三心通信 2020年9月

 

今日は秋分の日、日本ではお彼岸の中日です。すっかり秋めいてきました。毎日通っているYMCAの近くにある貸し農園に植っているたくさんのひまわりも、種が重くなって、頭を垂れています。三心寺の境内にできた小さな草原は、夏の草がすっかり枯れて茶色になり、いく種類かの秋の花が咲いています。

 

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写真に写っている白い花はsnakerootという名前だそうです。ウィキペディアによると日本名はマルバフジバカマ(丸葉藤袴)。アメリカ東部から中西部にかけて自生しています。トリメトルという有毒成分を含んでいて、牛、馬、羊などの家畜がたべると肉や牛乳にその成分が混入し、それを摂取し続けると人間にも中毒症状が出るということです。ミルク病(Milk Sickness)と呼ばれています。この植物が原因だと究明されるまで、何百人の人が亡くなったとのこと。このような有毒な植物を植えて、鹿が食べたりしないのかと道樹さんに聞くと、鹿はこの草を食べないのだそうです。鹿も案外馬鹿ではないようです。道樹さんは現在インディアナ大学の大学院で仏教の勉強をしていますが、以前は植物学の研究者でした。三心寺の境内の芝生を取り除いて野草園にしようと提案し、実際にそのプロジェクトを進めた人です。このあたりにいる鹿はアメリカに有史以前からおそらく何万年も住んでいるけれども、牛や馬などはヨーロッパ人に持ち込まれた新しいものなので、この植物が毒だとまだ分かっていないようだとのこと。頭に知識や記憶として蓄えられるのとは違って、動物のDNAにまでたたきこまれるには、500年程度の時間は短すぎるようです。

 

Snakeroot に混じっている黄色い花はgoldenrod(金の枝)です。カナダからアメリカ中西部に自生している植物で薬用にもなるし、養蜂にも使われていて有用な植物です。日本には切り花用の鑑賞植物として明治時代に輸入されたとのこと。それ以来野生化し現在では全国に広がっています。日本での名前はセイタカアワダチソウ要注意外来生物に指定されて、駆除の対象にもなっているようで、あまり良いイメージはないでしょう。日本でセイタカアワダチソウを部屋に飾って鑑賞している場面を想像するのは難しいと思います。1970年代には喘息や花粉症などのアレルギーの原因とされていました。安泰寺にいた頃、喘息を持っている人があって、近所に生えているセイタカアワダチソウを切り倒しに回ったことがありました。ただし、最近では、セイタカアワダチソウは虫媒花なので、花粉が風にとばされて遠くまで行くことはないといわれています。ブタクサという、これも帰化植物と混同された濡れ衣だったそうです。

 

日本ではススキの生育地を奪うものとして問題になっているようですが、アメリカでは逆に日本から入ってきたススキがgoldenrodを脅かしているとして問題になっています。あちらから見るのと、こちらから見るのとでは真逆になっているのが興味深いと思います。どちらにしても、これはgoldenrodやススキが悪いのではなくて、現在のパンデミックと同じで、人間が地球上をあまりにも速く、あまりにも遠くまで広範囲に動き回ることによって引き起こされた問題だと思います。アメリカの南部で問題になっているクズにしても、あちらこちらで問題になっている外来の魚によって固有の生態系が破壊される問題にしても、同じだと思います。人間はただ動き回るだけでなく、自分が住んでいるところにない珍しいものや、有用にみえるものを移植すれば、いいことがあるだろうくらいの考えで、地球全体のことを考えず、また将来に起こるかもしれない問題を予測できないで、目先のことだけを考えて行動してしまう地球上で最も危険な生物なのかも知れません。

 

14世紀のヨーロッパで流行したペストは、モンゴル帝国が中国からヨーロッパにまで版図を拡大し、その中の交通網が整備され、商人など、人々の往来が盛んになったために、中国、中央アジア、もしくは中東からもたらされたものだという説があるようです。ヴィルスは自然のものであっても、パンデミックは人間の文明の副産物なのでしょう。最初の世界帝国であったモンゴルの支配によって交通路が整備され、それによって東西の様々なものが交易されて栄えたのですが、そのためにパンデミックが起こり、それが一因となって、モンゴル帝国は滅亡したのだそうです。勢力拡大と繁栄の原因であり結果であったものが、滅亡の原因でもあるというのは地球上の自然の中の人間の文明を考える場合にも大変示唆的だと思います。

 

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 8月に入ってからこれまで雨が少なくて、苔庭は苔の緑があせて余りきれいではなくなりました。それと、今年はモグラの活動が活発で、トンネルがあちらこちらに掘られ、地面がゴコボコになってしまいました。写真で土が盛り上がっているのはかれらのトンネル工事の成果です。2、3年前にモグラが嫌いな周波数の音を出して撃退するという装置を試みたのですが、まったく効果がありません。あちらから見れば我々が侵入者ですので、殺さないように他所に移動してもらいたいのですが、どうすればいいかわかりません。いまのところ黙って見ております。

 

今年は、人間の活動が余りありませんので、植物や動物の話題の方が多いようです。3月中旬に三心寺が閉鎖されてから半年以上が過ぎました。月曜日から金曜日まで1人で坐禅堂で虫の音と共に坐っております。Zoomを通じて、それぞれの自宅で 坐っている人が何人かいます。そのほかの活動はすべてオンラインで行っています。このような状態がいつまで続くのか案じられます。

 

8月のサンフランシスコ禅センターの眼蔵会が終わってから、11月の三心寺の眼蔵会の準備を始めました。今回は「正法眼蔵仏経」です。5月の眼蔵会で参究した「諸法実相」8月の「無情説法」とほぼ同じ時期、1243年の7月に深草興聖寺から越前に移られて、多数の巻を書き始められた頃のものです。9月中に「諸法実相」「仏経」を書かれ、10月2日に「無情説法」を示衆されています。昨年の11月の眼蔵会で参究した「説心説性」も示衆の日時は不明ですが同じ頃の著述だと思います。これらの巻で顕著なのは宋朝禅に対する激しい批判です。それで、昨年来、道元禅師の宋朝禅批判について勉強していますが、中国禅宗の歴史や思想史の知識がなく、また日本から持ってきた手持ちのごく限られた資料しか使えない私には限界があります。

 

道元禅師が宋朝禅を批判されている文章は読めるのですが、それが当時の中国の社会史、思想史の文脈の中で正確で、的を射ている批判なのかどうか、曹洞宗宗学者の方々の研究は道元禅師は正しいという前提に立って宋朝禅を見ているのではないかと思われる節があります。しかし、中国禅宗史を研究されている人々のものは、どうしても主流であった、臨済禅を主に見られるので、道元禅師の批判は自分の立場に固執した言いがかりに過ぎないように思われているように思えます。本当は、自分で中国史禅宗思想史を原典に当たって調べなければならないのでしょうけれども、そのようなことをする学力も、興味も、時間も、資料もないので、どうしようもありません。私は学者ではなく、一回の坐禅修行者に過ぎないので、その枠を超えることはできません。そのことを自覚しておくことも大切だと思います。

 

 

2020年9月22日

 

奥村正博 九拝