三心通信 2018年11月

 

10月5日にヨーロッパから三心寺に帰り着いて数日休養し、11月の眼蔵会の準備にかかりました。講本の「正法眼蔵春秋」は夏までに翻訳してあったのですが、準備には膨大な時間がかかりました。「春秋」の巻は洞山禅師の「寒暑・無寒暑」の話について書かれてあるのですが、大半が中国の禅師がたの洞山禅師の問答についての上堂や偈頌の引用です。道元禅師ご自身のこの問答についてのコメントも簡潔なもので、強烈に響くのは五位についての否定的な評価です。それ以外は短いコメントが書かれているだけです。五位についても、五位とは何かという説明もなく、なぜ五位がダメなのかも、明確な説明がありません。

 

私は学生時代にこの巻を読んで、道元禅師が五位は勉強する必要がないといわれた箇所だけが頭にのこり、五位については保坂玉泉著「参同契・宝鏡三昧・洞上五位現代講話」という小冊子を読んだ以外に勉強をしたことはありませんでした。内山老師が五位について話されたり、書かれたりされた記憶もありません。それで、今に至るまで私自身五位については何の知識もありませんでした。それで今回、「五位顕訣」や、五位頌を一応勉強し、中国および日本の曹洞禅の歴史の中で五位がどのように創唱され、継承され、学ばれてきたのかの歴史も勉強する必要を感じました。片桐老師の蔵書の中に保坂玉泉氏の同じ著書がありましたので、50年ぶりくらいに読みました。手元にある参考書だけでは十分ではありませんが、それらの基礎知識を得た上で、道元禅師の「寒暑・無寒暑」についてのコメントについて勉強しました。それだけで眼蔵会の始まる直前までかかりました。いつもは道元禅師の独特な表現や論理に引きずり回されているのですが、この巻に関しては、道元禅師が書かれていないことを捕捉しなければならないという感じがしました。

 

今回の眼蔵会には、アメリカの西海岸のサンフランシスコやオレゴン方面、東海岸のニューヨーク、北のミネソタ州、南のフロリダ州、など各地から参加者がありました。のみならず、ヨーロッパから3人の参禅者、日本からは曹洞宗のお坊さんが4人来られました。三心寺の受け入れ可能な人数を超え、近くのベッド&ブレックファーストに宿泊して三心寺に通ってこられる人たちもありました。眼蔵会では以前から受け入れ可能な人数を超える申込者があって、いつもウエイティング・リストに何人かが入ってもらうことになっています。

 

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眼蔵会だけではなく、接心の時にもこれくらいの参加者があれば、本気でお寺の施設拡充を考えなければならないのですが、京都の安泰寺で内山老師が始められた坐禅だけの接心にはせいぜい10人ほどの参加者しかありません。満員になるのは年2回の眼蔵会の時だけですので、私としては建物を増やすのに時間と労力を使うよりも、不便でも今のままで、坐禅と「正法眼蔵」の参究だけを続けていくように努力してまいりました。しかし、私が引退して次の人にバトンタッチするまえに、もう少し三心寺の施設のことも整備したいと考え始めております。

 

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 私の弟子、Roby海鏡が11月8日に遷化いたしました。恩師がたや先輩、同年代の友人だけでなく、自分の弟子がなくなっていくのを経験する年齢になったのだと思い知らされました。1953年生まれの65歳でした。20年ほど前にガンにかかり、その折の放射線治療の後遺症で臓器の一部に故障が生じ、以来ずっと健康の問題を抱えておりました。2013年に、ホスピスのチャプレンの仕事を辞めて、名古屋の尼僧堂への安居を希望した時にはもう長くは生きられないことを覚悟していたのだと思います。健康状態が僧堂での修行に耐えられるかどうか私にも確信が持てませんでしたが、そのために引き留めることができませんでした。

 

海鏡は南米ベネズエラ坐禅修行を始めたのですが、最初の師は弟子丸泰仙師の得度をうけた人で、僧籍登録もなされていませんでした。宗門の枠内での資格なしで何人かに出家得度もしていた人でした。海鏡もその中の一人だったのですが、そのためにベネズエラのサンガは曹洞禅の伝統と繋がることができず今でも孤立しております。そのサンガを曹洞禅の伝統と繋げるために自分が教師資格を得、その中の何人かを自分の弟子として曹洞宗の僧籍を得させたいと言うのが本人の願いでありました。数年の努力の末に、ヨーロッパ人2名とともにその中の一人に出家得度を授ける目処がたったところでの遷化でした。また私の著書のスペイン語訳も続けておりました。やり残したことが多く、無念なところもあったと存じますが、生命の火を仏法のために燃焼し尽くしたのだと理解しております。本人のやり残したことを成就するために私にできることがあれば努力する所存でおります。

 

11月5日に一宮の恵林寺において、私の兄弟子の関口道潤さんの法嗣の興顕師の晋山式のおりに私の弟子の高橋慈正が首座法戦式をさせていただきました。慈正は4月から愛知専門尼僧堂に安居させていただいております。

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眼蔵会が12日に終わったあと、15日にペンシルベニア州ピッツバーグに行きました。16日から18日までの週末接心を指導するためでした。例年、ピッツバーグには10月に行っているのですが、今年はヨーロッパへの訪問があったため、11月の眼蔵会の後に延期したのでした。出発したのが北東部を寒波が襲い、大雪になって死者も出た日でしたので、インディアナポリスからアトランタ行きの飛行機が遅れましたが、アトランタからピッツバーグのフライトにはなんとか間に合って、予定時間に到着ました。その代わり、アトランタで昼食を食べる時間もありませんでした。

 

この接心では「道元禅師和歌集」から3首を選んで教材としました。数年間、毎月1首づつ、三心寺の電子ニュースレターに翻訳と短い解説を書いたものが昨年完了し、現在出版社に送る原稿を準備してもらっているところです。その連載が終わってから、公開の講演や、短い接心の場合には禅師の和歌を取り上げて道元禅師の教えの一点に絞って話すようにしています。ピンポイントで一つに焦点を当てて話すのはいい方法だと思うようになりました。ヨーロッパでの公開講演のおりにも道元禅師や良寛さんの和歌について話しました。

 

ピッツバーグから帰るとすでに11月も下旬、三心寺の境内の木々もほとんど落葉し、いつ雪が降ってもおかしくない冬景色になっていました。22日と23日はサンクスギビングで、皆が家族や友人のところに行きますので、お寺では坐禅を休みにしています。これが過ぎると臘八接心が目の前です。今年ももうすでに終わりに近づいているのだと感じるこの頃です。

 

 

2018年11月23日

 

 

奥村正博 九拝