三心通信 2021年1月

 

昨年の冬もそうだったと思いますが、比較的暖かで、穏やかな日が続いています。最高気温が0℃に届かないような厳しい寒さはまだありません。雪が降っても地面をうっすらと白くする程度で、午後になれば陽が当たる部分は消えてしまいます。冬になっても、地中のモグラの活動は活発で、苔庭はそこら中がデコボコになっています。

 

11月3日の大統領選挙の日から1月20日の新大統領の就任式の日まで、アメリカのメディアは前大統領に振り回されていました。特に1月6日のトランプ支持者による議事堂占拠のあとは、無事に就任式が挙行できるかどうか大騒ぎでした。首都は厳戒体制で一般の人々は新しい大統領の就任を祝いたくても会場には近づけない状態でした。ともあれ、就任式が無事におこなわれて、ようやくパンデミックや経済の立て直しの方に人々の目が移ったようです。

 

先日、西海岸に住む知人から、コロナのワクチンの第1回の接種を受けたと知らせてきました。ワクチンが効力を発揮して、コロナ禍が収束し、普通の生活が早く戻ってくるように願わざるを得ません。三心寺も、昨年3月から閉鎖になり、少なくとも今年の6月まではこの状態が続きます。それ以降、平常のお寺の活動に戻れるのかどうかは、現時点では不透明です。副住職の法光と数名の人々が中心になってオンラインでの坐禅法話、勉強会、接心などを行っています。オンラインだと、普段の坐禅などの活動にも遠隔地の人々も参加が可能になりました。これは、おそらくパンデミックが収束してからも続くことになりそうです。

 

昨年の3月以来の私の活動は5月、8月、11月の眼蔵会のみでした。三心寺で行う眼蔵会では、施設の限界があって22人しか受け入れられません。それで何回かブルーミントン市内にあるTMBCC(Tibetan Mongolian Buddhist Culture Center)の施設をお借りして眼蔵会を行いましたが、約50名が限界でした。オンラインの場合、講義を聞いてくれる人たちとの直接の触れ合いがなく、話していても人々の反応が見えませんので、物足りない点はありますが、より多くの人々に話を聞いてもらうことができることは確かです。5月の眼蔵会は約90名、8月は約130名、11月は80名ほどの参加者がありました。アメリカ国内だけでなく、ヨーロッパ、南アメリカ、日本から参加していただいた人々もありました。

 

ともあれ、眼蔵会は2023年に三心寺住職を辞任する時点で終わりにするつもりです。「正法眼蔵」について英語で、5日間、1日に90分の講義を2回するのは体力的、脳力的に限界に近づいています。それ以降は、もし余力があれば、もうすこし緩やかな日程で、「正法眼蔵」だけではなく、他のテキストについても一緒に参究できるような会を続けたいと願っております。

 

昨年末に内山老師が1975年の2月、安泰寺から引退される際にされた提唱の日本語原文「求道者」(柏樹社刊「求道」、大法輪閣刊「禅からのアドバイス」に収録)と Opening the Hand of Thought の最後に収録されている英語訳を対照して、写経のつもりでコンピューターに入力しました。先月の三心通信に書きましたように、2006年からこの本をテキストにして日曜日の法話に毎回ほぼ一段落ずつ話してきました。14年経って230回以上話し、全8章のうちの第7章がほぼ終わるところまでたどり着きました。最後の第8章が「求道者Wayseeker」です。わたしが住職を辞めるまで、あと2年半ほどありますが、この第8章をその間に完了したいと願っております。

 

この本は老師の「生命の実物」と「現代文明と坐禅」を中心とし、「求道者」と老師が主に外国人を対象として話をされ、トム・ライトさんが通訳されたものを成文化したものを付け加えて一冊の本としたものです。「求道者Wayseeker」は私がバレー禅堂にいた頃に訳したものが初稿になりました。老師が話された7項目が英語に訳され、バレー禅堂の入り口のドアのそばの壁に額に入れてかけてありました。坐禅に来る人たちが項目だけではなく、実際に老師がそれらの項目についてどのようなことを話されたのか知りたいという要望にこたえて訳したものです。その訳の中で、老師の「オモイの手放し」という言葉をわたしは直訳してOpening the Hand of Thoughtとしました。しかし、一緒にこの本の翻訳の仕事をしたトムさんも、これは英語ではないと反対でした。それは本当ですが、私は、これまでの英語にはない思想を表現するのには、今までになかった英語表現にするのも仕方がないのではないかと思っていました。また日本語の味わいのようなものも残したいと思っていました。内山老師が、何年も坐禅した挙句に作り出された表現をletting go of thoughtという当たり前の英語に訳すると、内山老師が苦労して既成の仏教語では伝わらないことを表現しようとされた意図と努力、日本語での「アタマの手放し」という表現のユニークさが伝わらないと思いました。それで、トムさんにお願いして、The Wayseekerにだけは“Opening the Hand of Thought”を使わせてもらいました。それがどういうわけか本のタイトルになったのでした。私にとってはそういう思い出のある翻訳です。

 

その最後の提唱をされてすぐに老師は安泰寺を去られ岐阜県大垣市に移転されました。私も安泰寺を出て瑞応寺僧堂に半年間安居し、その年の12月に渡米しました。数週間カリフォルニアに滞在した後、数人でアメリカ大陸を自動車で横断して次の年の1月にバレー禅堂にたどり着いたのでした。それ以降、現在まで、この7項目を老師の遺言として心に刻んでまいりました。ですので、私の三心寺での法話をこの老師の最後の提唱で締めくくるのはふさわしいのでないかと思います。

 

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今日は1日雪が降りました。積雪は2、3センチですが、今年初めて白銀の世界になりました。午後には、雪の中YMCAまで歩いて行きました。

 1月27日

 

奥村正博 九拝

 追伸:今朝はマイナス六℃まで温度が下がり、最高気温もマイナス一℃とのことです。はじめての真冬日です。 1/28