三心通信 2019年11月

 

11月6日(水)夕方から11日(月)昼食まで5日間の眼蔵会がありました。眼蔵会が円成した日の午後から雪が降るということで、ミネソタ州ミシガン州など北の方から自動車で来た人たちの中には、昼食も食べずに帰りを急いだ人たちもありました。ブルーミントンでは降雪量は大したことはありませんでしたが、夕方までには雪景色になっておりました。気温が低いので、その雪が今日(14日)に至るまであちらこちらに残っております。眼蔵会の間に晩秋は終わり、冬が到来いたしました。木々の葉は全て散ってしまい、今日は青空が大きく広がっています。

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今回の眼蔵会は17年以来はじめてブルーミントン市内にあるTMBCC (Tibetan Mongorian Buddhist Culture Center)の施設を借りて行いました。三心寺で行うには禅堂、食堂、台所、洗面所などの関係で22名が受け入れの限度ですが、今回は50名近くの参加者がありました。TMBCC内で宿泊する人たち、三心寺の禅堂やドームで宿泊する人たち、市内のB&Bなどに宿泊して通う人たちと様々でした。アメリカ国内の西海岸、東海岸ミネソタ州フロリダ州、カナダからの人たち、それにヨーロッパのドイツ、オーストリア、オランダから4人の人たち、また昨年の11月の眼蔵会に引き続いて4人の曹洞宗のお坊さんたちが日本からこられました。それぞれお寺を持ち、お忙しい中で、眼蔵会が始まる日に日本から到着し、最終日の講義が終わってすぐに、昼食も食べずにインディアナポリスの空港に出発するという強行日程で参加されました。幸か不幸か、悪天候のせいで帰りのフライトがキャンセルされ、ブルーミントンに戻ってこられたので、何人かの参加者たちとも一緒に夕食をとり、少し話をすることもできました。それにしても時差呆けと戦いながらの坐禅や英語の講義の聴講は大変な苦行だったと思います。

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「説心説性」の巻で道元禅師が書かれている論点をアメリカの人たちに理解してもらうために、ダンマパダからはじめ、パーリのニカーヤでの自性清浄心、そして大乗経典、如来蔵系統の経典、そして「楞伽経」、「起信論」、「円覚経」、「首楞巌経」に至るまでの唯識のアラヤ識と如来蔵心を結びつけた「心」と「心性」についての理解の仏教思想史のなかでの変遷、そして中国禅の中でのその受容について最初の3回の講義で話しました。それから「説心説性」の本文に入ったので、正直5日で全巻読めるかどうか疑問でしたが、なんとか終えることができました。

 

私が言いたかったのは、南宋の看話禅と黙照禅は理論的な基礎はどちらも「起信論」の本覚と始覚の構造の上に置かれているのに対して、道元禅師の教えはその基礎を釈尊から龍樹につながる非有非無の「中道」と「法華経」の諸法実相の縁起論に置かれているのではないかということでした。

 

それにつけても、体力の減退を感じさせられました。夜よく眠れればいいのですが、夜中に目が覚めて眠れなかった次の日には、一日中頭がボーッとしていて、丁度時差ぼけの最中のような状態になってしまいます。自分と外の世界との間にうすい膜があるようで、何か起こっていることにも、自分がしている行動や会話にもう一つ現実感がないのです。眼蔵会や接心の直後は、頭脳が全く機能しない感じです。

 

11月14日

 

以上を書いてから約2週間が経ちました。あの時の雪が溶けてからは比較的暖かい日が続いていますが、ブルーミングトンの街は初冬の風景です。今年はサンクスギビングの休日が遅く、今週の28日(木)になります。例年、サンクスギビングと次の日は坐禅も休みにしています。そのあと、30日(土)の夕方から7日間の臘八接心が始まります。例年、今年も全部坐れるかどうか気になって、一年中で一番緊張する時期なのですが、今年から副住職の法光が接心を担当してくれていますので、私は一参禅者として参加します。つまり、私が坐れなくてギブアップすることになったとしても、接心は問題なく続いていくということですので、昨年までとは緊張の度合いがやや違います。しかし、今年は1970年の12月8日に出家得度を受けてから49回目、その年の接心も含めれば50回目の臘八接心ですので、最後まで坐れるようにと願っております。

 

 

2019年11月26日

 

奥村正博 九拝