三心通信 2021年1月

 

 

一昨日まで10日ほど、寒波が続き、ブルーミントンでも最高気温が0℃に達しない真冬日が続きました。一番寒い日は最低気温マイナス17℃、最高気温がマイナス5℃でした。毎年のように大雪が降る北東部だけではなく、今回は雪が滅多に降らないテキサスのような南部でも雪や氷嵐(ice storm:すべてのものに氷を付着させる冷たい雨を伴った嵐)の被害があって、驚きのニュースでした。広範囲で停電し、水道も何日間か止まったとのことです。夏の暑さや風水害だけでなく、冬の天気も変化しつつあるようです。昨日午後には久しぶりに氷点を越える暖かい日になり、雪もかなり溶けました。

 

寒波のせいで、1週間ほどYMCAにも行かず、お寺に閉じこもっていました。曹洞宗のお坊さん四人が2018年、2019年と2年続けて日本から、三心寺の眼蔵会に参加されました。二度とも眼蔵会の始まる前の日に日本から到着して、終わるととんぼ返りという強行日程で驚きました。その中の一人の宮川敬之さんが、拙著Realizing Genjokoanを日本語に訳しておられます。この度、その第1稿ができて、送っていただきました。全部を読み、できるだけ手直しをさせていただきました。その過程で、自分の不注意の間違いや、あやふやな表現がいくつも見つかりがっかりしました。しかし、日本語訳が出版されてから、読者から指摘されるよりも、その前に自分で見つけられたことが救いです。

 

その一つは、内山老師が「自己」(1965)、「現代文明と坐禅」(1967)「生命の実物」(1971)などで引用されているダンマパダの第160偈、「自己の依りどころは自己のみなり」、という仏教全体としても最もよく知られている言葉です。高校生の時に「自己」を読み、ダンマパダのこの言葉はこうなのだと頭に刷り込まれていました。仏教の勉強を始めてから、パーリ語からの日本語訳も英語訳もほとんど、「依りどころ」ではなく、「主、master」だということは知っていましたが、頭の中では、内山老師の「依りどころ」で一貫していました。Realizing Genjokoanを執筆した時にも、当然のようにこの言葉を引用する時には、「自己の依りどころは自己のみなり」を英語に訳して、Self is the only foundation of the Self.と訳しました。その上で、これは日本語訳や英語訳とは違うので、内山老師は漢訳を使われたのだろうと想定し、註にそのように書きました。

 

今回、宮川師から、漢訳の典拠が確定できないといわれて、老師は典拠としてどの訳を使われたのだろうということが初めて疑問になりました。「法句経」の漢訳など自分でも読んだこともないことにも気が付きました。一度頭に刷り込まれてしまったことには、疑問を持つことさえ難しい事を思い知らされました。こちらでは調べようがないので困惑しましたが、宮川師の調べで、「南伝大蔵経」にその訳があると判明しました。また、内山老師が「大正新脩大蔵経」を見られていたこともわかりました。そう言えば、安泰寺の図書室のガラス戸のついた本棚に沢木老師が施本として作られた正法眼蔵のいくつかの巻の冊子などと共に「南伝大蔵経」も「大正新脩大蔵経」もあったことを思い出しました。他の場所には「国訳一切経」もありました。安泰寺に入ってからは、なるべく本は読まないと決めて、自分の本も東京から送った段ボールのまま押し入れに突っ込んだままにしていた私は、全く興味がなく、それらを読もうとしたことも、手にとってみたことも一度もありませんでした。ほかの人たちが読んでいるのを見た記憶もありません。紫竹林学堂の頃からの備品だったのかなと思った程度でした。内山老師がそれらを読まれていたことに思いが至りませんでした。著書や提唱の中ではおくびにも出されませんでしたが、老師が綿密な研究をされていたことと、自分の杜撰さに初めて気が付きました。

 

この寒波で閉じこもっていたおかげで、翻訳の第一稿をなんとか最初から最後まで読ませていただくことができました。完成原稿までまだいくらか時間がかかると思います。日本で出版ができるように願っております。宮川師がお忙しいなかで、時間をかけて訳していただいたことに感謝しております。

 

長円寺本「正法眼蔵随聞記」の英語訳と「道元禅師和歌集」の翻訳と解説とを一つの本にするというプロジェクトは既にWisdom社との契約が終わっていましたが、ようやく編集作業が動きはじめました。同社の編集者との実際のやりとりは「随聞記」は道樹・レイトンが、「和歌集」は正龍・ブラッドレイがしてくれるのですが、何か問題があれば私が決めなければならないことも出てくると思います。そのために、帰ってきた原稿を一度読み返さなければなりません。2冊分の原稿を続けて読むということも、パンデミックの閑居中だからこそできるのかもしれません。

 

30年以上前に面山本「随聞記」の英語訳を刊行した時、奈良康明先生から長円寺本の訳でないのが残念だと言われて以来、長円寺本の英訳をやってみたいと思っていました。当時は、面山本と長円寺本と、巻目の順序が違っていること、古い文字づかいが保存されているくらいは知っていましたが、両本の意味の違いを英語で表現出来る自信がなかったもので、それまで読み慣れていた、また意味も理解しやすい岩波文庫本を底本にしました。今回の長円寺本の翻訳は、前の訳をなるべく見ないで、少しずつ三心寺の週一回の勉強会のテキストとして初稿を作り、私が意味を説明した後、勉強会の出席者から、理解できる英語にするようにアドヴァイスしてもらったものをまとめたものです。3年間ほどかかったと思います。今回は、日本語長円寺本との対訳になります。

 

道元禅師和歌集」は、「長月の紅葉の上に雪ふりぬ、見ん人誰か、歌をよまざらん」から、タイトルを、White Snow on Bright Leavesとしました。これは、三心禅コミュニティのニュースレターに短い解説をつけて連載したものです。これまで、全和歌の英語訳は、私の知る限りでは、2つありましたが、翻訳だけで解説はありませんでしたので、ユニークな本になると思います。連載が終わってからも、ピッツバーグのスティル・ポイント・サンガのリトリートの際、何年間か、和歌をテキストにして講義をしました。「正法眼蔵」のように難しい文ではなく、短いので、道元禅師の教えを味わう教材としてはいいものだと思います。

 

三月の声を聞くと、水仙やクロッカスの花が咲き始めます。

何人かの知人から、コロナのワクチンを接種したとの連絡がありました。ワクチンが効力を発揮して、人々が早く普通の生活ができるように願っております。

 

2月22日

 

奥村正博 九拝