三心通信2018年1月

三心通信 2018年1月

 

昨年の暮れからずっと続いていた厳しい寒波は一度収まり、一度は雨が降るほどに暖かくなりました。その後また最高気温が0℃以上にはならない冷凍庫状態が1週間ほど続きました。2、3日前からからまた暖かくなり、雪はとけて、芝生が見えました。ことしは、温かい日々と寒い日々が交互にくるようです。

 元旦には、例年のように日本の皆様に年頭のご挨拶の手紙を書きました。120通ほどですが、発送するには、プリントし、宛名を書き、封筒に詰め、切手を貼って郵便局に持っていくまでには3日ほどかかります。息子の正樹が11月に日本から帰って来ました。娘の葉子もボーイフレンドと一緒に年末に帰って来ました。久しぶりに家族揃ってのお正月になりました。

 11日から14日まで3日間の接心がありました。今回は、州外から来た4人の人たちと、三心寺の僧侶3人が坐りました。少人数で静かな接心で新しい年を始めることができました。

1969年1月の接心が私の安泰寺での最初の接心でした。来年で50年になります。過去を振り返ると、実に様々な生活風景の中で、接心を続けて来たことに驚きます。20歳代の安泰寺やバレー禅堂での修行生活。30歳代はじめ、清泰庵でトムさんや横井さんといつも3人で坐っていた接心。30歳代の後半から40歳代のはじめ、京都曹洞禅センターの活動を始めて、宇治田原の禅定寺や園部の昌林寺で坐らせていただいた接心。1993年にミネアポリスに移り、ミネアポリスの願生寺や宝鏡寺での接心。1997年から2010年まで、曹洞宗国際センターの活動としての全米各地の禅センターを訪問しての接心。2003年から現在までの三心寺での接心。私の年齢に応じ、家族の状況に応じ、働きの場に応じて様々な風景が移り変わっていきましたが、そのどこにも、坐ってしまえば変わらない、接心がありました。

 昨年3月に得度した高橋慈正さんの努力で、20年以上前にできた、私の唯一の日本語での著書、「般若心経を語る:渾身口に似て虚空に掛かる」が今年、港の人という出版社から再刊されることになりました。園部の晶林寺にいた頃にカトリックの人たちの東西の会というグループのために話したものをテープ起こししていただいて、私が加筆訂正したものです。東西の会の人たちが古い布を持ち寄って表紙を作り、製本もハンドメイドで和本のように綴じてていただいたものです。確か100部できたのですが、私が何部かいただいて友人、知人にお送りしたほかは、カトリックの教会で頒布していただいたので、一般の書店には全く出ませんでした。

 最初は、元の本のまま再刊してもらえればいいと思っていたのですが、私がどういう人間で、どのような道を歩んで来たのかを書いた方がいい本になるということで、「只管打坐の道」と題して高校生のとき初めて内山老師のご著書を読んでから、老師の教えとして学んだこと、安泰寺での老師の指導のもとでの修行、その後の私のアメリカおよび日本での歩のみを「只管打坐の道」と題して書かせていただきました。その文章を書くために、子供の頃から現在に至る70年近い私の来し方を色々と思い出し、考える機会がありました。その結果、今私に言えることは、私の今回の人生はたった一炷の坐禅だったなということです。

 

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昨日、首座法戦式がありました。イタリア人の弟子、行悦が首座を勤めました。普通、首座法戦式は夏季安居の最中に行うのですが、今回は特別です。秋葉総監老師と総監部書記の宮崎良孝師にはご多忙な中、この法戦式に出席するためだけにカリフォルニアから1泊でおいでいただきました。申し訳なく、有難く存じました。

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1月21日

 

奥村正博 九拝