三心通信 2018年7月

 

例年通り7月3日から8日までの禅戒会で4月8日から始まった3ヶ月の夏期安居が円成しました。今年は副住職の法光が禅戒会リトリートを指導し、最終日に授戒の戒師を勤めました。今年から2023年までの間、私と法光が1年おきに戒師を担当することになりました。私が住職から退き法光が引き継ぐ際に、法光から受戒し、法光を師とする人たちがいた方が、引き継ぎが円滑に進むだろうと考えたからです。今年は5人の人が法光から受戒して仏弟子となりました。来年はまた私が戒師を勤めます。

 

先年遷化した海鏡の弟子になることが決まっていた3人のうちヨーロッパの2人は法光が師僧となりました。一人はドイツ人の女性ですでに別の師匠から出家得度を受け、日本の僧堂にも安居していたのですが、尼僧堂で出会った海鏡の弟子になることを願い師僧替えの手続きをすることになっていました。今年の冬にアイオワ州の龍門寺の冬安居で首座を務めて法戦式を済ませ、師僧替えの手続きも完了しました。時期が来れば法光から嗣法することになります。もう一人はオーストラリア人の男性です。今年の3月に法光から出家得度を受けました。この二人はヨーロッパで協力しながら活動していきます。

 

海鏡はアメリカ人を父親とし、ベネズエラ人を母親として生まれました。坐禅を始めたのはベネズエラにおいてでした。ヨーロッパで活動された弟子丸泰仙師から出家得度を受け、嗣法もせず、宗門の教師資格も持たない人を師匠とし、出家得度を受けたのですが、アメリカ合衆国に移転して活動するうちに、それではダメだと思って私の弟子になりました。ベネズエラのサンガの人たちが曹洞禅のコムニティの一部として活動ができるようにするために曹洞宗の教師資格を取り、ベネズエラのサンガの人たちをより大きな曹洞禅の輪に入れたいと願っておりました。その中の一人が海鏡から出家得度を受けることが決まっていたのですが、海鏡のあまりにも早い遷化によって不可能になりました。この人は、ベネズエラの隣国コロンビアで活動している私の弟子の伝照に出家得度を受けることができました。先週のことです。早すぎた遷化で頓挫していた海鏡の誓願が実現したことを喜んでおります。

 

 19日から22日までマサチューセッツ州のバレー禅堂を訪問しました。1976年から1981年まで5年間住んだところです。1974年に市田高之さんがニューイングランドの森の中に5エーカーの土地を得て禅堂の建立を始められました。1975年内山老師が安泰寺から引退された年の12月、私と池田永晋さんがアメリカに出発しました。数週間カリフォルニアに滞在し、南部諸州を通って自動車でマサチューセッツまで旅行しました。バレー禅堂についたのは1976年の1月だったと思います。

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それから、高之さん、永晋さんと私、日本人の雲水3人が、森の中の何にもない土地を住めるようにするために屯田兵のような生活が始まりました。木を切り、根っこ掘りをし、畑を作るのが最初の作務でした。春の雪解け時から夏までかかりました。自然の真っ只中で生活するのは、都会育ちの私には初めてで、しんどいけれども楽しいことでした。5年ほどそのような生活をする間に、私は身体のあちこちが痛くなり、治療する費用もなかったので、1981年に日本に帰りました。

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今回の訪問は、15年ほど前に、それまで17年間バレー禅堂におられた藤田一照さんが日本に帰られる直前にお会いしに行った時以来でした。それまで長年ボストンに住まわれていた池田永晋さんが一照さんの後、バレー禅堂に復帰して今までずっと住職として坐禅指導をされています。40年ほども前に私たちが建てた坐禅堂がいまでも存在し機能していること、また、その当時一緒に建設の仕事をし、共に坐っていた何人かの人たちが今でも坐り続けていることに感銘を受けました。

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21日の日曜日の坐禅会に私は、昨年刊行された「山水経」の解説書 Mountains and Waters Sutraの紹介をかねて、蘇東坡の盧山の詩と、「永平広録」第9巻の「頌古」90則の第25則に引用されている宏智禅師の蘇東坡の詩を下敷きにした偈とそれについての道元禅師の偈頌について話しました。ニューヨーク市から小山一山さんのグループの人たち10人が来ておられて、合計40名ほどの人が集まり、小さな禅堂は満員になりました。

 

22日の月曜日に、永晋さんともう一人の人に送っていただいてボストンの空港に着きましたが、予定のフライトは悪天候のためにキャンセルになっており、ホテルもいくつかチェックしましたが全部満室か、宿泊費が高すぎるかで泊まることができず、やむなく空港で一夜を過ごして、翌23日に三心寺に帰り着きました。2、3日休んでようやく仕事をする気力が出てきたところです。

 

長円寺本「正法眼蔵随聞記」の英語訳は、原稿を作成する作業が終わり、Wisdom社に提出しました。こちらで原稿作成をしてくれていた道樹は大学院を1年休学して、6月から2ヶ月の予定で横浜の学校で日本語を勉強するために出発しました。そのあと、8月から岡山の洞松寺僧堂に6ヶ月間安居させていただく予定です。

 

道元禅師和歌集」の英訳と解説の加筆訂正は今まで、弟子の浄瑩に英語の添削をしてもらっていましたが、来週にも完成します。そのあと出版社を探すことになります。

 

私が随分前に、バークレーの禅センターでした良寛の詩についての講話をトランスクリプトしたものを基礎にして、ミルウォーキー禅センターの前の住職だった洞燃師がエディットしてくれています。洞燃師がこの5月に日本に行き、新潟県良寛に関係のある土地を訪ねた旅についてのエッセイと、その時の写真と、洞燃師のお弟子さんの絵画を素材にして本を作り、Dogen Instituteから刊行しようとするプロジェクトも進んでいます。他の材料はすでに準備ができているのですが、私の道元禅師と良寛さんについての章を今書き足しているところです。

 

 

2019年7月26日

 

 

 

奥村正博 九拝