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三心通信 2019年2月、3月

 

この冬は、比較的暖かな冬でした。2度ほどかなりの寒波が来て、マイナス20℃ほどになりましたが、それ以外の時は雪もなく、むしろ雨が降ることが多い冬でした。今年も早お彼岸になってしまいました。三心寺の庭ではクロッカスの花が咲き始め、日々水仙の茎が成長しております。肌寒い日でも陽光の明るさはすでに春のものです。

 

2月10日にアイオワ州の龍門寺で首座法戦式があり、8日(金曜日)に出発し11日(月曜日)に三心寺に帰りました。丁度、厳しい寒波がアメリカ東北部を襲った時で、多くのフライトが遅れたり、キャンセルされたりしました。インデアナポリスからミネアポリスまでの飛行機はさいわい定刻に飛びましたが、ミネアポリスから龍門寺に一番近いミネソタ州南境のラクロスという空港までのフライトが大幅に遅れ、空港で6時間ほど待たなければなりませんでした。ラクロスの空港はミシシッピー川がまるで湖のように幅広くなっている部分にある島の中にあります。空港から龍門寺に行くときに橋を渡るのですが、あの大きな川が完全に凍結していました。

 

今回の龍門寺の冬安居の首座は鏡空というドイツ人の女性でした。もともとドイツ人の指導者のもとで得度し、名古屋の尼僧堂や岡山の洞松寺に安居した経験もある人です。昨年11月に遷化した私の弟子の海鏡Robynに尼僧堂で出会ったことが機縁となり、転師して海鏡の弟子になる手続きを始めたときに海鏡が遷化したのでした。それで、海鏡の依頼により、三心寺の副住職の法光が師僧になることになりました。ですから、私の孫弟子ということになります。孫弟子とは言ってもすでに還暦は超えている人です。海外では坐禅修行を始めるのが30代とか40代ですので、法戦式をしたり嗣法したりするのは60歳を過ぎてからという例が多くあります。

 

龍門寺では、法戦式の本則は「碧巌録」から選んだものを使います。片桐老師が「碧巌録」の提唱をされたそうです。その録音があるもので、片桐老師の提唱を聴いて本則の勉強をするそうです。助化師として行くときには、毎回、私が本則行茶の提唱をするのですが、「碧巌録」を使って、道元禅師の宗乗の話をするのが難しいことがあります。今回の本則は「百丈野鴨子」だったのですが、圜悟の評唱の中に、「而今有る者は道う、本と悟處無し、箇の悟門を作って此の事を建立すと。若し恁麼の見解ならば、獅子身中の蟲の自ら獅子の肉を食うが如し。」という部分があります。これはあきらかに臨済の看話禅から曹洞の黙照禅に対する批判なのですが、このようなところ、どう説明すればいいのか困ってしまいます。800年に及ぶ見性禅と黙照禅の間の論争にはあまり興味がありませんので。幸に「垂示」の最初に「遍界藏れず、全機獨露す。」という言葉がありましたので、道元禅師が「徧界不曽蔵」「全機」についてどのように言われたかということを中心にして話しました。本則の馬祖と百丈の野鴨についての問答の経緯や百丈の悟り経験とは焦点が違う話になったと思います。

 

私が龍門寺にいたあいだ、三心寺では8日と9日、2日間の涅槃会接心と10日には日曜参禅会と涅槃会の法要があったのですが、法光が中心となって無事に修行してくれました。接心の指導は法光がしてくれますので、これから2023年の私の引退までこういうことが多くなると思います。他出しても三心寺の行事のことを心配しなくても良いのはありがたいことです。

 

三心寺に帰ってからは2月の間毎日の坐禅も休ませてもらって、3月1日から6日までのノースカロライナ州、チャペルヒル禅センターでの5日間の眼蔵会の準備に専念させていただきました。先方から嗣法についての巻をという希望がありましたので、今回は「正法眼蔵面授」の巻の拙訳を講本にしました。参考として75巻本では次の巻になる「正法眼蔵仏祖」の巻も翻訳しました。「面授」については本文の読解だけではなく、江戸時代の宗学者たちの間の論争についても触れないわけにいかないので、準備に時間がかかりました。宗学のそういう面にはわたしはこれまでほとんど興味を持たず、勉強もしていなかったからです。

 

チャペルヒルに出発する2日前から風邪をひき、扁桃腺が腫れて唾を飲み込むたびに喉に痛みがありました。そのほかに、熱や頭痛などの症状はなかったので、とにかく出発しました。眼蔵会の間は、喉の薬やのど飴をもらったり、生姜湯を作ってもらったり、参加者の中におられたお医者さんに診察をしてもらったり、大変お世話をかけました。幸い喉の腫れは3日目に治りましたが、その代わりに咳が出るようになりました。大変に聴きづらい講義になったとおもいますが、皆さん熱心に聞いていただきました。

 

チャペルヒルから帰るとその日から三心寺の3月接心が始まったのですが、私は休養させていただき、3日間ベッドの中におりました。

 

そのあとは、5月の眼蔵会の講本として「正法眼蔵三界唯心」の翻訳をしてそれが出来上がるとお彼岸ということになっておりました。これから、その講義の準備をしなければなりません。次の11月の眼蔵会に参究する予定の「正法眼蔵説心説性」とともに道元禅師の「心」についての教説を「即心是仏」その他の巻とも関連させて参究したいと願っております。

 

 

3月22日

 

奥村正博 九拝