三心通信 2022年4月

気温が上がったり下がったりいておりますが、木々の緑が少しずつ目立つようになり、新緑の候という感じです。様々な花が咲いています。桜の花はほぼ散って葉桜になりました。クラブ・アップルの満開がやや過ぎたところです。crab appleの日本語名を調べようとしましたが、辞書には、アメリカに分布するバラ科リンゴ属の植物、としか説明されていません。リンゴ属ですが、実はブドウほどに小さく食用にはなりません。竹の子も出始めました。竹藪が大きくなりすぎるのを阻止するために毎年、一定の範囲外から出たものは除去していますので、写真の竹の子もすぐに切り取られます。

 

4月4日から、3年ぶりに夏期安居が始まりました。パンデミックの始まる前のように、マスクの着用なしで、坐禅会や勉強会を禅堂でできるようになりました。ただし、まだ注意は必要なようです。先週勉強会に出席した人から、感染者に接触した人に接触していたと言う連絡が入ったそうです。ご本人も、それを知ったのは次の日だったそうですが。そういうことから集団感染が起こることは、人間が集まる以上可能性は排除できませんので。

 

今回、首座を務める小山一山さんは、40年以上ニューヨークに在住し、アメリカ国籍も取得している人ですので、英語の問題は全くありません。3月下旬に三心寺にきて、既に1ヶ月以上になります。すでに4回、日曜日の法話をしてもらっています。私の弟子になったのは5年ほど前ですが、それ以前、30年くらい坐禅をしていた方です。パンデミックが始まる直前に、福岡の明光寺僧堂に半年間安居させていただきました。

 

参禅者の宿泊所としてかりていた隣のアパートは、パンデミックの間2年間、だれもつかわないのに、家賃だけは払い続けておりました。現在、もうひとりニューヨークから来ているキクさんと言う日本人の女性と、ソーヤというこの近く出身のアメリカ人の青年と、安居中は三人が居住しています。パンデミックが完全に収束していないこともあって、市外から来る眼蔵会や接心の参加者にはまだ解放しないようにしています。パンデミックの置きみやげということになると思いますが、どのような行持も、Zoomを通じてリモートでどのような遠隔地からも参加してもらえるようになりました。禅堂がスタジオのようになりました。

 

第2日曜日に、サンガ・ワーク・ディがあり、10名ほどの人たちが境内の清掃、整備の仕事をしてくれました。観音菩薩の立像と、坐禅の姿勢の仏像の寄贈がありました。二つともセメント仏です。アメリカで仏教に興味がある人たちの中には、このようなセメント仏を庭に置く人がかなりあります。木や花の苗や、造園用の様々な石などを売っている店で、キリスト教のイエス像やマリア象、その他様々なセメント製の像が売っています。その人の趣味が変わったか、代替わりしたときに不要物として引き取り先を探したのだと思います。日本の石仏とは感じが違って、あまり有り難みを感じません。



5月5日から9日までの眼蔵会が近づいてきました。あと1週間を切ったのですが、おそらく老化のためだと思いますが、さほどの切迫感がありません。なんだか、自分と現実に起こっていることの間に薄い膜があるような感じで、現実感がさほど感じられません。今回は、「正法眼蔵佛性」の巻のパート1です。「佛性」はながい巻ですので、3つのパートに分けて、3回の眼蔵会で完了する予定でおります。今回は、最初から四祖と五祖の無佛性についての会話の段落までです。過去に3回か4回、全巻の講義をしたことがあるのですが、いずれも10年以上前です。その際は「佛性」の巻を自分で英語に訳せるとは思えなかったので、Norman Waddell & Masao Abe訳のThe Heart of Dogen’s Shobogenzoに収録されている英訳を使いました。

 

今回は、私の眼蔵会で使う最後の講本ですので、何とか自分の訳を作りたいと、昨年11月の眼蔵会が終わったあと、3ヶ月以上をかけて、「佛性」を訳しました。なんとか完了したのですが、眼蔵会の講本として、自分の講義の中で説明をするという前提で翻訳しましたので、訳文を読むだけで分かるようにではなく、なるべく日本語に近いように工夫をしました。これは、私の眼蔵の英訳は全てがそうなのですが。訳注もつけていませんので、翻訳だけをまとめて一冊の本にすることはあまり意味がないと思います。

 

3月下旬から、この眼蔵会の準備に専念してきたのですが、いまだに準備完了とは言えません。毎回そうなのですが、眼蔵会がはじまって、実際に講義を始めるまではどのように説明すればいいのか、迷いに迷っています。

 

ということで、今月の三心通信は、いつもより短くなりました。申し訳ありません。

 

4月30日

 

奥村正博 九拝