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三心通信 2020年10月
9月以来、雨が少なく乾燥した天気が続きました。その分、紅葉は綺麗でしたが、苔庭の苔は色あせていました。もぐらがトンネルを掘る作業でできた、「もぐら塚」の土の盛り上がりだけが目立ちました。この1週間ほど、曇天が多く2、3日おきに静かな秋雨が降っています。気温もまだ氷点下にはなりませんが、最低気温は一桁、最高気温が10度代半ばというところです。紅葉もすでに盛りは過ぎ、木の葉が落ちた分、空が広く明るくなっています。18日の日曜日にワーク・デイがあり、7、8人の人たちが来て、落ち葉掃きなど境内の整備をしてくれました。それでも、11月の半ばくらいに全ての木々が完全に裸になるまでは、地面は枯れ葉におおわれます。
11月19日から23日まで三心寺の眼蔵会があります。今回もオンラインです。それで先週から、朝の坐禅を免除してもらっております。若い頃は、時差ぼけの時以外は眠れないということは全くなかったのですが、70歳を過ぎてから、夜の睡眠が短く、かつ浅くなってきました。昨年くらいから、それがいよいよひどくなってきました。夜の睡眠が十分でないので、昼間、時差ぼけの時のように眠くなります。そういうときには、いくらコーヒーを飲んでも、頭がボヤーとして通常に働きません。通常に働かないというか、そういう状態が通常になってきたと言ったほうがいいかもしれません。世界中、気候の温暖化で毎年が異常気象、「異常」なのが「通常」になってきたのと似ているのかもしれません。眼蔵会の間は、5日間、毎日90分の講義を午前9時からと、午後2時からと2回しなければなりません。どうしてもこの時間に頭が働くように生活のサイクルを1ヶ月ほど前から整えなければならなくなりました。2、3年前までは、眼蔵会の直前2日ほど朝の坐禅を休むだけで、眼蔵会中、参加しているみんなと同じく4時半に起きて、6炷の坐禅も一緒にしていていました。眼蔵会が終わると、完全にエネルギーがなくなって、数日間何もできなかったのですが、それでもなんとか続いていました。今はもう、とても無理という感じです。今年はオンラインの眼蔵会ですので、私は坐禅をしないようにしています。それでなんとか1日、3時間英語で「正法眼蔵」の話ができているという感じです。60歳になったときに、50代とのあまりの違いに驚き、あわてましたが、60代と70代の差もかなりのものです。いまはすでに、抵抗する気力もなく、加齢による衰えを受け入れるより他にありません。無理をしないよう、かといって自分を甘やかさないように気をつけてはいますが、どこまで行っても下り坂だけなのはしょうがありません。しかし、この年まで、興味を持ってできる仕事があり、私の下手な英語での講義を聞いてくれる人たちがいることだけでも有り難いと感謝しています。
今回の眼蔵会の講本は「仏経」の巻です。2019年5月の眼蔵会で「三界唯心」の巻を講本にしてから、「説心説性」、「諸法実相」、「無情説法」と1243年に深草から越前に移転された直後に書かれた巻を参究してきました。これらの巻を読んで気がつくのは宋朝の禅に対する批判が多いということです。再出発に際して、御自分の仏法の理解、それに基づいた修行のあり方をはっきりさせるために、その頃に盛んだった禅についての考えや修行の仕方を批判して、これから新しい場所で学び、教え、修行すべき方向を会下の人たちのために明確にしようとされていたのだと思います。「仏経」の巻にも、宋朝の教外別伝、機関禅、三教一致、などへの批判が出てきます。
一昨年から、月に一度「句中玄」に収録されている道元禅師の漢詩について、「永平広録」の英語訳Dogen’s Extensive Recordで太源レイトン師と作成した英訳を使って、解説というか、私がどう理解しているのかを書いています。先日書き終えた11月分では、「句中玄」では34番目、永平広録第10巻では52番目の「野山忍禪人に與う」と題した漢詩について書きました。
「野山」は高野山の略です。忍禪人の忍は、この人の名前の最後の一文字ですが、どういう人なのかは全く不明です。高野山はいうまでもなく真言宗の本山、金剛峰寺がある山です。道元禅師に真言宗と縁があったという記録は私の知る限りありません。瑩山禅師の「伝光録」には、お母さんの葬儀が洛北にある高尾寺(神護寺)で行われ、その時、香煙を見て無常を観じて発心したと書いてありますが、葬儀が神護寺で行われた可能性は少ないそうです。
ただ一つ高野山で道元禅師と縁があるのは金剛三昧院というお寺です。もとは1211年に栄西を開山として、北条政子の発願で源頼朝の菩提のために禅定院として創立されたものが、1219年に源実朝が暗殺されたあと、その菩提のために金剛三昧院と改称されました。実質的には弟子の退耕行勇(1163―1241)によって創立されたようです。行勇は真言宗の僧侶で、栄西が鎌倉に進出したときにはすでに鎌倉で活躍していました。栄西の弟子になってからも真言宗とのつながりは切れてなかったようです。これは栄西も同じでしょう。建仁寺も延暦寺の末寺として、天台、密教、禅の兼修道場として創立されたということですから。天台宗や真言宗から独立した禅宗を新しく確立するという意図はなかったようです。この漢詩にでる、忍禅人はおそらく行勇の弟子で、金剛三昧院で禅を修行していて、建仁寺を訪ねたのだろうと思います。行勇は、栄西の死後建仁寺の住職でもありました。
道元禅師が中国から帰国された直後に、紀州由良の西方寺を訊ねたという記事が「法灯円明國師行実年譜」にあるそうですが、その寺も金剛三昧院と同じく、源実朝の菩提のために、葛山景倫(出家名、願性)という人が開基になっています。行勇の弟子に、後に東福寺の開山となる円爾弁円や、後に由良の西方寺を興国寺と改称して住職となった心地覚心があります。覚心は道元禅師から菩薩戒を受けています。法灯円明國師というのは覚心の諡号です。「宝慶記」、「随聞記」、「眼蔵嗣書」の巻に出る隆禅という人も金剛三昧院と関係がったという説もどこかで読んだ記憶があります。
今までほとんど考えたこともなかったのですが、道元禅師が帰国されてからも、栄西の系統の人たちとの関係は続いていたようです。深草の興聖寺の法堂の建立を援助した正覚尼は、源実朝の正室だったという説もあるそうです。とすると、行勇と道元禅師がつかれた明全和尚との関係は建仁寺の中でどのようなものだったのか、また、栄西から批判されていた日本達磨宗の懐奘、その他の人々が道元禅師の会下に集まったことが、道元禅師と栄西の法系の人たちとの関係にどのような影響を及ぼしたのか、そのことが、円爾弁円が新しく創建された東福寺に入るのと同じ頃に深草から越前に移られたことと関係があるのかどうか、考えて見なければと思いました。
2023年に、三心寺の住職をやめてから、体力と脳力が許せば、道元禅師の伝記を書きたいと願っていますので、そういうことも気になってきました。いまだに、信頼できる道元禅師の伝記が、英語では書かれていないのです。
「野山忍禪人に與う」という漢詩の結句「噴噴地上觜盧都(噴噴地上に觜盧都す)」の意味にもう一つ確信が持てなかったので、鳥取県天徳寺の宮川敬之さんにお訊ねしたところ、大変丁寧に調べていただきました。敬之さんは、一昨年、昨年と11月の三心寺眼蔵会に三人のご法友とともに参加していただきました。拙著Realizing Genjokoanを日本語に訳していただいております。
2020年10月29日
奥村正博 九拝
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三心通信 2020年9月
今日は秋分の日、日本ではお彼岸の中日です。すっかり秋めいてきました。毎日通っているYMCAの近くにある貸し農園に植っているたくさんのひまわりも、種が重くなって、頭を垂れています。三心寺の境内にできた小さな草原は、夏の草がすっかり枯れて茶色になり、いく種類かの秋の花が咲いています。
写真に写っている白い花はsnakerootという名前だそうです。ウィキペディアによると日本名はマルバフジバカマ(丸葉藤袴)。アメリカ東部から中西部にかけて自生しています。トリメトルという有毒成分を含んでいて、牛、馬、羊などの家畜がたべると肉や牛乳にその成分が混入し、それを摂取し続けると人間にも中毒症状が出るということです。ミルク病(Milk Sickness)と呼ばれています。この植物が原因だと究明されるまで、何百人の人が亡くなったとのこと。このような有毒な植物を植えて、鹿が食べたりしないのかと道樹さんに聞くと、鹿はこの草を食べないのだそうです。鹿も案外馬鹿ではないようです。道樹さんは現在インディアナ大学の大学院で仏教の勉強をしていますが、以前は植物学の研究者でした。三心寺の境内の芝生を取り除いて野草園にしようと提案し、実際にそのプロジェクトを進めた人です。このあたりにいる鹿はアメリカに有史以前からおそらく何万年も住んでいるけれども、牛や馬などはヨーロッパ人に持ち込まれた新しいものなので、この植物が毒だとまだ分かっていないようだとのこと。頭に知識や記憶として蓄えられるのとは違って、動物のDNAにまでたたきこまれるには、500年程度の時間は短すぎるようです。
Snakeroot に混じっている黄色い花はgoldenrod(金の枝)です。カナダからアメリカ中西部に自生している植物で薬用にもなるし、養蜂にも使われていて有用な植物です。日本には切り花用の鑑賞植物として明治時代に輸入されたとのこと。それ以来野生化し現在では全国に広がっています。日本での名前はセイタカアワダチソウ。要注意外来生物に指定されて、駆除の対象にもなっているようで、あまり良いイメージはないでしょう。日本でセイタカアワダチソウを部屋に飾って鑑賞している場面を想像するのは難しいと思います。1970年代には喘息や花粉症などのアレルギーの原因とされていました。安泰寺にいた頃、喘息を持っている人があって、近所に生えているセイタカアワダチソウを切り倒しに回ったことがありました。ただし、最近では、セイタカアワダチソウは虫媒花なので、花粉が風にとばされて遠くまで行くことはないといわれています。ブタクサという、これも帰化植物と混同された濡れ衣だったそうです。
日本ではススキの生育地を奪うものとして問題になっているようですが、アメリカでは逆に日本から入ってきたススキがgoldenrodを脅かしているとして問題になっています。あちらから見るのと、こちらから見るのとでは真逆になっているのが興味深いと思います。どちらにしても、これはgoldenrodやススキが悪いのではなくて、現在のパンデミックと同じで、人間が地球上をあまりにも速く、あまりにも遠くまで広範囲に動き回ることによって引き起こされた問題だと思います。アメリカの南部で問題になっているクズにしても、あちらこちらで問題になっている外来の魚によって固有の生態系が破壊される問題にしても、同じだと思います。人間はただ動き回るだけでなく、自分が住んでいるところにない珍しいものや、有用にみえるものを移植すれば、いいことがあるだろうくらいの考えで、地球全体のことを考えず、また将来に起こるかもしれない問題を予測できないで、目先のことだけを考えて行動してしまう地球上で最も危険な生物なのかも知れません。
14世紀のヨーロッパで流行したペストは、モンゴル帝国が中国からヨーロッパにまで版図を拡大し、その中の交通網が整備され、商人など、人々の往来が盛んになったために、中国、中央アジア、もしくは中東からもたらされたものだという説があるようです。ヴィルスは自然のものであっても、パンデミックは人間の文明の副産物なのでしょう。最初の世界帝国であったモンゴルの支配によって交通路が整備され、それによって東西の様々なものが交易されて栄えたのですが、そのためにパンデミックが起こり、それが一因となって、モンゴル帝国は滅亡したのだそうです。勢力拡大と繁栄の原因であり結果であったものが、滅亡の原因でもあるというのは地球上の自然の中の人間の文明を考える場合にも大変示唆的だと思います。
8月に入ってからこれまで雨が少なくて、苔庭は苔の緑があせて余りきれいではなくなりました。それと、今年はモグラの活動が活発で、トンネルがあちらこちらに掘られ、地面がゴコボコになってしまいました。写真で土が盛り上がっているのはかれらのトンネル工事の成果です。2、3年前にモグラが嫌いな周波数の音を出して撃退するという装置を試みたのですが、まったく効果がありません。あちらから見れば我々が侵入者ですので、殺さないように他所に移動してもらいたいのですが、どうすればいいかわかりません。いまのところ黙って見ております。
今年は、人間の活動が余りありませんので、植物や動物の話題の方が多いようです。3月中旬に三心寺が閉鎖されてから半年以上が過ぎました。月曜日から金曜日まで1人で坐禅堂で虫の音と共に坐っております。Zoomを通じて、それぞれの自宅で 坐っている人が何人かいます。そのほかの活動はすべてオンラインで行っています。このような状態がいつまで続くのか案じられます。
8月のサンフランシスコ禅センターの眼蔵会が終わってから、11月の三心寺の眼蔵会の準備を始めました。今回は「正法眼蔵仏経」です。5月の眼蔵会で参究した「諸法実相」8月の「無情説法」とほぼ同じ時期、1243年の7月に深草の興聖寺から越前に移られて、多数の巻を書き始められた頃のものです。9月中に「諸法実相」「仏経」を書かれ、10月2日に「無情説法」を示衆されています。昨年の11月の眼蔵会で参究した「説心説性」も示衆の日時は不明ですが同じ頃の著述だと思います。これらの巻で顕著なのは宋朝禅に対する激しい批判です。それで、昨年来、道元禅師の宋朝禅批判について勉強していますが、中国禅宗の歴史や思想史の知識がなく、また日本から持ってきた手持ちのごく限られた資料しか使えない私には限界があります。
道元禅師が宋朝禅を批判されている文章は読めるのですが、それが当時の中国の社会史、思想史の文脈の中で正確で、的を射ている批判なのかどうか、曹洞宗の宗学者の方々の研究は道元禅師は正しいという前提に立って宋朝禅を見ているのではないかと思われる節があります。しかし、中国禅宗史を研究されている人々のものは、どうしても主流であった、臨済禅を主に見られるので、道元禅師の批判は自分の立場に固執した言いがかりに過ぎないように思われているように思えます。本当は、自分で中国史や禅宗思想史を原典に当たって調べなければならないのでしょうけれども、そのようなことをする学力も、興味も、時間も、資料もないので、どうしようもありません。私は学者ではなく、一回の坐禅修行者に過ぎないので、その枠を超えることはできません。そのことを自覚しておくことも大切だと思います。
2020年9月22日
奥村正博 九拝
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三心通信 2020年7月、8月
6月の三心通信で紹介した三心寺の小さな草原のblack-eye Susan(アラゲハンゴンソウ)はほとんど枯れて、早くも秋の風景になりました。中西部に自然にあった野草の種を20種類ほど播いたということですので、この後秋の花が咲き出すかどうか、楽しみにしています。例年のように、胡桃の実が落ち始めました。朝夕は涼しくなり、最高気温も30°にならない日が多く、過ごしやすくなりました。
7月中は、8月8日から14日まで7日間のサンフランシスコ禅センター主催の眼蔵会の準備に追われました。6月はまるまる1ヶ月「無情説法」、「無情佛性」の中国仏教や禅の中での系譜の勉強をし、「祖堂集」、「景徳伝灯録」の南陽慧忠と洞山良价の「無情説法」が含まれる会話を英語に訳しました。7月に入ってから、道元禅師の「正法眼蔵無情説法」に関連する釈尊の教えをパーリニカーヤの中に探しました。面山瑞方の述賛にあるように、道元禅師の「無情」は、「十八界に落ちない」ということだと思います。パーリの中部経典の第148経、「六種の六つの要素の集まり (六六経)」が参考になると思いました。英語訳ではThe Six Sets of Sixです。最初の三種の六つの要素は、六根、六境、六識の十八界です。次の三種は十二処と六識それぞれの触、受、愛です。十八界が様々な出会い方(触)をする中で、苦、楽、捨の感覚(受)が生じ、それに基づいて様々な欲望(愛)が生じる、欲望に基づいて行動するので、善業、悪業を作り、我々の人生は浮いたり沈んだりのサンサーラになってしまうという、初期仏教の縁起説のひとつです。 別の経では、触、受、から想、尋伺、戯論、妄分別と知的な方向(識)に進む縁起説もあります。「諸法実相」の巻ではこちらの方を取り上げられました。道元禅師が「無情説法」の巻で言われる「無情」というのは必ずしも山川草木などの自然物に限らず、「情識」に縛られないことだと思います。つまり「身心脱落」の坐禅がこの巻で解かれる「無情」ということだと思います。「渓声山色」や「山水経」もこの視点から読み直す必要を感じました。
大乗仏教や中国禅思想から始めると、様々な思想がこんがらがって、私の英語力では、理解も説明も難しくなりますので、できれば初期仏教まで戻って、根本的に何が問題だったのかから、理解し説明しようと試みています。それと私たちが実践している只管打坐とがどう結びつくのかを分かってもらえれば、「正法眼蔵」の参究が地に足がついたものになると考えております。
14日に眼蔵会が終わってからは、1週間ほどかかって、曹洞宗国際センターのニュースレター「法眼Dharma Eye」誌に毎年2回、連載している「正法眼蔵観音」の原稿を書きました。以前の眼蔵会で行った講義のトランスクリプションを基にしているのですが、自分の語彙の貧困さと、話に鋭さがないのに、自分でも呆れております。ほとんど、最初から書き直すのと同じくらいの時間がかかります。それに1週間ほどかかり、気がつくとすでに8月も下旬になっておりました。それから、Dogen Instituteのウェブサイトのために毎月書いている「道元禅師の漢詩」の記事を書きました。「句中玄」の順番に道元禅師の漢詩の注解を書いております。ただし、「永平広録」の英語訳が門鶴本を底本にしていますので、漢詩も門鶴本の訳を使い、卍山本と違いがあればそれを指摘するようにしています。道元禅師の和歌や漢詩を使うことによって、様々な面から道元禅師の教えを学ぶことができて、眼蔵会のような長いリトリートでなくても、細かく説明できなくても、理解してもらうことができるので、良いやり方だと考えています。これからは、11月の三心寺の眼蔵会のために「正法眼蔵仏経」の英語訳テキストを作り始めます。
3月中旬にヨーロッパから帰ってきて、三心寺で人々が集まる集会ができなくなってから、5ヶ月半が過ぎようとしています。三心寺の活動は全面的にZoomを使って、副住職の法光が中心になって、オンラインで行っています。月曜日から金曜日までの早朝の坐禅と朝課。日曜日の坐禅と法話、水曜日の読書とディスカッションなどです。月に一度、1日の接心もオンラインで行っています。坐禅堂には1人か2人だけが坐り、あとの参加者は自宅で坐ります。
私個人の生活としては、旅行することがなくなり、本拠地に落ち着いて、翻訳や著述の仕事、今までできなかった読書や勉強ができて、困ることは全くありません。しかし、これがいつまでも続くと、お寺自体が存続できるかどうかの問題にもなりかねません。はやく収束してくれるように願っております。
2020年8月26日
奥村正博 九拝
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三心通信 2020年6月
3月後半から4月、5月と、それほど寒くも暑くもないない早春から初夏まで、季節の中で移り変わる花たちや、小鳥の声を聞きながら、野外を歩くのが快適でした。YMCAのすぐ隣にある運動公園をほとんど毎日散歩しておりました。6月に入ってだんだんと暑くなり、最近では最高気温が30℃を超えるようになり、1時間程度歩くと、びっしょりと汗を掻くようになりました。さいわい2週間ほど前からYMCAが部分的に再開されました。グループで行う、ヨガやプールでのさまざまなクラス、チームでのバスケットの練習などはまだできませんが、個人的に歩いたり、走ったり、泳いだり、ストレッチをすることはできるようになりました。それでも、閉鎖前に比べればガラガラの状態です。入館する時には体温を測られ、なにも症状がないか質問されます。冷房がありますので、涼しくて助かります。
一昨年から、お寺の境内の3分の1ほどの芝生を取り除き、中西部に自然に生えている野草を植えるプロジェクトをしてきましたが、最近black-eye Susanの花が満開になりました。写真を添付します。日本でも帰化植物として北海道などに生息していて、特定外来生物として防除の対象になっているのだそうです。日本語の名前はアラゲハンゴンソウ(粗毛反魂草、学名: Rudbeckia hirta、別名:キヌガサギク)。濃い目の黄色の花弁で、真ん中にこげ茶の部分があり、ひまわりを小さくしたような花をつけます。反魂草という名前がどういう意味なのか気になったもので、調べて見ると、強い香りで死者を蘇らせると言われていたとのことです。もっとも、三心寺に咲いているblack-eye Susanとは似ているけれども違うようです。小さな草原ができたような感じです。
人間があまり外を歩かないし、自動車も普段より少ないからか、鹿の出現が目立ちます。毎朝のように何頭かのグループで食事にきます。最近では、人眼がいてもよほど近づかない限り逃げなくなりました。昨日撮った鹿の写真も添付いたします。
22日に72歳になりました。例年ですと、6月は夏期安居の最中で、初旬に5日間の接心があり、第三の週末に首座法戦式があり、7月初めの禅戒会、受戒の式の準備で法名や血脈を作ったりなどで最も忙しく、にぎやかは月なのですが、今年は全ての行事が中止になり、私と家族以外、来客もほとんどありません。寂しいといえば寂しいのですが、私は周りに人がいないことは全く苦痛ではありません。引退を予定している2023年の6月まであと3年になりました。無事に過ごし、少しでも人々のお役に立てるような仕事を、体力と気力が続いてくれれば、ささやかに続けていきたい願っております。
5月のオンラインでの眼蔵会が終わってから、8月の、これまたオンラインでの眼蔵会の準備をしております。今回は「無情説法」の巻です。5月に読んだ「諸法実相」は1243年、越前に移転された年の九月に書かれましたが、この巻は同じ年の10月2日、場所は同じ吉峰寺での示衆です。中国禅の歴史の中で、無情説法という概念がどのようにして成立したのかを手元にある限られた文献とインターネットで得られるインフォーメションで見直しています。「涅槃経」では有情にしか認められていなかった佛性が無情にも佛性があるのだという考えが出てきたのは、三論宗から禅の牛頭宗を通してということのようです。六祖の弟子だった南陽慧忠が、無情が仏法を説いていると主張し、潙山やその弟子の仰山、香巌、霊雲などに受け継がれ、そこから繋がっているのが、雲巌、洞山に始まる曹洞禅になっていくという流れがあるということがわかりました。「無情説法」の巻で引用されているのも、南陽慧忠から雲巌・洞山師弟につながる「無情説法」についての会話です。しかし、「諸法実相」の巻の主眼が仏祖の現成としての身心脱落の坐禅の実践ということだったのと同じで、「無情説法」の巻のメインテーマも無情に佛性があるかどうか、説法をするかどうか、というような仏教の教学的、哲学的な議論ではなく、私たちの修行の中で、説法とは何か、聞法とは何かということだと思います。
三心寺の坐禅、その他の活動は副住職の法光が自宅からZoomを通じて行っています。週5日間の早朝の坐禅と朝課、木曜日夕方の読書会、日曜日朝の坐禅と法話などです。
今月の9日には、サンガ・ワーク・ディがあり、主に境内の整備をしました。10人ほどの人たちが参加してくれました。午前九時から、屋外で1炷の坐禅をし、そのあと、午後四時頃まで、庭の手入れをしていただきました。7月には、オンラインの1日接心を企画しています。
6月26日
奥村正博 九拝
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三心通信 2020年5月
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三心通信 2020年4月
3月16日にヨーロッパから帰山してから、そして三心寺での行事が全て中止になってから、すでに一ヶ月以上が経ちました。3月中は、自主隔離のつもりでしたが、私の健康には全く異常が無かったので、コロナウィルスには感染していないことがわかりました。4月になってから、私は三心寺の禅堂で月曜日から金曜日まで、朝6時10分から7時までの1炷、一人で坐っています。坐禅の後、略朝課をしております。平常の報恩諷経、万霊諷経に加えて延命十句観音経を読誦して、パンデミックで亡くなられた人々に回向し、感染された方々、その家族の方々、医療関係者の方々の回復と健康、無事をお祈りしております。副住職の法光は自宅で同じく朝の坐禅と朝課をし、日曜日の朝の法話、水曜日のディスカッション・グループなど、Zoomを通じてオンラインで人々との行持を続けています。内山老師がいつか、世間の人々が何をしていいかわからず右往左往しているような時には、何もせず、不動の姿勢で静かに坐っているのが我々にできる一番の貢献だという意味のことを言われたのを記憶しています。誠にその通りだと今思い起こしております。
私は、1993年にアメリカに来た時以来、一人だけで坐ったことはほとんどありません。一人で坐るのは、京都の清泰庵にいた頃、そして園部の昌林寺にいた頃以来です。その頃を懐かしんでおります。誰もお寺に来ることはありませんので、自主隔離と変わらない静かな生活です。一人だけでも坐っていれば、坐禅堂は坐禅堂として生きているのだと思います。また人々が坐りに来れるようになるまで続けるつもりでおります。
3月中は5月の眼蔵会の準備に集中しました。実際の集まりは中止にせざるをえないのですが、できればオンラインで提供できないかと願っております。今までにも、このアイデアはあったのですが、なかなか実際には踏み出せませんでした。今回の異常事態が、新しいことを試すいい機会になるのではないかと思っています。講本は「正法眼蔵諸法実相」です。2007年にサンフランシスコ禅センターで一度読んだのですが、今回もう一度参究し直したいと願っております。
4月に入って最初の1週間ほどは、Dogen Instituteのプロジェクトである「良寛」の本の原稿を見直しました。何年も前にバークレイ禅センターで行ったいくつかの良寛詩についての私の話とミルウォーキー・禅センター前住職の洞燃・O’Coner師の越後の良寛さんの関係地を訪問した折の感想、その時に同行した法光が撮影した写真、洞燃さんのお弟子のTomonさんの絵画作品を一冊の本にしようという企画です。
それが一段落した後、私の禅戒についての講義のトランスクリプションを基にした本の準備を始めました。三心寺の創立以来、毎年7月に禅戒会を行ない、5日の会期のうち最初の4日間は説戒として、「教授戒文」の講義をし、そして最終日に受戒の式を行なってきました。その時の講義のトランスクリプションを法光がエディットしてくれたのですが、それを材料として禅戒についての本を作成しようとしております。一昨年からその材料は私の机の上に積まれて置いてあったのですが、時間がなくて、手をつけられませんでした。これを機会に目処をつけたいと願っております。
5月のオンラインの眼蔵会の企画が具体的になってきましたので、並行して眼蔵会の準備として「法華経方便品」を漢訳、漢訳の読み下し、サンスクリット本からの和訳、英語訳を対照しながら読み直しております。「眼蔵諸法実相」に引用されるのは十如是の部分と後いくつかの文だけなのですが、「方便品」全体の構成を明確に理解しておく必要があるように思います。
午後はここ数年、昼寝のあとYMCAにいって1時間ほど歩き、そのあとストレッチをして帰宅し、お風呂に入っていたのですが、YMCAは無期限に閉鎖されております。食料品店以外はほとんどの店が営業を停止し、三人以上の人が集まる場所も活動を停止しています。レストランはテイクアウトのみです。銀行もオフィスは閉鎖され、業務はドライブスルーのみです。ダウンタウンにも余り自動車も走っていないし、歩行者もあまりみません。それで、運動にはYMCAがある運動公園を1時間ほど散歩することにしています。毎日大体同じ時間に歩きますので、何回か顔を合わせる人もいますが、ほとんど挨拶もせず、すれ違う時も歩道の端と端に離れて手をあげる程度です。普段と違うのは、子供連れで歩いている家族をいく組か見ることです。普段は子供たちは学校に通っていて、午後に公園を歩いていることはほとんどないのですが、やはり家の中にいるだけでは退屈してしまうので、親が散歩に連れ出すのでしょう。それはそれで微笑ましい光景ではあります。
桜や木蓮はすでに散り、現在レッド・バッド(アメリカハナズオウ)やドッグ・ウッド(ハナミズキ)その他の花が咲いています。天気の良い日には本当に気持ちがいい散歩日よりになります。しかし、例年と違ってそれを見て楽しむ人々の姿は余りありません。公園にある野球のグランドも例年だと週末には子供たちのチームの試合をしているのですが、今年は全くの無人です。
4月20日
奥村正博 九拝
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三心通信 2020年3月