がアメリカから京都に帰ってから、トム・ライトさんと訳し直したものです。ですので、私の坐禅の理解と実践は、得度してから今まで、ひとえにこの本に依っています。

三心寺住職から解放された後、どうするのかは、まだ明確な予定はありません。私個人としては、翻訳や著作や、残された体力と能力に見合った分だけ講義などをして、三心寺に骨を埋めたいと願っております。


2021年7月28日

奥村正博 九拝