三心通信 2020年9月

 

今日は秋分の日、日本ではお彼岸の中日です。すっかり秋めいてきました。毎日通っているYMCAの近くにある貸し農園に植っているたくさんのひまわりも、種が重くなって、頭を垂れています。三心寺の境内にできた小さな草原は、夏の草がすっかり枯れて茶色になり、いく種類かの秋の花が咲いています。

 

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写真に写っている白い花はsnakerootという名前だそうです。ウィキペディアによると日本名はマルバフジバカマ(丸葉藤袴)。アメリカ東部から中西部にかけて自生しています。トリメトルという有毒成分を含んでいて、牛、馬、羊などの家畜がたべると肉や牛乳にその成分が混入し、それを摂取し続けると人間にも中毒症状が出るということです。ミルク病(Milk Sickness)と呼ばれています。この植物が原因だと究明されるまで、何百人の人が亡くなったとのこと。このような有毒な植物を植えて、鹿が食べたりしないのかと道樹さんに聞くと、鹿はこの草を食べないのだそうです。鹿も案外馬鹿ではないようです。道樹さんは現在インディアナ大学の大学院で仏教の勉強をしていますが、以前は植物学の研究者でした。三心寺の境内の芝生を取り除いて野草園にしようと提案し、実際にそのプロジェクトを進めた人です。このあたりにいる鹿はアメリカに有史以前からおそらく何万年も住んでいるけれども、牛や馬などはヨーロッパ人に持ち込まれた新しいものなので、この植物が毒だとまだ分かっていないようだとのこと。頭に知識や記憶として蓄えられるのとは違って、動物のDNAにまでたたきこまれるには、500年程度の時間は短すぎるようです。

 

Snakeroot に混じっている黄色い花はgoldenrod(金の枝)です。カナダからアメリカ中西部に自生している植物で薬用にもなるし、養蜂にも使われていて有用な植物です。日本には切り花用の鑑賞植物として明治時代に輸入されたとのこと。それ以来野生化し現在では全国に広がっています。日本での名前はセイタカアワダチソウ要注意外来生物に指定されて、駆除の対象にもなっているようで、あまり良いイメージはないでしょう。日本でセイタカアワダチソウを部屋に飾って鑑賞している場面を想像するのは難しいと思います。1970年代には喘息や花粉症などのアレルギーの原因とされていました。安泰寺にいた頃、喘息を持っている人があって、近所に生えているセイタカアワダチソウを切り倒しに回ったことがありました。ただし、最近では、セイタカアワダチソウは虫媒花なので、花粉が風にとばされて遠くまで行くことはないといわれています。ブタクサという、これも帰化植物と混同された濡れ衣だったそうです。

 

日本ではススキの生育地を奪うものとして問題になっているようですが、アメリカでは逆に日本から入ってきたススキがgoldenrodを脅かしているとして問題になっています。あちらから見るのと、こちらから見るのとでは真逆になっているのが興味深いと思います。どちらにしても、これはgoldenrodやススキが悪いのではなくて、現在のパンデミックと同じで、人間が地球上をあまりにも速く、あまりにも遠くまで広範囲に動き回ることによって引き起こされた問題だと思います。アメリカの南部で問題になっているクズにしても、あちらこちらで問題になっている外来の魚によって固有の生態系が破壊される問題にしても、同じだと思います。人間はただ動き回るだけでなく、自分が住んでいるところにない珍しいものや、有用にみえるものを移植すれば、いいことがあるだろうくらいの考えで、地球全体のことを考えず、また将来に起こるかもしれない問題を予測できないで、目先のことだけを考えて行動してしまう地球上で最も危険な生物なのかも知れません。

 

14世紀のヨーロッパで流行したペストは、モンゴル帝国が中国からヨーロッパにまで版図を拡大し、その中の交通網が整備され、商人など、人々の往来が盛んになったために、中国、中央アジア、もしくは中東からもたらされたものだという説があるようです。ヴィルスは自然のものであっても、パンデミックは人間の文明の副産物なのでしょう。最初の世界帝国であったモンゴルの支配によって交通路が整備され、それによって東西の様々なものが交易されて栄えたのですが、そのためにパンデミックが起こり、それが一因となって、モンゴル帝国は滅亡したのだそうです。勢力拡大と繁栄の原因であり結果であったものが、滅亡の原因でもあるというのは地球上の自然の中の人間の文明を考える場合にも大変示唆的だと思います。

 

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 8月に入ってからこれまで雨が少なくて、苔庭は苔の緑があせて余りきれいではなくなりました。それと、今年はモグラの活動が活発で、トンネルがあちらこちらに掘られ、地面がゴコボコになってしまいました。写真で土が盛り上がっているのはかれらのトンネル工事の成果です。2、3年前にモグラが嫌いな周波数の音を出して撃退するという装置を試みたのですが、まったく効果がありません。あちらから見れば我々が侵入者ですので、殺さないように他所に移動してもらいたいのですが、どうすればいいかわかりません。いまのところ黙って見ております。

 

今年は、人間の活動が余りありませんので、植物や動物の話題の方が多いようです。3月中旬に三心寺が閉鎖されてから半年以上が過ぎました。月曜日から金曜日まで1人で坐禅堂で虫の音と共に坐っております。Zoomを通じて、それぞれの自宅で 坐っている人が何人かいます。そのほかの活動はすべてオンラインで行っています。このような状態がいつまで続くのか案じられます。

 

8月のサンフランシスコ禅センターの眼蔵会が終わってから、11月の三心寺の眼蔵会の準備を始めました。今回は「正法眼蔵仏経」です。5月の眼蔵会で参究した「諸法実相」8月の「無情説法」とほぼ同じ時期、1243年の7月に深草興聖寺から越前に移られて、多数の巻を書き始められた頃のものです。9月中に「諸法実相」「仏経」を書かれ、10月2日に「無情説法」を示衆されています。昨年の11月の眼蔵会で参究した「説心説性」も示衆の日時は不明ですが同じ頃の著述だと思います。これらの巻で顕著なのは宋朝禅に対する激しい批判です。それで、昨年来、道元禅師の宋朝禅批判について勉強していますが、中国禅宗の歴史や思想史の知識がなく、また日本から持ってきた手持ちのごく限られた資料しか使えない私には限界があります。

 

道元禅師が宋朝禅を批判されている文章は読めるのですが、それが当時の中国の社会史、思想史の文脈の中で正確で、的を射ている批判なのかどうか、曹洞宗宗学者の方々の研究は道元禅師は正しいという前提に立って宋朝禅を見ているのではないかと思われる節があります。しかし、中国禅宗史を研究されている人々のものは、どうしても主流であった、臨済禅を主に見られるので、道元禅師の批判は自分の立場に固執した言いがかりに過ぎないように思われているように思えます。本当は、自分で中国史禅宗思想史を原典に当たって調べなければならないのでしょうけれども、そのようなことをする学力も、興味も、時間も、資料もないので、どうしようもありません。私は学者ではなく、一回の坐禅修行者に過ぎないので、その枠を超えることはできません。そのことを自覚しておくことも大切だと思います。

 

 

2020年9月22日

 

奥村正博 九拝

三心通信 2020年7月、8月

 

6月の三心通信で紹介した三心寺の小さな草原のblack-eye Susan(アラゲハンゴンソウ)はほとんど枯れて、早くも秋の風景になりました。中西部に自然にあった野草の種を20種類ほど播いたということですので、この後秋の花が咲き出すかどうか、楽しみにしています。例年のように、胡桃の実が落ち始めました。朝夕は涼しくなり、最高気温も30°にならない日が多く、過ごしやすくなりました。

 

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7月中は、8月8日から14日まで7日間のサンフランシスコ禅センター主催の眼蔵会の準備に追われました。6月はまるまる1ヶ月「無情説法」、「無情佛性」の中国仏教や禅の中での系譜の勉強をし、「祖堂集」、「景徳伝灯録」の南陽慧忠と洞山良价の「無情説法」が含まれる会話を英語に訳しました。7月に入ってから、道元禅師の「正法眼蔵無情説法」に関連する釈尊の教えをパーリニカーヤの中に探しました。面山瑞方の述賛にあるように、道元禅師の「無情」は、「十八界に落ちない」ということだと思います。パーリの中部経典の第148経、「六種の六つの要素の集まり (六六経)」が参考になると思いました。英語訳ではThe Six Sets of Sixです。最初の三種の六つの要素は、六根、六境、六識の十八界です。次の三種は十二処と六識それぞれの触、受、愛です。十八界が様々な出会い方(触)をする中で、苦、楽、捨の感覚(受)が生じ、それに基づいて様々な欲望(愛)が生じる、欲望に基づいて行動するので、善業、悪業を作り、我々の人生は浮いたり沈んだりのサンサーラになってしまうという、初期仏教の縁起説のひとつです。 別の経では、触、受、から想、尋伺、戯論、妄分別と知的な方向(識)に進む縁起説もあります。「諸法実相」の巻ではこちらの方を取り上げられました。道元禅師が「無情説法」の巻で言われる「無情」というのは必ずしも山川草木などの自然物に限らず、「情識」に縛られないことだと思います。つまり「身心脱落」の坐禅がこの巻で解かれる「無情」ということだと思います。「渓声山色」や「山水経」もこの視点から読み直す必要を感じました。

 

大乗仏教や中国禅思想から始めると、様々な思想がこんがらがって、私の英語力では、理解も説明も難しくなりますので、できれば初期仏教まで戻って、根本的に何が問題だったのかから、理解し説明しようと試みています。それと私たちが実践している只管打坐とがどう結びつくのかを分かってもらえれば、「正法眼蔵」の参究が地に足がついたものになると考えております。

 

14日に眼蔵会が終わってからは、1週間ほどかかって、曹洞宗国際センターのニュースレター「法眼Dharma Eye」誌に毎年2回、連載している「正法眼蔵観音」の原稿を書きました。以前の眼蔵会で行った講義のトランスクリプションを基にしているのですが、自分の語彙の貧困さと、話に鋭さがないのに、自分でも呆れております。ほとんど、最初から書き直すのと同じくらいの時間がかかります。それに1週間ほどかかり、気がつくとすでに8月も下旬になっておりました。それから、Dogen Instituteのウェブサイトのために毎月書いている「道元禅師の漢詩」の記事を書きました。「句中玄」の順番に道元禅師の漢詩の注解を書いております。ただし、「永平広録」の英語訳が門鶴本を底本にしていますので、漢詩も門鶴本の訳を使い、卍山本と違いがあればそれを指摘するようにしています。道元禅師の和歌や漢詩を使うことによって、様々な面から道元禅師の教えを学ぶことができて、眼蔵会のような長いリトリートでなくても、細かく説明できなくても、理解してもらうことができるので、良いやり方だと考えています。これからは、11月の三心寺の眼蔵会のために「正法眼蔵仏経」の英語訳テキストを作り始めます。

 

3月中旬にヨーロッパから帰ってきて、三心寺で人々が集まる集会ができなくなってから、5ヶ月半が過ぎようとしています。三心寺の活動は全面的にZoomを使って、副住職の法光が中心になって、オンラインで行っています。月曜日から金曜日までの早朝の坐禅と朝課。日曜日の坐禅法話、水曜日の読書とディスカッションなどです。月に一度、1日の接心もオンラインで行っています。坐禅堂には1人か2人だけが坐り、あとの参加者は自宅で坐ります。

 

私個人の生活としては、旅行することがなくなり、本拠地に落ち着いて、翻訳や著述の仕事、今までできなかった読書や勉強ができて、困ることは全くありません。しかし、これがいつまでも続くと、お寺自体が存続できるかどうかの問題にもなりかねません。はやく収束してくれるように願っております。

 

 2020年8月26日

     奥村正博 九拝

 

 

三心通信 2020年6月

 

3月後半から4月、5月と、それほど寒くも暑くもないない早春から初夏まで、季節の中で移り変わる花たちや、小鳥の声を聞きながら、野外を歩くのが快適でした。YMCAのすぐ隣にある運動公園をほとんど毎日散歩しておりました。6月に入ってだんだんと暑くなり、最近では最高気温が30℃を超えるようになり、1時間程度歩くと、びっしょりと汗を掻くようになりました。さいわい2週間ほど前からYMCAが部分的に再開されました。グループで行う、ヨガやプールでのさまざまなクラス、チームでのバスケットの練習などはまだできませんが、個人的に歩いたり、走ったり、泳いだり、ストレッチをすることはできるようになりました。それでも、閉鎖前に比べればガラガラの状態です。入館する時には体温を測られ、なにも症状がないか質問されます。冷房がありますので、涼しくて助かります。

 

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一昨年から、お寺の境内の3分の1ほどの芝生を取り除き、中西部に自然に生えている野草を植えるプロジェクトをしてきましたが、最近black-eye Susanの花が満開になりました。写真を添付します。日本でも帰化植物として北海道などに生息していて、特定外来生物として防除の対象になっているのだそうです。日本語の名前はアラゲハンゴンソウ(粗毛反魂草、学名Rudbeckia hirta、別名:キヌガサギク)。濃い目の黄色の花弁で、真ん中にこげ茶の部分があり、ひまわりを小さくしたような花をつけます。反魂草という名前がどういう意味なのか気になったもので、調べて見ると、強い香りで死者を蘇らせると言われていたとのことです。もっとも、三心寺に咲いているblack-eye Susanとは似ているけれども違うようです。小さな草原ができたような感じです。

 

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人間があまり外を歩かないし、自動車も普段より少ないからか、鹿の出現が目立ちます。毎朝のように何頭かのグループで食事にきます。最近では、人眼がいてもよほど近づかない限り逃げなくなりました。昨日撮った鹿の写真も添付いたします。

 

22日に72歳になりました。例年ですと、6月は夏期安居の最中で、初旬に5日間の接心があり、第三の週末に首座法戦式があり、7月初めの禅戒会、受戒の式の準備で法名や血脈を作ったりなどで最も忙しく、にぎやかは月なのですが、今年は全ての行事が中止になり、私と家族以外、来客もほとんどありません。寂しいといえば寂しいのですが、私は周りに人がいないことは全く苦痛ではありません。引退を予定している2023年の6月まであと3年になりました。無事に過ごし、少しでも人々のお役に立てるような仕事を、体力と気力が続いてくれれば、ささやかに続けていきたい願っております。

 

5月のオンラインでの眼蔵会が終わってから、8月の、これまたオンラインでの眼蔵会の準備をしております。今回は「無情説法」の巻です。5月に読んだ「諸法実相」は1243年、越前に移転された年の九月に書かれましたが、この巻は同じ年の10月2日、場所は同じ吉峰寺での示衆です。中国禅の歴史の中で、無情説法という概念がどのようにして成立したのかを手元にある限られた文献とインターネットで得られるインフォーメションで見直しています。「涅槃経」では有情にしか認められていなかった佛性が無情にも佛性があるのだという考えが出てきたのは、三論宗から禅の牛頭宗を通してということのようです。六祖の弟子だった南陽慧忠が、無情が仏法を説いていると主張し、潙山やその弟子の仰山、香巌、霊雲などに受け継がれ、そこから繋がっているのが、雲巌、洞山に始まる曹洞禅になっていくという流れがあるということがわかりました。「無情説法」の巻で引用されているのも、南陽慧忠から雲巌・洞山師弟につながる「無情説法」についての会話です。しかし、「諸法実相」の巻の主眼が仏祖の現成としての身心脱落の坐禅の実践ということだったのと同じで、「無情説法」の巻のメインテーマも無情に佛性があるかどうか、説法をするかどうか、というような仏教の教学的、哲学的な議論ではなく、私たちの修行の中で、説法とは何か、聞法とは何かということだと思います。

 

三心寺の坐禅、その他の活動は副住職の法光が自宅からZoomを通じて行っています。週5日間の早朝の坐禅と朝課、木曜日夕方の読書会、日曜日朝の坐禅法話などです。

今月の9日には、サンガ・ワーク・ディがあり、主に境内の整備をしました。10人ほどの人たちが参加してくれました。午前九時から、屋外で1炷の坐禅をし、そのあと、午後四時頃まで、庭の手入れをしていただきました。7月には、オンラインの1日接心を企画しています。

 

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6月26日

 

奥村正博 九拝

 

 

三心通信 2020年5月

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このところ、温度が低く湿度が高く、曇天か雨が降り、肌寒いような日が続いていたのですが、今日は今年初めて初夏を感じる晴天になりました。散歩に出ると入道雲が見えました。樹木の葉はもはや新緑の爽やかな緑ではなく、威圧するような濃い緑になりました。三心寺の境内には白や紫のアイリスが大きな花をつけ、芙蓉の蕾も大きくなり始めました。
 
昨年もそうだったような記憶がありますが、まだ、苔庭に水をやらなくても、綺麗な緑です。それだけ、雑草が生えるのも早く、午後の散歩から帰った時に、膝と腰に負担がかからない程度に苔庭の草取りをしております。例年4月初旬に夏期安居が始まると、何人か参禅者が滞在しますので、苔庭の草取りも頼んでいたのですが、三心寺は依然として閉鎖中で、夏期安居も中止になりましたので、誰かを頼りにすることはできません。一通り草取りが済んだと思うと、最初にとりはじめた部分が元のようになっているのでそれこそいたごっこで、いつも負けています。日本のお寺の夏の草取り作務を思い出しております。4月1日から続けている一人だけの早朝の坐禅はまだ続いています坐禅と朝課のあと、一人で苔庭を見ながら朝食をとるのがこのところの楽しみです。前日に草取りをした部分の苔庭をみて、苔の緑が綺麗なのに満足しております。
 
4月の初旬は他の著作の仕事をしていましたが、中旬からは5月15日から19日までに予定されていたZoomを使ってのオンラインでの眼蔵会の準備に追われておりました。今回は拙訳の「諸法実相」の巻を講本にしました。Zoomというのがどういう仕組みのものなのかいまだに分かりませんが、私が三心寺の禅堂のコンピューターのモニターの前で話をすると、百人までが同時に視聴できるのだそうです。こちらの関係者の分がいくつか必要ですので、定員を90名にしましたが、それより多くの申込者があり、エイティングリストに何人か入ってもらったとのことでした。普通、三心寺の禅堂で行う場合には、禅堂や宿泊施設、台所などの大きさの制限があり、22名以上は参加してもらえませんでした。それで、数回、TMBCC(Tibetan Mongolian Buddhist Culture Center)の施設を使わせてもらいましたが、50名受け付けるのがせいぜいでした。参加者の数だけを考えれば、その倍近くの人に「正法眼蔵の講義が聞いていただけることになります。講義以外の坐禅などは、こちらで一応おすすめの差定を作りましたが、なにしろ、参加者の分布がアメリカ各地、ヨーロッパなどばらばらですので、時差の関係もあり、参加した人たちの都合で坐禅の時間は決めてもらうしかありませんでした。
 
講本は「正法眼蔵諸法実相」でした。2007年にサンフランシスコ禅センターで一度読んだのですが、今回もう一度参究し直したいと願っておりました。前回よりはまとまった話ができたように思います。この巻の前半は「法華経」の「唯仏与仏、乃能究尽、諸法実相」とそれに続く十如是についての提唱で、道元禅師独特の難解な文体で書かれています。翻訳を作るときに全ての単語や引用の語句などを調べ、手元にある註解書を読んでみても分かりづらいのですが、後半は南宋禅林の三教一致思想や、臨済禅の応庵曇華という人の坐禅観への批判、それに続いて、如浄禅師と玄沙師備の「実相」という表現を使用した言葉の称賛で、明快な文体で書かれていて難解な点はほとんどありません。この鮮明な違いは「渓声山色」などにも見られます。
 
眼蔵会が始まる10日ほど前まで、前半の部分が明確に理解できているかどうかもう一つ自信がありませんでした。それで、参考書や資料などは脇に置いてその部分の原文だけを何度も何度も読み返し、今まではしたことがなかったのですが、日本語の現代語訳を作り、段落ごとの主要点を書き留めました。それでようやく道元禅師が諸法実相について何を言おうとしておられるのかが把握できたように思います。第一、この巻のテーマは「法華経」の諸法実相という仏教教学的な概念ではなく、最初の文にある「仏祖の現成」ということを諸法実相という言葉を使って表現されているのだと思い至りました。「仏祖の現成」とはつまり、身心脱落の坐禅の行ということだと思います。
 
ともあれ、最初の試みであるオンラインの眼蔵会は私の講義としてはある程度うまくいったと思います。私の目の前にいるのはコンピューターやビデオカメラの操作をしていた人と、家内との二人だけだったので、聞いている人たちの表情を見ることが難しく、私の話がわかってもらえているか今ひとつわからなくもどかしい点がありました。しかし、参加した人たちからの便りには、始まる前にはほとんど何も期待していなかったけれども、講義を聞いているときには同じ部屋にいるような感じがしたという人もいました。8月にはサンフランシスコ禅センターで7日間の眼蔵会がある予定だったのですが、8月にはまだあちらの禅センターは閉鎖中である可能性が高いので、次の眼蔵会もまたオンラインですることになりました。講本は「無情説法」の巻です。こちらの眼蔵会が終わって、2、3日休んでから、「無情説法」の巻の翻訳テキストの作成に取り掛かっています。
 
それにしても今年に入ってからの体力、脳力の衰え方に驚いております。辞書のページをめくっている最中に、さて何という言葉を調べていたのか、と思い出さなければならない体たらくです。特に、睡眠が十分足りていないと、いくらやる気を出そうとしてもエネルギーがどこからも湧いてこず、脳味噌が休眠状態になります。そういう場合には数分間でも休眠するより他に手がありません。
 
3月半ばにヨーロッパから帰ってからは、来客もほとんどなく、静かな日々が続いています。コンピューターに向かって仕事をしているか、疲れると本を読むか、昼食後は昼寝と散歩、そして苔庭の草取り、、、。世界中から届くコロナウィルス、その他の意気阻喪するようなニュースさえなければ、「すべて世は事もなし」のような静かな生活を楽しむことができていると思います。引退後の生活のリハーサルのようです。
 
「すべて世は事もなし」という句は、高校生の頃に読んだロバート・ブラウニングのものです。人間の記憶というのは本当におかしなもので、今辞書で調べようとしている語句でさえ忘れてしまうのに、50年以上も前に読んで以来思い出した事もなかった詩句がなんともなしに出てきます。19世紀の詩人はこんな脳天気な詩を作ることができたのだ、21世紀の詩人にはこんなことは書きたくても書けないだろうと思い、作者はどのような生活をしていたのだろうか、ウィキペディアで調べてみました。この句が含まれている詩は劇詩の一部で、殺人犯が、少女が歌うこの句を含んだ詩を聞いて後悔するというストーリーの中に使われるのだそうです。この詩人自身の現実の生活と心境を表現したものではないようでした。
 
英語の原文は、
God’s in his heaven - -
All’s right with the world.
この最後の2行までは全て忘れてしまい、元の劇詩の文脈から切り離され、上田敏の「事もなし」という訳語に引きづられて、私は仏教語の「無事」という意味に理解しておりました。「無事是貴人」の無事です。しかし英語を読むと、神様が天国から見ておられるので、地上には神の正義が完全に行われているというような意味ではないかと思いました。少女が歌うこの詩を聞いて後悔した犯人の耳には、これは「お天道様はお見通しだ」のように聞こえたのではないでしょうか。
 
もう一つ興味深かったのは、ブラウニングが現実の殺人事件をめぐって、10人の異なる証言で構成した物語詩『指輪と本』を書いたということ。そしてブラウニングのフアンだった芥川龍之介がそれからヒントを得て「藪の中」という短編小説を書いたのだということでした。このところ、数本の黒澤明の映画を見直して、芥川の「藪の中」を原作とした「羅生門」も見たところでした。ブラウニングから着想を得た芥川の小説が黒沢の映画を通して西洋人に日本映画の評価を変えさせたというのは面白いと思いました。この映画のテーマは戦災や自然災害や疫病よりも人間が信じられないことが、いちばん恐ろしい問題だということだと思います。ということで、一見「事もない」今の私の静かな生活から現在のパンデミックの状況下の一番深刻な問題に導かれました。まことに「すべて世は事もなし」などと言っていられる状況ではないようです。道元禅師が「諸法実相」で言っておられる事もそれとつながる事だと思います。
 
 
 
5月26日
 
奥村正博 九拝
 
 
 

三心通信 2020年4月

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3月16日にヨーロッパから帰山してから、そして三心寺での行事が全て中止になってから、すでに一ヶ月以上が経ちました。3月中は、自主隔離のつもりでしたが、私の健康には全く異常が無かったので、コロナウィルスには感染していないことがわかりました。4月になってから、私は三心寺の禅堂で月曜日から金曜日まで、朝6時10分から7時までの1炷、一人で坐っています。坐禅の後、略朝課をしております。平常の報恩諷経、万霊諷経に加えて延命十句観音経を読誦して、パンデミックで亡くなられた人々に回向し、感染された方々、その家族の方々、医療関係者の方々の回復と健康、無事をお祈りしております。副住職の法光は自宅で同じく朝の坐禅と朝課をし、日曜日の朝の法話、水曜日のディスカッション・グループなど、Zoomを通じてオンラインで人々との行持を続けています。内山老師がいつか、世間の人々が何をしていいかわからず右往左往しているような時には、何もせず、不動の姿勢で静かに坐っているのが我々にできる一番の貢献だという意味のことを言われたのを記憶しています。誠にその通りだと今思い起こしております。

 

私は、1993年にアメリカに来た時以来、一人だけで坐ったことはほとんどありません。一人で坐るのは、京都の清泰庵にいた頃、そして園部の昌林寺にいた頃以来です。その頃を懐かしんでおります。誰もお寺に来ることはありませんので、自主隔離と変わらない静かな生活です。一人だけでも坐っていれば、坐禅堂は坐禅堂として生きているのだと思います。また人々が坐りに来れるようになるまで続けるつもりでおります。

 

3月中は5月の眼蔵会の準備に集中しました。実際の集まりは中止にせざるをえないのですが、できればオンラインで提供できないかと願っております。今までにも、このアイデアはあったのですが、なかなか実際には踏み出せませんでした。今回の異常事態が、新しいことを試すいい機会になるのではないかと思っています。講本は「正法眼蔵諸法実相」です。2007年にサンフランシスコ禅センターで一度読んだのですが、今回もう一度参究し直したいと願っております。

 

4月に入って最初の1週間ほどは、Dogen Instituteのプロジェクトである「良寛」の本の原稿を見直しました。何年も前にバークレイ禅センターで行ったいくつかの良寛詩についての私の話とミルウォーキー・禅センター前住職の洞燃・O’Coner師の越後の良寛さんの関係地を訪問した折の感想、その時に同行した法光が撮影した写真、洞燃さんのお弟子のTomonさんの絵画作品を一冊の本にしようという企画です。

 

それが一段落した後、私の禅戒についての講義のトランスクリプションを基にした本の準備を始めました。三心寺の創立以来、毎年7月に禅戒会を行ない、5日の会期のうち最初の4日間は説戒として、「教授戒文」の講義をし、そして最終日に受戒の式を行なってきました。その時の講義のトランスクリプションを法光がエディットしてくれたのですが、それを材料として禅戒についての本を作成しようとしております。一昨年からその材料は私の机の上に積まれて置いてあったのですが、時間がなくて、手をつけられませんでした。これを機会に目処をつけたいと願っております。

 

5月のオンラインの眼蔵会の企画が具体的になってきましたので、並行して眼蔵会の準備として「法華経方便品」を漢訳、漢訳の読み下し、サンスクリット本からの和訳、英語訳を対照しながら読み直しております。「眼蔵諸法実相」に引用されるのは十如是の部分と後いくつかの文だけなのですが、「方便品」全体の構成を明確に理解しておく必要があるように思います。

 

午後はここ数年、昼寝のあとYMCAにいって1時間ほど歩き、そのあとストレッチをして帰宅し、お風呂に入っていたのですが、YMCAは無期限に閉鎖されております。食料品店以外はほとんどの店が営業を停止し、三人以上の人が集まる場所も活動を停止しています。レストランはテイクアウトのみです。銀行もオフィスは閉鎖され、業務はドライブスルーのみです。ダウンタウンにも余り自動車も走っていないし、歩行者もあまりみません。それで、運動にはYMCAがある運動公園を1時間ほど散歩することにしています。毎日大体同じ時間に歩きますので、何回か顔を合わせる人もいますが、ほとんど挨拶もせず、すれ違う時も歩道の端と端に離れて手をあげる程度です。普段と違うのは、子供連れで歩いている家族をいく組か見ることです。普段は子供たちは学校に通っていて、午後に公園を歩いていることはほとんどないのですが、やはり家の中にいるだけでは退屈してしまうので、親が散歩に連れ出すのでしょう。それはそれで微笑ましい光景ではあります。

 

桜や木蓮はすでに散り、現在レッド・バッド(アメリハナズオウ)やドッグ・ウッド(ハナミズキ)その他の花が咲いています。天気の良い日には本当に気持ちがいい散歩日よりになります。しかし、例年と違ってそれを見て楽しむ人々の姿は余りありません。公園にある野球のグランドも例年だと週末には子供たちのチームの試合をしているのですが、今年は全くの無人です。

 

 

 

4月20日

 

奥村正博 九拝

 

 

 

 

三心通信 2020年3月

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2月25日に三心寺を出発し、26日午後にイタリアのローマに着きました。ニューヨークのJFK空港で乗り換えてローマ行きのフライトに乗る予定だったのが、直前にキャンセルされて少しあわてましたが、さいわいインディアナ空港から直通でパリに行き、乗り換えてローマに行く便に乗ることができました。今回はビジネスクラスでしたので、横になって寝ることができ、疲れ方がだいぶ違いました。
 
出発する前から、イタリア北部のベニスやミラノでコロナウィルスの影響が出始めていましたが、ローマでは人々は平常に生活していました。感染しているのは北部だけと感じているようで、商店やレストランも普通に営業していました。28日(金)の夕方に私の弟子の道龍と行悦が主宰しているAnshin 禅堂から歩いていける距離にあるイベントセンターのようなところで、公開講演をしました。今回のツアーでは主催者からの要請で「典座教訓」をテキストとして5回の話をする予定でした。その初回のローマでは、私の話のタイトルが英語で言うとHow to Cook Your Life (人生料理)ということでしたので、まず内山老師が「典座教訓」についてかかれた著書に「人生料理の本」と題名をつけられたことを話し、冒頭の段をよんで、叢林の修行の中での典座の仕事の位置とその意味について、坐禅や仏法の参究と全く同等の重要な働きであることについて話しました。それから、典座の1日の仕事について書かれていることの順番を追いながら、私たちの人生修行との関わりを話しました。百人ほどの人が聞きに来てくれて、会場はほぼ一杯でした。コロナウィルスの影響は全く感じませんでした。
 
翌29日(土)に道龍と行悦と共に列車でフィレンツエに移動しました。ローマの駅は普通に混雑しているように見えましたが、列車に乗り込むと空席が目立ちました。人々が旅行を控えているのがわかりました。フィレンツエの真如寺は金沢にある大乗寺の堂長、東隆真老師のお弟子の尼僧さんが主宰しているお寺で、大乗寺イタリア別院という看板がかかげられていました。オーストリアなど遠隔地から来る予定をしていた人たちは旅行を中止したということでしたが、お寺のメンバーの人たちはいつものように坐禅に来ていました。3月1日(日)の午後に坐禅と講話の会がありました。「典座教訓」の2回目として、道元禅師が典座、そのほかの叢林の作務を坐禅や仏法の参究と同等の意味ある修行と位置付けられるようになった最初の機縁である、天童山と育王山の典座との出会いについて話しました。
 
3月2日(月)にローマに帰り、3日(火)にローマ空港からギリシアアテネに移動しました。アテネの禅センターは事業をいくつか持つ実業家が、自分が経営するホテルの一階のフロアーを坐禅堂と武道の道場にしているところです。その人は年に2回小浜の発心寺の師家である井上光典老師においでいただいて接心をし、毎年6月には発心寺の摂心に参加しているとのことでした。禅堂にはバリ島で作られた大きな仏像が安置されていました。毎朝8時20分から9時まで坐禅があり、夕方には週に2、3回坐禅に人々が来るとのこと。その他の日には武道のクラスがあるとのことでした。5日(木)夕方7時から9時まで禅堂で私の公開講演がありました。この時には、私が三十年ほども前に最初に作成したShikantazaという坐禅の入門書をギリシア語訳し、最近それが出版されたとのことで、その本の主題である只管打坐、身心脱落について話しました。イタリアでは道龍が通訳をしてくれましたが、ギリシアでは多くの人が英語が理解できるとのことで通訳なしでほぼ2時間話しました。英語ができない人のために一人の人が小さな声で通訳をしていました。この時も百人ほどの人が来て、禅堂はほぼ満員になりました。
 
6日(金)の夜から人々が坐禅堂に集まり、翌7日(土)の早朝4時振鈴で9日(月)の午後9時まで、3日間の接心が始まりました。当初の差定では私の話は午後1回、40分ということでしたが、先日の話を聞いた人たちから毎回90分話すようにと注文されました。日本から老師がこられる接心では日本語から英語への通訳付きで40分の提唱が普通だということで、人々は仏法のまとまった話をもっと聞きたかったようでした。最初の日にはローマで話した叢林の修行の中での典座をはじめとした作務の重要性、2日目には、道元禅師と2人の中国人典座との出会い、3日目には「典座教訓」の結論として書かれている三心について話しました。接心の参加者は30名ほどでした。
 
私がアテネに到着した3日には、コロナウイルスの影響について人々はあまり深刻ではありませんでした。禅センターがあるホテルはアクロポリスから歩いて15分くらいの場所で、ホテルやレストランがたくさんあり、観光客が多く集まる場所にありましたが、歩道いっぱいにテーブルが並んでいるどのレストランも満員のようでした。摂心が終わった次の日、11日(火)に、オリンピックの聖火の採火式のリハーサルがあるのでオリンピアで見に行かないかという話もありました。しかし、接心が終わった時には、採火式のリハーサルも非公開、無観客で行うということになっていました。アテネに移動して1週間ほどして、イタリア全土が封鎖されたときいて驚きました。禅センターがあるホテルでもキャンセルする人が多くなったとのことでした。三階にある私の部屋からはアクロポリスパンテオンが正面に見えて、9日間の滞在中まことに贅沢な時間を過ごしました。
 
12日(木)、アテネからパリを経由してフランスの南部、地中海沿岸のマルセイユまで飛びました。最初はルフトハンザのミュンヘンを経由するフライトだったのですが、ルフトハンザの便は3分の1がキャンセルされたということで、エア・フランスの便に変更になりました。マルセイユの空港からから2時間ほど自動車で北に入ったAlesという町にある弟子の正珠が指導している法水寺で2回講話をしました。小さな町の小さなお寺で参加者は15名ほどでした。正珠が拙著Living By Vow誓願に生きる)をフランス語に訳し、最近出版されたので、それを記念して、その本に収載されているものを選び、最初の日には「四弘誓願文」2回目は「懺悔文」について話しました。一昨年訪問したベルギーのMonsの禅センターを主宰している弟子の黙祥と奥さんのフランソワが来ていて、フランソワがフランス語に通訳してくれました。彼女は元プロの同事通訳をしていたそうです。全くつまることなく訳してくれましたので感心しました。Alesは旅行者もほとんど来ない静かな町なので、人々はコロナヴィルスの感染の心配はしていないようでしたが、政府の要請で学校は休校になり、商店、レストランなども私の滞在中に閉店になりました。一度散歩に出ましたが、人通りもほとんどなく、車もあんまり走っていなくて、私が子供の頃の日本のお正月風景を思い出しました。
 
そのあと、ロンドンに行く予定だったのですが、コロナウイルスの影響がイギリスでも深刻になり、ロンドンでの行事は延期せざるを得なくなりました。アメリカ政府がヨーロッパからの入国を制限することになったとのことで、1週間予定を早め、急遽パリ、ニューヨークを経由して3月16日に三心寺に帰山しました。旅客は少なかったですが幸いに、フライトも正常に飛んでいて、深夜に無事に三心寺に帰り着くことができました。ヨーロッパの国々でも国境が閉鎖され始めましたので、黙祥とフランソワも予定を早めて16日に列車でベルギーに戻ったとのことでした。
 
三心寺に帰ってから12日目になりますが、自己隔離のつもりで家族以外にはなるべく会わないようにしています。お陰様で、私の健康状態に何ら異常はありません。今月いっぱいは家にいて、5月の眼蔵会の準備をするつもりです。
 
幸いに現在のところ、三心寺のサンガ、関係者で感染している人はいないようです。三心寺は私が帰った日から一切のお寺での行持を今月いっぱい取り止めています。4月からオンラインで何かすることを検討中です。22日(日)の理事会で、今年の夏期安居は中止することになりました。5月の眼蔵会も中止になったのですが、オンラインで私の講義を提供できるかどうか検討中です。夏安居の代わりに半年ずらして冬に安居ができるかどうかもこれから検討します。
 
わたしは、この機会を、これまだ滞っていた原稿の執筆や、読めなかった本を読むことに集中するつもりでおります。
 
 
 
3月28日
 
奥村正博 九拝
 

三心通信 2020年2月

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Living By Vow(フランス版)

昨年に続いてこの冬も、暖かな冬でした。2、3度雪雨が降りましたが、すぐに消えてしまう程度で、2月中もむしろ雨の日が多くありました。

 
2月6日にブルーミントンを出発し、サンフランシスコに行きました。サンフランシスコ大学の哲学の先生がオーガナイズされた、Coastal Zen:Zen and Placeというタイトルのコンファレンスに出席するためです。インディアナポリスからジョージア州アトランタに飛び、そこでサンフランシスコ行きのフライトに乗り換える予定だったのですが、フロリダの海岸からアトランタのあたりまで、おおきな雨嵐があり、私のフライトは3時間ほど遅れました。アトランタについたものの、乗り換えのフライトに間に合わず、5時間ほども待って、次のフライトに乗りました。午後1時過ぎにサンフランシスコに着く予定が、9時半頃になってしまいました。
 
7日、宿泊させていただいたお宅を昼ごろに出発して、サンフランシスコのゴールデンゲート・パークのすぐ北側にあるサンフランシスコ大学の宿泊施設につきました。イエズス会によって創設されたカトリックの大学で、壮大な礼拝堂があります。コンファレンスの会場はその礼拝堂のすぐそばにある建物でした。午後4時45分から6時まで私のA Person in the Mountainsと題したkeynote presentation(基調講演)がありました。主催者は40ないし50人くらいの来場者を見込んでいたのですがサンフランシスコ禅センターやその他の禅センターの人たちが意外に多く来られて、100名ほどの人が私の話を聞いてくれました。私は哲学の先生たちの学会だと聞いていたので、学者の人たちに聞いてもらえるような話ができるか心配していたのですが、大多数が禅センターの人たちでしたのでいつもの調子で話すことができました。

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A Person in the Mountainsというのは、道元禅師が「山水経」などで使われた「山中人」という表現の英語訳です。「永平広録」第9巻の「永平頌古」第25則に宏智禅師の偈頌を本則として、道元禅師ご自身の頌古を作っておられます。宏智禅師の偈頌は明らかに蘇東坡の「盧山の詩」を下敷きにしたものです。

横看成嶺側成峰 (横より看れば 嶺を成し、側よりは 峰を成す)
遠近高低各不同 (遠近、高低、各の同じからず )
不識廬山真面目 (廬山の真面目を識らざるは )
只縁身在此山中(只だ身此の山中に在るに縁る)
 
宏智禅師の偈:
来来去去山中人  (来来去去山中の人)
識得青山便是身  (識得す青山は便ち是れ身)
青山是身身是我  (青山は是れ身、身は是れ我 )
更於何処著根塵(更に於何処にか根塵を著けん)
 
道元禅師の偈:
山中人可愛山人  (山中人は山を愛する人なるべし)
去去来来山是身 (去去来来、山は是れ身)
山是身兮身未我   (山は是れ身、身は我れならず )
更尋何処一根塵 (更に何処にか一根塵を尋ねん)
 
これら3つの詩を比較しながら、道元禅師の自己と自己が生きる場所としての万法との縁起、空のあり方について話しました。面白いことは、「山水経」をかかれた1240年に撰述された「礼拝得髄」、「渓声山色」、「諸悪莫作」、「有時」などの巻に「山中人」という表現が使われていることです。この年以前に書かれた巻にも、以後に書かれた巻にも使われていないと思います。このことから「永平広録」所収の「永平頌古」もおそらくこの年あたりに作られたものと推測しております。
 
2日目、3目は哲学者の方達の発表でした。このグループの学者の方達は禅に興味を持っているだけではなくて、自分でも坐禅修行をし、何人かは曹洞宗の僧籍も持っている人たちです。発表を聞いているとゲリー・シュナイダーのディープ・エコロジーや人間と自然や環境についての問題に興味を持っている人たちのようでした。ただわたしには、学者の人たちの使う英語はよく聞き取れず、あまり理解もできませんでした。
 
先週末、21日から23日まで、三心寺でIntroduction to Dogen(道元入門)をテーマにしたリトリートがありました。私は25日にヨーロッパに出発する予定で、ヨーロッパでの10回の講義や講演の準備もしなければならなかったので、坐禅や作務は免除してもらい午前9時から11時まで、講義だけを担当しました。道元禅師の戒、定、慧についての著述の中で述べられている、基本的なことを話しました。眼蔵会の場合は、特定の巻について話しますので、このように幅広く、基礎的な話はできません。道元禅師にまだあまり馴染みがない人たちには興味を持って聞いてもらえたと思います。
 
昨年の2月にアイオワ州の竜門寺で首座法戦式をした、ドイツ人女性の鏡空が、今月法光から嗣法を受けました。10日ほど三心寺に滞在して、8日間の伝法の加行に加えて、日曜日には坐禅会の法話をし、週末のリトリートにも参加するなど、大変な10日間だったと思います。
 
25日に三心寺を出発し、26日午後にイタリアのローマに着きました。最初に予約していたインディアナからニューヨークに行き、ローマ行きに乗り換えるフライトが直前にキャンセルされて、少々慌てましたが、インディアナポリスからパリへの直行便に乗り、パリで乗り換えてローマに着くことができました。今回はビジネスクラスに乗ることができ、横になって眠ることができましたので、疲れ方が違いました。
 
イタリアでは、ヨーロッパの中で最もコロナウイルスに感染している人が多いということで、今回の訪問を中止するかどうか判断しなければなりませんでした。感染者が出たのは主に北部なので、ローマの人達はそれほど深刻には考えてないようです。少し北にあるフローレンスでは大きな集会が中止になったりしているようで、オーストリアから私の話を聞きに来る予定をしていた人たちが、取り消したとのことです。イタリアの後に行く、ギリシアフランス、イギリスは問題ないようです。

 

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ローマ講演のチラシ


4カ国の5つの禅センターを訪問して、合計10回の広義や講演をする予定です。3月23日に三心時に帰ります。無事にこの旅が終わるように願っております。
 
 
 
2月27日
 

奥村正博 九拝