三心通信 2020年11月

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境内の地面をおおっていた落ち葉も掃き集められたり、強風が吹いた日に吹き溜りに集められたりして、落ち着くべきところに落ち着きました。このところ数日間雨の日や曇天の日が続き、苔庭の苔の色も綺麗な緑になりました。もぐら塚は雨が降って地が固まって平らになりましたが、土が露出してやや美観を損ねています。落葉樹の葉っぱはすべて落ちてしまって、寒々としていますが、空が広々と見えます。リスたちは厳しい冬に備えて、クルミなどを集め、また腹一杯食いだめをしているようで、丸々と太っています。


11月19日から23日まで三心寺の眼蔵会がありました。今年の3月以来、お寺は閉鎖されていますので、5月、8月に続いてオンラインでの眼蔵会となりました。三心寺の禅堂にいたのは、アイオワティーから来てくれたジェフさんが録音や照明の設定や調節、Zoomの接続など技術的なことを受け持ってくれました。三拝をするときのインキンを鳴らす役目の家内と、私の3人だけでした。

普通に三心寺で眼蔵会を行う場合は、受け入れられる人数が22人に限定されていました。それではいつもお断りする人たちが多すぎるので、何回かブルーミントンにあるTMBCC (Tibetan Mongolian Buddhist Culture Center) の施設を借りて行いましたが、それでも50名ほど受け入れるのが限度でした。5月と今回は、およそ90名の参加者がありました。Zoomが100名限定で、10名分ほどはこちらでオーガナイズする人たちのために確保しておかなければならないので、90名はほぼ制限人数いっぱいということになります。アメリカの各地以外に、ヨーロッパ、南アメリカ、オーストラリア、日本からの参加者もあったとのことです。8月に行われたサンフランシスコ禅センター主催の眼蔵会は参加者が130名ほどでした。

お寺の中で、5日間寝食を共にし、何炷か同じ禅堂で一緒に坐りながら眼蔵を参究するのと、コンピューターを通して一方的に話をするのとでは、やはり大きな違いがあります。話をする方としても、同じ禅堂にいる人たちに話す場合は、長年の参禅の経験があり、「正法眼蔵」にも親しんでいる人たちと、全く新しい人たちとがどの程度の割合になっているかがわかります。それでどの程度の人たちに照準を合わせればいいのか、今話していることを理解してもらっている人たちと、そうでない人たちがどの程度あるかも、肌で感じることができます。それで時には、話し方や話題を調整することもできます。オンラインの場合は、聞き手の表情が見えませんので、話している内容が理解してもらえているかどうか感じることができません。何がなんでも、こちらで準備したことを話すしかないので、どの程度通じているのか測り兼ねるところがあります。

今回の眼蔵会の講本は「仏経」の巻でした。前半は「仏経」という表現についての道元禅師の洞察が書かれていて、他の巻ほどは難解でもなく、禅師の思想の構造を理解するのには参究しやすい巻だと思います。後半は宋朝禅の、教禅一致、機関禅、三教一致など宋代の禅者一般についての批判が多く、中国禅についての知識が余りない私には、道元禅師の批判が当を得ているものなのかどうかが理解できかねました。それで、9回の講義のうち8回は前半に集中してできるだけ丁寧に話し、後半については最後の回で概観するだけということにしました。

中でも私に理解できないのは、臨済を貶めるためにその師匠の黄檗を過大に讃嘆されていることです。例えば、「黄檗は勝師の道取あり、過師の大智あり。佛未道の道を道得せり、祖未會の法を會得せり。黄檗は超越古今の古佛なり。百丈よりも尊長なり、馬祖よりも英俊なり。」この巻で道元禅師が批判されている「以心伝心」、「教外別伝」などは黄檗の「伝心法要」で主張されていることです。また「経教は、ながくみるべからず、もちゐるべからず。枯木死灰のごとくなるべし」の「枯木死灰」という表現ももとは荘子の「斉物論」に出てくる表現ですが、「伝心法要」に禅者のあるべきようとして使われています。道元禅師がそのことを知らないはずはないと思います。これは不注意なのではなく、なにか意図があってのことなのでしょうか?

11月の眼蔵会が終わると臘八接心が目の前に迫っています。臘八が終われば新年までわずかしか残っていないと毎年感じます。ことに今年は眼蔵会が2週間ほど遅くなったので余計にそう感じます。ただ、臘八接心も主にオンラインで、坐禅堂にいつも坐るのは副住職の法光さんと長年直歳をしてくれている発心さんの二人だけで、後の人たちは自宅で坐るという方式です。期間も例年は11月31日の夕方から12月7日の深夜まで坐って、8日の朝に解散ですが、今年は3日の夕方から7日の深夜までと短くなります。私は、1970年12月8日、接心の最後の日に得度をしていただきましたので、今年が50年目になります。体力の許す限りなるべく多く坐りたいと願っております。

50年間、様々なことがありましたが坐禅、ことに内山老師が始められた坐禅だけに専注する接心を続けることができたことを感謝せずにはいられません。ことに私は、安泰寺を出て瑞応寺で半年間安居させていただいたあと渡米した1975年以来、既成の坐禅の道場にはあまりご縁がなく、バレー禅堂、清泰庵、京都曹洞禅センターの晶林寺、三心寺など、ミネアポリスの禅センターを除いては、その時、その場所でご縁があった少数の同行者と坐ってきましたので、その感を深くします。


2020年11月29日

奥村正博 九拝