三心通信 2021年11月


今月の上旬、眼蔵会が終わる頃までは晴天が続いたのですが、中旬以降は曇りや雨の日が多く、少し残っていた木々の紅葉もほとんどなくなりました。サンガのワーク・ディもあいにくの雨になり、冬に向かう前の境内の清掃ができませんでした。落ち葉が風に吹かれてあちらこちらに溜まっています。幹と枝だけになった木々は寒々としています。最近は霜が降りたり、水溜りに氷がはることもあります。晩秋の風景です。今日はサンクスギビングでしたので、お寺の活動もなく、静かな1日でした。YMCAも休館なので、外には出ず、ずっと家の中で過ごしました。

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5月から始めた宗務庁翻訳事業の英語訳「正法眼蔵」の日本語の部分の校正は、8月末に「眼蔵」本文の校正が終わり、脚注の部分に引用されている日本文を見ております。現在、12巻「正法眼蔵」の第3、「袈裟功徳」の巻を終えたところです。あと第2巻の半分くらいが残っています。眼蔵会の前2週間ほどは休みましたが、毎日、朝の最初の1時間をこの作業に当てています。

10月末に駒沢時代からの友人が亡くなりました。駒沢大学に入学してすぐに、当時、世田谷の勝光院というお寺の墓地に付属した建物で、笹川浩仙さん、能勢隆之さん、関口道潤さんたちが毎週日曜日にされていた坐禅会を紹介してくれた人でした。それまで本を読んで我流で坐ったことはありましたが、駒沢に入って坐禅指導を受けた後、本当に坐禅を始めたのはその坐禅会においてでした。本気で坐禅を行じておられた方々にお会いできたのは、その友人のおかげでした。

卒業してからも、折々に宗門の僧侶としては常道ではない生き方をしている私を気にしてくれていました。1981年に身体の故障でアメリカから帰ったばかりで、お金も仕事も住むところもなく、これからどうしようかと考えながら、大阪の弟のアパートの留守番をしていたころ、広島のお寺に来るように言ってくれて、手伝いをしながら何日間か滞在させてもらいました。アメリカで屯田兵まがいの生活を5年間した後で、日本のお寺でお坊さんがすることは全部忘れてしまっていて、「舎利礼文」を読むのにも経本を見なければならいという体たらくでしたので、お手伝いと言うよりは邪魔をしていた方が多かったと思います。

20年ほども前だったと思いますが、高い石垣の上で作務をしていた時に、転落して、それ以来車椅子での生活を続けていました。数年前に帰国した折、駒沢の頃の友人二人と一緒に広島のお寺を訪ねして、一夜歓談したのが最後になりました。この夏に、珍しく手紙をくれて、御自分や共通の知人の近況をしらせてくれて、最後に是非又会いたいと書いてありました。次に帰国する機会にもお訪ねすることを楽しみにしていたのですが、かなわなくなりました。遠くに住んでいるもので、両親の死目にも葬儀にも出ることができなかった私ですので、今回も三人の知人から彼の訃報を知らせていただいたのですが、葬儀に出ることはできませんでした。これから、ますますこのような寂しく、申し訳ない経験をすることになると思います。あるいは、私自身も早晩、人生の店じまいをして、お暇をすることになるのでしょう。それにしても、様々な人々とのご縁のおかげでこのように坐禅をしながらここまで生きてこられたことを心から有難いことだと思います。

4日から8日まで「眼蔵会」がありました。今回は、オンラインで講義を提供するためのテクニカル・サポートの人たちの他、7、8人がマスクを着用してですが、禅堂で講義を聞いてくれました。オンラインでも参加してもらえるようになり、合計60名ほどの参加者がありました。禅堂の中は、そのためのカメラや集音マイク、コンピューターが設置され、スタジオのようになりました。それにしても、2、3年前まで、参加者の人たちと数炷の坐禅をしながら、1日2回、90分の英語での講義ができていたのが、今では信じられません。60歳代と70歳代の体力の違いに驚いております。今では、講義をするだけで精一杯です。

先月の三心通信に、「梅華」の巻と伝法偈に関係について書きましたところ、「『現成公按』を現成する」を日本語に翻訳していただいた宮川敬之さんから、水野弘元先生がかなり以前に「宗学研究」に書かれた「伝法偈の成立について」という論文を、わざわざ国会図書館のデジタルライブラリーにあるものを地元の図書館でコピーして送っていただきました。ご親切に感謝しています。先生はパーリ語仏教の世界的権威でしたから、中国禅の伝法偈の成立について研究されていたと知って驚きました。50年以上も前のことですが、駒沢大学で、水野先生の「仏教概論」の講義をお聞きしたことを思い出しました。

眼蔵会が終わった後に、水野先生の論文を読みました。「伝法偈」の成立について
大体首肯できることが書かれていました。その中に、次のような文がありました。

「以上によって六代の伝法偈は敦煌本にあるものが原始形であり、そこには禅の教理的なことは一切述べず、唯だ正法が達磨から慧能へと、よき条件の下に嫡嫡して、隆盛に向うにいたることを予言的な形で述べているものであることが知られる。伝灯録等にある流通偈では右のようなすっきりした意味はなく、曖昧な点、空思想を出そうとした点など、改変の後が見られる。」(33頁)

この部分を読んで、「禅の教理的なことは一切述べられていない」と言われているのに驚きました。私は、インド以来の如来蔵思想には全くなかった、有情の中には、果実の中の種のように佛性(如来蔵、本覚)がある。その種(佛性)は成長する力(生性)をもち、良縁に会えば、花を咲かせ、果実を実らせるという、「大乗起信論」の「本覚」に重点を置いた「禅思想」が述べられているのだと思います。分別、妄想、煩悩を取り除く修行の必要は全く説かれていないので、「始覚」の過程の方は無視されているようです。北宗を「漸修」として批判した、南宗の「頓悟」の主張なのだと思います。それは、道元禅師が「即心是仏」や「無情説法」で引用し、批判されている、南陽慧忠と問答した南方から来た僧の禅思想と根底的に同じものでしょう。やはり、道元禅師が「佛性」の巻で「凡夫の情量」として批判されている考え方に他ならないのではないでしょうか。

もっとも、パーリ仏教の権威で、アビダルマなどの仏教教理に精通しておられた水野先生には、このような安直な思想は仏教の教理だとは考えられなかったのかもしれません。その点では、道元禅師が「凡夫の情量」だと言われているのと共通していると思います。

道元禅師が「梅華」の巻で言われているのは、諸法実相にもとづいた、無限に広く、ダイナミックな縁起相関の全機を具現している梅樹や梅華等、個々の存在のあり方に目覚め、それを行として現成していくことなのだと思います。「供養諸仏」の巻で、「諸仏かならず諸法実相を大師としましますこと、あきらけし」と言われていることの重要性を感じました。

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昨年まで11月末のこの時期は、眼蔵会が終わって一息つくまもなく、臘八接心が目の前に迫っていて、緊張せざるを得ない時期でした。昨年の臘八接心は午前中だけ坐りました。それ以降、膝や足の付け根の痛みに加えて、坐骨のあたりが椅子に1時間も坐ると痛くなって、坐禅を休ませてもらっています。今年は、午前、午後、夜坐、1炷づつ坐れればいいなという感じです。加齢とともに、人生の風景も晩秋らしく変わりつつあります。

2021年11月25日

奥村正博 九拝