三心通信 202012

 

今年もアメリカで言うホリディ・シーズンが来ました。例年ですと、月曜日から金曜日まで週5回の早朝の坐禅と朝課、毎週の参禅会や勉強会、定期的な眼蔵会、接心など、波状的に様々なお寺の行事があり、忙しくなったり、緊張したり、反対に息抜きをしたりとメリハリがあります。臘八接心が終わり、クリスマスの頃になると、また一年が終わったとホッとするのが普通でした。しかし、今年は3月中旬から、コロナ禍のためにお寺が閉鎖になり、全てのお寺の行持をオンラインで行うようにになりました。この建物に住むのは私と家族だけで、来客もほとんどありません。サラリーマンの定年後の生活についてだったと思いますが昔、「毎日が日曜日」という表現がありました。今年の生活はまさに毎日が休日のようなものです。私にとっては、引退後の生活のリハーサルのようなものでした。周りに人がいなかったら生きている気がしないと言う人間ではなく、一人でいても全く退屈だとは思わないので、この長い閑居を結構楽しんでおります。

 

このような毎日の予定に縛られない生活は、1981年にバレー禅堂から京都に帰り、清泰庵で3年間留守番としてお世話になった時以来でした。清泰庵を出て、京都曹洞禅センターを始めてからこれまでは、家族ができ、何回かの引越しをして、30年以上ずっと走り続けてきたように感じていました。もっとも、坐禅をするのに忙しかったのですから、本当に暇なしだったのかどうか分かりかねるところもあります。ともあれ今回は、かなり長い休暇が取れたという感じです。しかし、この状態があまりに長く続くと三心寺の存続に関わりますので、早く収束するようにと願っております。

 

世界中で8000万人近くが感染し、170万人以上の人がコロナで亡くなられたとのこと。大都市一つが無人になってしまったほどの惨状です。加えて人類の自然破壊に対する報復のような異常気象、風水害、地震、その他の自然災害、また国の中での人々の分断、国家間での紛争、競争、多くの国の政治的、経済的な指導層に見られる倫理、道徳的な退廃、など、アメリカ中西部の田舎町に住む私の周りの静けさからは考えられないような出来事がニュースとして伝えられています。この落差に戸惑っています。このような時期だからこそ、菩薩戒、誓願と懺悔に基づいた菩薩行が必要だと思います。内山老師は、世間の人々がどうしていいか分からないで右往左往している時には、静かに坐っているのが、一番の貢献だという意味のことを言っておられました。それを信じて坐り続け、道元禅師の仏法を伝えるように働いてきました。これからもそれを続けていくほかに私にできることはないと存じます。

 

3月半ばにヨーロッパ訪問を中断してアメリカに帰ってから、2週間ほどは自己隔離のつもりでおとなしくしておりました。4月から5月の眼蔵会の準備が始まるまでは、副住職の法光たちがしているオンラインの行持とは別に、毎週月曜日から金曜日までの5日間私一人で坐り、朝課をしました。眼蔵会が終わった後は、三心寺の坐禅堂もZOOMを通じて人々と一緒に坐り、朝課をすることができました。

 

5月、8月、11月の眼蔵会が担当した行事でした。他に何もなかったので例年になく、十分な準備時間を取ることができました。これまで気にかかっていたけれども調べる時間がなかったことを調べたり、読む時間がなかった本を読んだり、原稿の執筆や翻訳に時間を取ることもできました。

 

今年の臘八接心は例年よりも3日短く、12月3日の夕方から7日の深夜まででした。法光さんともう一人発心さんがお寺の坐禅堂で坐り、他の人たちはZOOMを通じて自宅で坐りました。12人ほどの参加者がありました。私は、毎日、昼まで半日だけ二人と一緒に坐りました。接心の最後の日12月8日は私が安泰寺で得度を受けて50年目でした。接心全部を坐ることはできませんでしたが、毎日昼まで、半分だけ坐ることができました。50年間内山老師から受け継いだ坐禅だけの接心を続けてこられたこと、いまでも坐禅の現場にいられることに感謝しております。しかし、過ぎてしまうと拍子抜けで、単なる通過点です。どうということもありません。というよりも、沢木老師の「坐禅しても何にもならない」というお言葉の正しさを証明しただけのことだと思います。可もなく不可もない大学生が、可もなく不可もない72歳の老人になっただけのことです。

 

膝の関節痛のために椅子に坐っての坐禅をはじめてすでに10年近くになります。書斎で仕事をする時にも当然、椅子に坐ります。この1、2年、坐る時に椅子に当たる部分が痛み出して、長時間坐ることができなくなりました。「床ずれ」とか「すわりだこ」という言葉は聞いたことがありますが、椅子に長時間坐りすぎて、その擦れる部分が痛み出したということはあまり聞きません。その症状をどういう言葉で呼べばいいのかもわかりません。最近はなるべく1時間以上は椅子に坐らないようにしています。普通に仕事をするのはコンピューター・デスクの上に置いてあるデスクトップに向かってですが、小さい、低いテーブルを作って仕事用の机の上に置き、ラップトップをその上に置いて、立って仕事ができるようにしています。最近アメリカでは、高さが調節できて、椅子に坐っても、立っても仕事ができるようスタンディング・デスクというのが売られているようです。また昼食後はほとんど毎日昼寝を兼ねて横になり、眠たくなくてもベッドで本を読むようにしています。それと、台所の食器洗いを担当しています。日本の流し台は私には低すぎて腰を曲げないと皿洗いができませんが、アメリカの流しは私の身長に丁度よく、直立したままで仕事ができます。それと、YMCAにいって1時間ほど歩き、すこしストレッチをするようにしています。

 

本作りのプロジェクトはだいぶ進みました。内山老師が「生命の実物」の中で紹介されたカボチャの喧嘩のお話をもとにした絵本が来年6月にWisdom社から出版されます。すでにアマゾンに予告が出ていますので、表紙の写真をコピーしてもいいと思います。この通信に添付いたします。長円寺本「正法眼蔵随聞記」英訳と「道元禅師和歌集」の英訳並びに解説も、Wisdom社から来年秋ごろに刊行される予定です。

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Dogen Instituteからの出版はこれまで三心寺創立15周年記念として刊行した内山老師の「生死法句詩抄」の日本語と英語を対照して、高橋慈正さんの写真を加えたLIFE-AND-DEATHと、同じく記念文集として作成したBoundless Vows, Endless Practice: Bodhisattva Vows in the 21st Centuryの英語版とドイツ語版が刊行されアマゾンから入手可能でしたが、スペイン語訳も完了しました。もう直ぐ刊行されます。現在、私の良寛詩についての講義と、Tonen O’Connor師のエッセイ、そのお弟子のTomonさんのイラストレーション、法光さんが撮影した良寛関係地の写真などをまとめてRyokan Interpretedという一冊の本にするプロジェクトの、最終稿がほぼ出来上がりました。これまで良寛さんの詩の英語訳は、わたしの知る範囲では10冊ほどありますが、ほとんどが翻訳だけで、良寛さんの生涯を背景とした詩の解釈などはありませんでした。良寛さんの紹介としては新しい本になったと思います。

 

2006年から日曜参禅会の法話でOpening the Hand of Thoughtについてほぼ毎回一段落ずつ話してきて、すでに230回ほどになりました。それらの法話の録音をトランスクライブした原稿をもとにして、一冊の本を作るプロジェクトも進んでおります。これもDogen Instituteからの出版になります。これらはアマゾンを通して注文が来た分だけ印刷するオンデマンドですので、出版時にまとめて印刷する費用も、在庫を収納する場所も、こちらで注文の受け答えや発送をする手間もかかりません。出版社では採算が取れなくて扱ってもらえないような、小さな企画でも本にすることができます。ただし、収益は見込めません。出版自体の収益よりも、興味のある人に読んでもらえて、その人たちとの繋がりができることの方が大切だと思っております。これからも道元禅師とその教えを学ぶのに有益な企画があればDogen Instituteの活動として続けていきたいと願っております。

 

「句中玄」に収録されている道元禅師の漢詩の解説を、「永平広録」の英語訳で作った翻訳を使って毎月一つ、Dogen Instituteのウェブサイトに書いております。まる2年続いております。「句中玄」には150の漢詩がありますので、その全部について書くことは無理だと思いますが、道元禅師の教えの様々な面をそれほど難解ではない短いことばで語ることができるので、私自身の勉強のためにも意味のあることだと考えております。人生の卒業式まで残された時間、静かに生命を燃やしていきたいと願っております。

 

 

2020年12月24日

 

奥村正博 九拝