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三心通信 2020年3月
2月25日に三心寺を出発し、 26日午後にイタリアのローマに着きました。 ニューヨークのJFK空港で乗り換えてローマ行きのフライトに乗 る予定だったのが、直前にキャンセルされて少しあわてましたが、 さいわいインディアナ空港から直通でパリに行き、 乗り換えてローマに行く便に乗ることができました。 今回はビジネスクラスでしたので、横になって寝ることができ、 疲れ方がだいぶ違いました。
出発する前から、 イタリア北部のベニスやミラノでコロナウィルスの影響が出始めて いましたが、ローマでは人々は平常に生活していました。 感染しているのは北部だけと感じているようで、 商店やレストランも普通に営業していました。28日(金) の夕方に私の弟子の道龍と行悦が主宰しているAnshin 禅堂から歩いていける距離にあるイベントセンターのようなところ で、公開講演をしました。今回のツアーでは主催者からの要請で「 典座教訓」をテキストとして5回の話をする予定でした。 その初回のローマでは、私の話のタイトルが英語で言うとHow to Cook Your Life (人生料理)ということでしたので、まず内山老師が「典座教訓」 についてかかれた著書に「人生料理の本」 と題名をつけられたことを話し、冒頭の段をよんで、 叢林の修行の中での典座の仕事の位置とその意味について、 坐禅や仏法の参究と全く同等の重要な働きであることについて話し ました。それから、 典座の1日の仕事について書かれていることの順番を追いながら、 私たちの人生修行との関わりを話しました。 百人ほどの人が聞きに来てくれて、会場はほぼ一杯でした。 コロナウィルスの影響は全く感じませんでした。
翌29日(土) に道龍と行悦と共に列車でフィレンツエに移動しました。 ローマの駅は普通に混雑しているように見えましたが、 列車に乗り込むと空席が目立ちました。 人々が旅行を控えているのがわかりました。 フィレンツエの真如寺は金沢にある大乗寺の堂長、 東隆真老師のお弟子の尼僧さんが主宰しているお寺で、 大乗寺イタリア別院という看板がかかげられていました。 オーストリアなど遠隔地から来る予定をしていた人たちは旅行を中 止したということでしたが、 お寺のメンバーの人たちはいつものように坐禅に来ていました。 3月1日(日)の午後に坐禅と講話の会がありました。「 典座教訓」の2回目として、道元禅師が典座、 そのほかの叢林の作務を坐禅や仏法の参究と同等の意味ある修行と 位置付けられるようになった最初の機縁である、 天童山と育王山の典座との出会いについて話しました。
3月2日(月)にローマに帰り、3日(火) にローマ空港からギリシアのアテネに移動しました。 アテネの禅センターは事業をいくつか持つ実業家が、 自分が経営するホテルの一階のフロアーを坐禅堂と武道の道場にし ているところです。 その人は年に2回小浜の発心寺の師家である井上光典老師においで いただいて接心をし、 毎年6月には発心寺の摂心に参加しているとのことでした。 禅堂にはバリ島で作られた大きな仏像が安置されていました。 毎朝8時20分から9時まで坐禅があり、夕方には週に2、 3回坐禅に人々が来るとのこと。 その他の日には武道のクラスがあるとのことでした。5日(木) 夕方7時から9時まで禅堂で私の公開講演がありました。 この時には、 私が三十年ほども前に最初に作成したShikantazaという 坐禅の入門書をギリシア語訳し、 最近それが出版されたとのことで、その本の主題である只管打坐、 身心脱落について話しました。 イタリアでは道龍が通訳をしてくれましたが、 ギリシアでは多くの人が英語が理解できるとのことで通訳なしでほ ぼ2時間話しました。 英語ができない人のために一人の人が小さな声で通訳をしていまし た。この時も百人ほどの人が来て、禅堂はほぼ満員になりました。
6日(金)の夜から人々が坐禅堂に集まり、翌7日(土) の早朝4時振鈴で9日(月)の午後9時まで、 3日間の接心が始まりました。当初の差定では私の話は午後1回、 40分ということでしたが、 先日の話を聞いた人たちから毎回90分話すようにと注文されまし た。 日本から老師がこられる接心では日本語から英語への通訳付きで4 0分の提唱が普通だということで、 人々は仏法のまとまった話をもっと聞きたかったようでした。 最初の日にはローマで話した叢林の修行の中での典座をはじめとし た作務の重要性、2日目には、 道元禅師と2人の中国人典座との出会い、3日目には「典座教訓」 の結論として書かれている三心について話しました。 接心の参加者は30名ほどでした。
私がアテネに到着した3日には、 コロナウイルスの影響について人々はあまり深刻ではありませんで した。 禅センターがあるホテルはアクロポリスから歩いて15分くらいの 場所で、ホテルやレストランがたくさんあり、 観光客が多く集まる場所にありましたが、 歩道いっぱいにテーブルが並んでいるどのレストランも満員のよう でした。摂心が終わった次の日、11日(火)に、 オリンピックの聖火の採火式のリハーサルがあるのでオリンピアま で見に行かないかという話もありました。しかし、 接心が終わった時には、採火式のリハーサルも非公開、 無観客で行うということになっていました。 アテネに移動して1週間ほどして、 イタリア全土が封鎖されたときいて驚きました。 禅センターがあるホテルでもキャンセルする人が多くなったとのこ とでした。 三階にある私の部屋からはアクロポリスのパンテオンが正面に見え て、9日間の滞在中まことに贅沢な時間を過ごしました。
12日(木)、アテネからパリを経由してフランスの南部、 地中海沿岸のマルセイユまで飛びました。 最初はルフトハンザのミュンヘンを経由するフライトだったのです が、 ルフトハンザの便は3分の1がキャンセルされたということで、 エア・フランスの便に変更になりました。 マルセイユの空港からから2時間ほど自動車で北に入ったAles という町にある弟子の正珠が指導している法水寺で2回講話をしま した。小さな町の小さなお寺で参加者は15名ほどでした。 正珠が拙著Living By Vow (誓願に生きる)をフランス語に訳し、最近出版されたので、 それを記念して、その本に収載されているものを選び、 最初の日には「四弘誓願文」2回目は「懺悔文」 について話しました。 一昨年訪問したベルギーのMonsの禅センターを主宰している弟 子の黙祥と奥さんのフランソワが来ていて、 フランソワがフランス語に通訳してくれました。 彼女は元プロの同事通訳をしていたそうです。 全くつまることなく訳してくれましたので感心しました。 Alesは旅行者もほとんど来ない静かな町なので、 人々はコロナヴィルスの感染の心配はしていないようでしたが、 政府の要請で学校は休校になり、商店、 レストランなども私の滞在中に閉店になりました。 一度散歩に出ましたが、人通りもほとんどなく、 車もあんまり走っていなくて、 私が子供の頃の日本のお正月風景を思い出しました。
そのあと、ロンドンに行く予定だったのですが、 コロナウイルスの影響がイギリスでも深刻になり、 ロンドンでの行事は延期せざるを得なくなりました。 アメリカ政府がヨーロッパからの入国を制限することになったとの ことで、1週間予定を早め、急遽パリ、 ニューヨークを経由して3月16日に三心寺に帰山しました。 旅客は少なかったですが幸いに、フライトも正常に飛んでいて、 深夜に無事に三心寺に帰り着くことができました。 ヨーロッパの国々でも国境が閉鎖され始めましたので、 黙祥とフランソワも予定を早めて16日に列車でベルギーに戻った とのことでした。
三心寺に帰ってから12日目になりますが、 自己隔離のつもりで家族以外にはなるべく会わないようにしていま す。お陰様で、私の健康状態に何ら異常はありません。 今月いっぱいは家にいて、5月の眼蔵会の準備をするつもりです。
幸いに現在のところ、三心寺のサンガ、 関係者で感染している人はいないようです。 三心寺は私が帰った日から一切のお寺での行持を今月いっぱい取り 止めています。4月からオンラインで何かすることを検討中です。 22日(日)の理事会で、 今年の夏期安居は中止することになりました。 5月の眼蔵会も中止になったのですが、 オンラインで私の講義を提供できるかどうか検討中です。 夏安居の代わりに半年ずらして冬に安居ができるかどうかもこれか ら検討します。
わたしは、この機会を、これまだ滞っていた原稿の執筆や、 読めなかった本を読むことに集中するつもりでおります。
3月28日
奥村正博 九拝