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三心通信 2018年2月, 3月
今年もはやお彼岸になり春の息吹を感じることもありますが、まだ今でも最低気温は氷点下以下です。一昨日の夕方から雪が降り始め、昨日の春分の日の朝には、木々の枝や地面は真っ白になりました。それでも陽光はすでに春のもので、午後には、雪はほとんど消えておりました。
2月から3月初めにかけて、インフルエンザが流行り、多くの人々が咳をしておりました。私もほとんど一月間体調がすぐれませんでした。2月9日、10日の涅槃会接心は寝込んでいて休ませてもらいました。11日の涅槃会の法話と法要はなんとか務めることができましたが、そのあとも咳と鼻水が続きました。
20日テキサスのオースティン市の禅センターに行きました。21日から25日まで眼蔵会があったのでした。今回は、あちらの希望で「正法眼蔵一顆明珠」を講本にしました。以前にも2月にオースティンに行ったことがあるのですが、このあたりの4月ぐらいの気候でした。今回も暖かいだろうと、半袖のシャツなども準備して行きましたが、案に相違して眼蔵会の最後の日まで毎日のように雨が降り続き、肌寒い日が続きました。あちらでも、インフルエンザが流行っていて、多くの人が咳をしていました。多分そのせいだろうと思いますが、26日にブルーミントンに帰ってまた寝込み、1週間ほど休みました。3月1日からの3日間の接心も休まなければなりませんでした。2ヶ月続けて病気で接心を休んだのは、アメリカに来て初めてだろうと思います。
これまでは、少々咳が出たり、鼻水が出ても、我慢してごまかしながら、するべきことをしている間にいつの間にか治っていたのですが、今回は、何をするエネルギーも出てきませんでした。後3ヶ月ほどで70歳になりますが、60歳代と70歳代の違いをすでに予感し始めています。60歳を少し超えた頃、「老耄の弁道」という言葉を使いましたが、今と比べると、老耄でもなんでもなかったのだと思い直しています。
お陰様で、副住職の法光さんが中心になって私が少しくらい休んでも三心寺の接心や、日曜参禅会、平常の坐禅、その他の行持を続けてくれています。これから休まなければならないことも増えてくることと思います。後5年間、多くの人たちに支えてもらって、引退までなんとか務めたいと願っております。
今年の6月に三心寺創立15周年を迎えます。今回は5月の眼蔵会を記念の行事にすることになりました。特に、シカゴに禅センターを持つ太源・レイトン師とセントポールの禅センターの前の主任教師の白蓮・レギアー師に講師として来ていただきます。私を含めて3人で分担して、「正法眼蔵行仏威儀」を講本として参究します。最終日には一般にも公開してパネル・ディスカッションをいたします。その準備を始めております。
また、15周年の記念として、私と私の弟子たち10人ほどの文集を作成します。タイトルはBodhisattva Vow: Continuing Dogen Zenji’s Work in the 21st Centuryとしました。私は序文に、初期曹洞宗の道元禅師その他の祖師がたの発願文を紹介し、また内山老師の誓願について書きました。200頁程の結構本格的な本になりそうです。三心寺は日本ではほとんど知られていない中西部の小さな町にある、ほんとに小さなお寺ですが、そのネットワークはかなり広がっております。アメリカ合衆国各地、南アメリカ、ヨーロッパで活動している人々には、大きな禅センターを作る必要はないから、それぞれの場で一隅を照らすようにと願っております。
私の日本語の本が刊行されることになりました。それを機縁として、7月に日本に行き、名古屋の尼僧堂での緑蔭禅のつどい、「禅といま」の夏期大学、藤田一照さんとカルチャーセンターなどでお話をさせていただくことになりました。日本語で公開の場で話をすることはアメリカに来てからほとんどありませんので、どうなることか心配しております。
3月22日
奥村正博 九拝