三心通信 2020年4月

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3月16日にヨーロッパから帰山してから、そして三心寺での行事が全て中止になってから、すでに一ヶ月以上が経ちました。3月中は、自主隔離のつもりでしたが、私の健康には全く異常が無かったので、コロナウィルスには感染していないことがわかりました。4月になってから、私は三心寺の禅堂で月曜日から金曜日まで、朝6時10分から7時までの1炷、一人で坐っています。坐禅の後、略朝課をしております。平常の報恩諷経、万霊諷経に加えて延命十句観音経を読誦して、パンデミックで亡くなられた人々に回向し、感染された方々、その家族の方々、医療関係者の方々の回復と健康、無事をお祈りしております。副住職の法光は自宅で同じく朝の坐禅と朝課をし、日曜日の朝の法話、水曜日のディスカッション・グループなど、Zoomを通じてオンラインで人々との行持を続けています。内山老師がいつか、世間の人々が何をしていいかわからず右往左往しているような時には、何もせず、不動の姿勢で静かに坐っているのが我々にできる一番の貢献だという意味のことを言われたのを記憶しています。誠にその通りだと今思い起こしております。

 

私は、1993年にアメリカに来た時以来、一人だけで坐ったことはほとんどありません。一人で坐るのは、京都の清泰庵にいた頃、そして園部の昌林寺にいた頃以来です。その頃を懐かしんでおります。誰もお寺に来ることはありませんので、自主隔離と変わらない静かな生活です。一人だけでも坐っていれば、坐禅堂は坐禅堂として生きているのだと思います。また人々が坐りに来れるようになるまで続けるつもりでおります。

 

3月中は5月の眼蔵会の準備に集中しました。実際の集まりは中止にせざるをえないのですが、できればオンラインで提供できないかと願っております。今までにも、このアイデアはあったのですが、なかなか実際には踏み出せませんでした。今回の異常事態が、新しいことを試すいい機会になるのではないかと思っています。講本は「正法眼蔵諸法実相」です。2007年にサンフランシスコ禅センターで一度読んだのですが、今回もう一度参究し直したいと願っております。

 

4月に入って最初の1週間ほどは、Dogen Instituteのプロジェクトである「良寛」の本の原稿を見直しました。何年も前にバークレイ禅センターで行ったいくつかの良寛詩についての私の話とミルウォーキー・禅センター前住職の洞燃・O’Coner師の越後の良寛さんの関係地を訪問した折の感想、その時に同行した法光が撮影した写真、洞燃さんのお弟子のTomonさんの絵画作品を一冊の本にしようという企画です。

 

それが一段落した後、私の禅戒についての講義のトランスクリプションを基にした本の準備を始めました。三心寺の創立以来、毎年7月に禅戒会を行ない、5日の会期のうち最初の4日間は説戒として、「教授戒文」の講義をし、そして最終日に受戒の式を行なってきました。その時の講義のトランスクリプションを法光がエディットしてくれたのですが、それを材料として禅戒についての本を作成しようとしております。一昨年からその材料は私の机の上に積まれて置いてあったのですが、時間がなくて、手をつけられませんでした。これを機会に目処をつけたいと願っております。

 

5月のオンラインの眼蔵会の企画が具体的になってきましたので、並行して眼蔵会の準備として「法華経方便品」を漢訳、漢訳の読み下し、サンスクリット本からの和訳、英語訳を対照しながら読み直しております。「眼蔵諸法実相」に引用されるのは十如是の部分と後いくつかの文だけなのですが、「方便品」全体の構成を明確に理解しておく必要があるように思います。

 

午後はここ数年、昼寝のあとYMCAにいって1時間ほど歩き、そのあとストレッチをして帰宅し、お風呂に入っていたのですが、YMCAは無期限に閉鎖されております。食料品店以外はほとんどの店が営業を停止し、三人以上の人が集まる場所も活動を停止しています。レストランはテイクアウトのみです。銀行もオフィスは閉鎖され、業務はドライブスルーのみです。ダウンタウンにも余り自動車も走っていないし、歩行者もあまりみません。それで、運動にはYMCAがある運動公園を1時間ほど散歩することにしています。毎日大体同じ時間に歩きますので、何回か顔を合わせる人もいますが、ほとんど挨拶もせず、すれ違う時も歩道の端と端に離れて手をあげる程度です。普段と違うのは、子供連れで歩いている家族をいく組か見ることです。普段は子供たちは学校に通っていて、午後に公園を歩いていることはほとんどないのですが、やはり家の中にいるだけでは退屈してしまうので、親が散歩に連れ出すのでしょう。それはそれで微笑ましい光景ではあります。

 

桜や木蓮はすでに散り、現在レッド・バッド(アメリハナズオウ)やドッグ・ウッド(ハナミズキ)その他の花が咲いています。天気の良い日には本当に気持ちがいい散歩日よりになります。しかし、例年と違ってそれを見て楽しむ人々の姿は余りありません。公園にある野球のグランドも例年だと週末には子供たちのチームの試合をしているのですが、今年は全くの無人です。

 

 

 

4月20日

 

奥村正博 九拝

 

 

 

 

三心通信 2020年3月

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2月25日に三心寺を出発し、26日午後にイタリアのローマに着きました。ニューヨークのJFK空港で乗り換えてローマ行きのフライトに乗る予定だったのが、直前にキャンセルされて少しあわてましたが、さいわいインディアナ空港から直通でパリに行き、乗り換えてローマに行く便に乗ることができました。今回はビジネスクラスでしたので、横になって寝ることができ、疲れ方がだいぶ違いました。
 
出発する前から、イタリア北部のベニスやミラノでコロナウィルスの影響が出始めていましたが、ローマでは人々は平常に生活していました。感染しているのは北部だけと感じているようで、商店やレストランも普通に営業していました。28日(金)の夕方に私の弟子の道龍と行悦が主宰しているAnshin 禅堂から歩いていける距離にあるイベントセンターのようなところで、公開講演をしました。今回のツアーでは主催者からの要請で「典座教訓」をテキストとして5回の話をする予定でした。その初回のローマでは、私の話のタイトルが英語で言うとHow to Cook Your Life (人生料理)ということでしたので、まず内山老師が「典座教訓」についてかかれた著書に「人生料理の本」と題名をつけられたことを話し、冒頭の段をよんで、叢林の修行の中での典座の仕事の位置とその意味について、坐禅や仏法の参究と全く同等の重要な働きであることについて話しました。それから、典座の1日の仕事について書かれていることの順番を追いながら、私たちの人生修行との関わりを話しました。百人ほどの人が聞きに来てくれて、会場はほぼ一杯でした。コロナウィルスの影響は全く感じませんでした。
 
翌29日(土)に道龍と行悦と共に列車でフィレンツエに移動しました。ローマの駅は普通に混雑しているように見えましたが、列車に乗り込むと空席が目立ちました。人々が旅行を控えているのがわかりました。フィレンツエの真如寺は金沢にある大乗寺の堂長、東隆真老師のお弟子の尼僧さんが主宰しているお寺で、大乗寺イタリア別院という看板がかかげられていました。オーストリアなど遠隔地から来る予定をしていた人たちは旅行を中止したということでしたが、お寺のメンバーの人たちはいつものように坐禅に来ていました。3月1日(日)の午後に坐禅と講話の会がありました。「典座教訓」の2回目として、道元禅師が典座、そのほかの叢林の作務を坐禅や仏法の参究と同等の意味ある修行と位置付けられるようになった最初の機縁である、天童山と育王山の典座との出会いについて話しました。
 
3月2日(月)にローマに帰り、3日(火)にローマ空港からギリシアアテネに移動しました。アテネの禅センターは事業をいくつか持つ実業家が、自分が経営するホテルの一階のフロアーを坐禅堂と武道の道場にしているところです。その人は年に2回小浜の発心寺の師家である井上光典老師においでいただいて接心をし、毎年6月には発心寺の摂心に参加しているとのことでした。禅堂にはバリ島で作られた大きな仏像が安置されていました。毎朝8時20分から9時まで坐禅があり、夕方には週に2、3回坐禅に人々が来るとのこと。その他の日には武道のクラスがあるとのことでした。5日(木)夕方7時から9時まで禅堂で私の公開講演がありました。この時には、私が三十年ほども前に最初に作成したShikantazaという坐禅の入門書をギリシア語訳し、最近それが出版されたとのことで、その本の主題である只管打坐、身心脱落について話しました。イタリアでは道龍が通訳をしてくれましたが、ギリシアでは多くの人が英語が理解できるとのことで通訳なしでほぼ2時間話しました。英語ができない人のために一人の人が小さな声で通訳をしていました。この時も百人ほどの人が来て、禅堂はほぼ満員になりました。
 
6日(金)の夜から人々が坐禅堂に集まり、翌7日(土)の早朝4時振鈴で9日(月)の午後9時まで、3日間の接心が始まりました。当初の差定では私の話は午後1回、40分ということでしたが、先日の話を聞いた人たちから毎回90分話すようにと注文されました。日本から老師がこられる接心では日本語から英語への通訳付きで40分の提唱が普通だということで、人々は仏法のまとまった話をもっと聞きたかったようでした。最初の日にはローマで話した叢林の修行の中での典座をはじめとした作務の重要性、2日目には、道元禅師と2人の中国人典座との出会い、3日目には「典座教訓」の結論として書かれている三心について話しました。接心の参加者は30名ほどでした。
 
私がアテネに到着した3日には、コロナウイルスの影響について人々はあまり深刻ではありませんでした。禅センターがあるホテルはアクロポリスから歩いて15分くらいの場所で、ホテルやレストランがたくさんあり、観光客が多く集まる場所にありましたが、歩道いっぱいにテーブルが並んでいるどのレストランも満員のようでした。摂心が終わった次の日、11日(火)に、オリンピックの聖火の採火式のリハーサルがあるのでオリンピアで見に行かないかという話もありました。しかし、接心が終わった時には、採火式のリハーサルも非公開、無観客で行うということになっていました。アテネに移動して1週間ほどして、イタリア全土が封鎖されたときいて驚きました。禅センターがあるホテルでもキャンセルする人が多くなったとのことでした。三階にある私の部屋からはアクロポリスパンテオンが正面に見えて、9日間の滞在中まことに贅沢な時間を過ごしました。
 
12日(木)、アテネからパリを経由してフランスの南部、地中海沿岸のマルセイユまで飛びました。最初はルフトハンザのミュンヘンを経由するフライトだったのですが、ルフトハンザの便は3分の1がキャンセルされたということで、エア・フランスの便に変更になりました。マルセイユの空港からから2時間ほど自動車で北に入ったAlesという町にある弟子の正珠が指導している法水寺で2回講話をしました。小さな町の小さなお寺で参加者は15名ほどでした。正珠が拙著Living By Vow誓願に生きる)をフランス語に訳し、最近出版されたので、それを記念して、その本に収載されているものを選び、最初の日には「四弘誓願文」2回目は「懺悔文」について話しました。一昨年訪問したベルギーのMonsの禅センターを主宰している弟子の黙祥と奥さんのフランソワが来ていて、フランソワがフランス語に通訳してくれました。彼女は元プロの同事通訳をしていたそうです。全くつまることなく訳してくれましたので感心しました。Alesは旅行者もほとんど来ない静かな町なので、人々はコロナヴィルスの感染の心配はしていないようでしたが、政府の要請で学校は休校になり、商店、レストランなども私の滞在中に閉店になりました。一度散歩に出ましたが、人通りもほとんどなく、車もあんまり走っていなくて、私が子供の頃の日本のお正月風景を思い出しました。
 
そのあと、ロンドンに行く予定だったのですが、コロナウイルスの影響がイギリスでも深刻になり、ロンドンでの行事は延期せざるを得なくなりました。アメリカ政府がヨーロッパからの入国を制限することになったとのことで、1週間予定を早め、急遽パリ、ニューヨークを経由して3月16日に三心寺に帰山しました。旅客は少なかったですが幸いに、フライトも正常に飛んでいて、深夜に無事に三心寺に帰り着くことができました。ヨーロッパの国々でも国境が閉鎖され始めましたので、黙祥とフランソワも予定を早めて16日に列車でベルギーに戻ったとのことでした。
 
三心寺に帰ってから12日目になりますが、自己隔離のつもりで家族以外にはなるべく会わないようにしています。お陰様で、私の健康状態に何ら異常はありません。今月いっぱいは家にいて、5月の眼蔵会の準備をするつもりです。
 
幸いに現在のところ、三心寺のサンガ、関係者で感染している人はいないようです。三心寺は私が帰った日から一切のお寺での行持を今月いっぱい取り止めています。4月からオンラインで何かすることを検討中です。22日(日)の理事会で、今年の夏期安居は中止することになりました。5月の眼蔵会も中止になったのですが、オンラインで私の講義を提供できるかどうか検討中です。夏安居の代わりに半年ずらして冬に安居ができるかどうかもこれから検討します。
 
わたしは、この機会を、これまだ滞っていた原稿の執筆や、読めなかった本を読むことに集中するつもりでおります。
 
 
 
3月28日
 
奥村正博 九拝
 

三心通信 2020年2月

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Living By Vow(フランス版)

昨年に続いてこの冬も、暖かな冬でした。2、3度雪雨が降りましたが、すぐに消えてしまう程度で、2月中もむしろ雨の日が多くありました。

 
2月6日にブルーミントンを出発し、サンフランシスコに行きました。サンフランシスコ大学の哲学の先生がオーガナイズされた、Coastal Zen:Zen and Placeというタイトルのコンファレンスに出席するためです。インディアナポリスからジョージア州アトランタに飛び、そこでサンフランシスコ行きのフライトに乗り換える予定だったのですが、フロリダの海岸からアトランタのあたりまで、おおきな雨嵐があり、私のフライトは3時間ほど遅れました。アトランタについたものの、乗り換えのフライトに間に合わず、5時間ほども待って、次のフライトに乗りました。午後1時過ぎにサンフランシスコに着く予定が、9時半頃になってしまいました。
 
7日、宿泊させていただいたお宅を昼ごろに出発して、サンフランシスコのゴールデンゲート・パークのすぐ北側にあるサンフランシスコ大学の宿泊施設につきました。イエズス会によって創設されたカトリックの大学で、壮大な礼拝堂があります。コンファレンスの会場はその礼拝堂のすぐそばにある建物でした。午後4時45分から6時まで私のA Person in the Mountainsと題したkeynote presentation(基調講演)がありました。主催者は40ないし50人くらいの来場者を見込んでいたのですがサンフランシスコ禅センターやその他の禅センターの人たちが意外に多く来られて、100名ほどの人が私の話を聞いてくれました。私は哲学の先生たちの学会だと聞いていたので、学者の人たちに聞いてもらえるような話ができるか心配していたのですが、大多数が禅センターの人たちでしたのでいつもの調子で話すことができました。

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A Person in the Mountainsというのは、道元禅師が「山水経」などで使われた「山中人」という表現の英語訳です。「永平広録」第9巻の「永平頌古」第25則に宏智禅師の偈頌を本則として、道元禅師ご自身の頌古を作っておられます。宏智禅師の偈頌は明らかに蘇東坡の「盧山の詩」を下敷きにしたものです。

横看成嶺側成峰 (横より看れば 嶺を成し、側よりは 峰を成す)
遠近高低各不同 (遠近、高低、各の同じからず )
不識廬山真面目 (廬山の真面目を識らざるは )
只縁身在此山中(只だ身此の山中に在るに縁る)
 
宏智禅師の偈:
来来去去山中人  (来来去去山中の人)
識得青山便是身  (識得す青山は便ち是れ身)
青山是身身是我  (青山は是れ身、身は是れ我 )
更於何処著根塵(更に於何処にか根塵を著けん)
 
道元禅師の偈:
山中人可愛山人  (山中人は山を愛する人なるべし)
去去来来山是身 (去去来来、山は是れ身)
山是身兮身未我   (山は是れ身、身は我れならず )
更尋何処一根塵 (更に何処にか一根塵を尋ねん)
 
これら3つの詩を比較しながら、道元禅師の自己と自己が生きる場所としての万法との縁起、空のあり方について話しました。面白いことは、「山水経」をかかれた1240年に撰述された「礼拝得髄」、「渓声山色」、「諸悪莫作」、「有時」などの巻に「山中人」という表現が使われていることです。この年以前に書かれた巻にも、以後に書かれた巻にも使われていないと思います。このことから「永平広録」所収の「永平頌古」もおそらくこの年あたりに作られたものと推測しております。
 
2日目、3目は哲学者の方達の発表でした。このグループの学者の方達は禅に興味を持っているだけではなくて、自分でも坐禅修行をし、何人かは曹洞宗の僧籍も持っている人たちです。発表を聞いているとゲリー・シュナイダーのディープ・エコロジーや人間と自然や環境についての問題に興味を持っている人たちのようでした。ただわたしには、学者の人たちの使う英語はよく聞き取れず、あまり理解もできませんでした。
 
先週末、21日から23日まで、三心寺でIntroduction to Dogen(道元入門)をテーマにしたリトリートがありました。私は25日にヨーロッパに出発する予定で、ヨーロッパでの10回の講義や講演の準備もしなければならなかったので、坐禅や作務は免除してもらい午前9時から11時まで、講義だけを担当しました。道元禅師の戒、定、慧についての著述の中で述べられている、基本的なことを話しました。眼蔵会の場合は、特定の巻について話しますので、このように幅広く、基礎的な話はできません。道元禅師にまだあまり馴染みがない人たちには興味を持って聞いてもらえたと思います。
 
昨年の2月にアイオワ州の竜門寺で首座法戦式をした、ドイツ人女性の鏡空が、今月法光から嗣法を受けました。10日ほど三心寺に滞在して、8日間の伝法の加行に加えて、日曜日には坐禅会の法話をし、週末のリトリートにも参加するなど、大変な10日間だったと思います。
 
25日に三心寺を出発し、26日午後にイタリアのローマに着きました。最初に予約していたインディアナからニューヨークに行き、ローマ行きに乗り換えるフライトが直前にキャンセルされて、少々慌てましたが、インディアナポリスからパリへの直行便に乗り、パリで乗り換えてローマに着くことができました。今回はビジネスクラスに乗ることができ、横になって眠ることができましたので、疲れ方が違いました。
 
イタリアでは、ヨーロッパの中で最もコロナウイルスに感染している人が多いということで、今回の訪問を中止するかどうか判断しなければなりませんでした。感染者が出たのは主に北部なので、ローマの人達はそれほど深刻には考えてないようです。少し北にあるフローレンスでは大きな集会が中止になったりしているようで、オーストリアから私の話を聞きに来る予定をしていた人たちが、取り消したとのことです。イタリアの後に行く、ギリシアフランス、イギリスは問題ないようです。

 

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ローマ講演のチラシ


4カ国の5つの禅センターを訪問して、合計10回の広義や講演をする予定です。3月23日に三心時に帰ります。無事にこの旅が終わるように願っております。
 
 
 
2月27日
 

奥村正博 九拝

三心通信 2020年1月

 

元旦から少し寒くなったこともありましたが、概ね穏やかな天気が続いています。本格的な降雪はまだありません。むしろ、何回か雨が降りました。水分を十分に吸って苔庭の苔の緑が鮮やかです。

 

今年も正月1日と2日は年頭のご挨拶を書き、宛名書きと署名をし、封筒に住所を印刷し、投函する作業をして過ごしました。1993年ですから、30年近く前に日本からアメリカに移転してから、特に御用のない限り、日本の皆様には年頭のご挨拶と、暑中のお見舞いだけがつながりとなりました。毎年同じような味も素っ気もない文面の近況報告で、申し訳ありません。私の歩みの中の様々な局面でご縁があった方々、三心寺を創立する際に物心両面でご支援していただいた方々に、三心寺が今なお存続し、坐禅修行と仏法の参究を続けているということをお知らせさせていただくことは、私自身が糸の切れた凧になってしまうことを防いでくれています。

 

9日(木)夕方から12日(日)昼食までの接心には大体いつもどおり10名ほどの参加者がありました。今年も静かな接心で新しい年を始めることができて有り難いことでした。

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2016年に法光が副住職になって最初の2年間は、副住職はハーフタイム、あとの半分はオフィスでの仕事を担当してくれていました。2018年に事務仕事担当の人を雇用することができて、法光はフルタイムの副住職になりました。それ以降、接心の指導を担当し、毎朝の坐禅、朝課の導師を分担し、毎月のニュースレターを作成し、毎週木曜日のディスカッション・グループを指導し、アメリカ国内やヨーロッパ、南アメリカに在住する三心関係の道場と連絡をとって、三心禅コミュニティのネットワークを構築する仕事、ボード(理事会)のメンバーと緊密に連携して三心寺の運営を円滑に進めること、など多方面の活動をしています。

 

私が引退する2023年まで、7年間を住職交代の準備期間とする計画でしたが、丁度半分の3年半が経過しました。この移行期間の計画は順調に進んでおります。私が少しずつ退いていき、法光がサンガの指導者として認められるようになり、またお寺の運営を彼女の理想通りにしていける体制を作りつつあります。私はお寺の運営、経営、経済面には全く興味も関心も、知識も能力もないものですから、坐禅修行と仏教、道元禅師の宗乗の参究だけを進めてきました。1975年にバレー禅堂に行く際に、内山老師からお金や人を集めようとするな、静かに坐禅修行だけをするようにと言われたことを実践してきたつもりです。私自身も自分のミッションは内山老師から教えられたこと、日本で道元禅師の宗乗として学んだことをなるべく、何も足さず、何も引かず、そのまま伝えることだと考えておりました。私のやり方を受け入れるかどうか、受け入れた後、どう変えていくかは、私の弟子たちの仕事だと考えてきました。ですので、三心禅コミュニティは修行や宗乗の勉強の面では成長してきたものの、組織の運営面は余り進歩しないままでした。お寺の組織、運営面では、法光が本当の意味での創立者となることと思います。

 

Dogen Instituteでは、これまで私の講義のトランスクリプション、レコーディングしたものを編集しオンラインで入手可能にすること、三心寺の記念事業としての「生死法句詩抄」、Boundless Vows, Endless Practice の刊行など主に私の仕事をまとめ、人々に提供することを活動としてきました。現在、国際布教師でCedar Rapid Zen Center の住職である瑞光Redding 師に「正法眼蔵八大人覚」の解説の執筆をしていただいております。同じく国際布教師で、もとMilwaukee Zen Centerの住職だった洞燃O’Coner 師に私の良寛詩の講義と随筆、洞燃師と法光が昨年、越後の良寛さんゆかりの場所を訪問したおりの感想文、写真を一緒にして一つの本にする企画も進んでおります。他の禅センターで指導する人たちの協力も得て、一般の出版社が手を出さないような曹洞禅に関する本を作っていけるようにと願っています。印刷した本を自分たちで流通経路に載せなくても、オンデマンドにするか、電子書籍としてオンラインで提供することも可能ですから。こういう方面では私は役立たずなので、法光、Dogen InstituteのディレクターのDavid Thompson、その他の有志の人たちにお任せです。

 

新訳の「長円寺本・正法眼蔵随聞記」および「道元禅師和歌集」の英訳と解説とを合わせて一冊の本としてWisdom社から出版されることになりました。両方ともすでに原稿は出版社に送りました。2021年には出版される予定です。内山老師が「生命の実物」の中で紹介されたカボチャの話をもとに、子供のための仏教絵本を作る企画もDavid と有志の人たちの協力で作成されたものです。Wisdom社からSquabbling Squashesというタイトルで出版されることになり、契約を完了しました。

 

2月にはサンフランシスコ大学の哲学の教授がオーガナイズされるCoastal Zenというコンファレンスに参加します。初日には学生たちも参加するということで、一番最初に話をさせてもらうようにお願いしました。近年、あちらこちらの禅センターに行っても、参加者の大概は中年以上の人たちで、若いと言っても30歳台の人たちというのが普通です。今回は大学生に向かって話ができるので、なんとか聞いて興味を持ってもらえるような話にしたいと願っております。私が出家した70年代は安泰寺の雲水も大多数が20歳代でした。75年にアメリカに行った頃もほとんどが若い人たちでした。最近の若い人たちはすることが多すぎ、忙しすぎて、「何にもならない」坐禅をしている暇はないようです。

 

その後、21日から23日までの週末にIntro Dogen (道元入門)と題した週末のリトリートがあります。まだ眼蔵会で正法眼蔵を勉強する準備はできていない人たちのために、道元禅の基礎知識を提供するための講座です。道元禅師の教えの中の戒、定、慧について、基本的な知識と勉強の仕方などを話す予定にしています。

 

その2日後、2月25日からヨーロッパに行きます。今回はイタリア、ギリシア、フランス、イギリスの4カ国、5つのセンターを訪問し、法話や講義、接心をします。無事に責任を果たすことができるように願っております。

 

 

1月26日

 

奥村正博 九拝

三心通信 2019年12月

 

例年、クリスマスを挟んだ24日、25日、26日は休みにしております。今日はもはやクリスマス・イヴです。多くの人たちは家族に会いに旅行をしています。私たち家族にとっては、訪問者もなく、静かな休日です。この冬、2、3回雪が降りましたが、この数日は比較的暖かく、雪は日陰に少し残っているだけです。窓から見える空は青く澄んでいます。穏やかなクリスマスになりそうです。

 

11月30日から12月8日朝までの臘八接心は例年のように、10人ほどの人たちが参加しました。ドイツから、西海岸のベイ・エアリアやロスアンゼンルス、そしてシカゴ、アリゾナ、などから、1日14炷、坐禅だけの接心を坐るために仕事を休み飛行機に乗って、あるいは半日自動車を運転して来てくれる人たちには頭が下がります。この接心を続けている限り、三心寺は大きな禅センターになることはあり得ないと思います。しかし、誰も来なくなるということもないと思います。静かに坐禅だけ、つまり仏様と自分だけに向き合うことでのできる接心はあまり他所ではありませんので、いつでも少数の人たちは来てくれると思います。私としてはそれで十分です。もちろん、眼蔵会のように50人近くの人たちが来てくれれば、それに越したことはありませんが、おそらくそれは少なくとも当分の間はないでしょう。

 

先月の三心通信にも書きましたが、現在では副住職の法光が接心の指導を担当してくれています。私も坐りますが、指導者としてではなく、一参禅者としてです。いつものように、昼食後、YMCAに行って1時間ほど歩き、ストレッチをし、シャワーを浴びて2時頃にお寺に帰り、1時間ほど休息して禅堂に戻ります。ですので私は12炷しか坐れません。椅子に長時間坐っていて楽なのは膝だけです。上半身を尻と腰だけで支えなければならないので、足を組んで結跏あるいは半跏で坐っているよりも坐相のバランスを維持するのが難しく、腰が疲れます。長時間のフライトで、狭い座席に坐っていると下肢の血流が悪くなり、静脈に血栓ができて様々な問題が起きるエコノミークラス症候群というのがあるということですが、1日に14時間坐ると、インディアナポリスから、日本に飛行機でいくのと大体同じ時間坐っていることになります。7日間の接心では日本まで3回半往復するほどの時間になります。50分ごとに経行があり、上半身を真っ直ぐにしておくことが可能ですので、また、食事が機内食よりも随分ましなので、エコノミークラスの長時間のフライトほど苦痛ではありませんが、長時間座るのには、坐蒲の上で足を組んでいる方がずっと楽です。それでもとりあえず、7日の深夜12時まで坐ることができました。12月8日は私が得度して49回目の記念日でした。

 

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12月8日が日曜日だったので、成道会の法要は次の日曜日、15日になりました。昨年は道元禅師の成道会にちなむ漢詩について話しましたが、今年は再びパーリ語のニカーヤで釈尊が成道の前後で何が変わったかを話されているお経を取り上げました。サミュッタ・ニカーヤの2−57、英語訳ではPhases of the Clinging Aggregates, 増谷文雄さんの日本語訳では、「五取蘊の四転」と訳されています。釈尊は、「この生に取著する五つの要素の四つの変化の相を、既にあるがままに、十分に証知することをえた」だから「最高の正等覚を実現したと称するのである。」と言われています。4つの変化の相というのは、五蘊のそれぞれが何であるか、色の場合では、色とは何か、その生起、その滅尽、その滅尽に至る道を如実に知ることです。これは四聖諦の苦、苦の原因、苦の滅、苦の滅に至る道と同じ論理だと思います。釈尊の成道が五取蘊つまり私たちの身体と心の働きをそのままに見る、そして私たちの身体と心のそれら自身への取著から解脱することだということは、釈尊の悟りが現在の私たちとは無関係なものではないことが分かります。私たちも釈尊と同じ五蘊(身体と心)なのですから。

 

臘八接心が終わってから、来年の眼蔵会の準備のために「正法眼蔵無情説法」の翻訳をしました。5月の眼蔵会には「諸法実相」を参究する予定ですが、「諸法実相」は十年ほど前に一度眼蔵会でしたことがありますので、英語訳は既にあります。「無情説法」は8月のサンフランシスコ禅センターでの眼蔵会で参究する予定です。11月の眼蔵会では「仏経」の巻を読もうと考えております。これはまだ翻訳しておりませんので、これから訳さなければなりません。

 

「無情説法」英訳の第1稿ができてから、曹洞宗国際センターのニュースレター「法眼」に連載している「正法眼蔵」の解説の続きとして、「観音」の巻の解説の第1回を書いています。この連載では以前の眼蔵会の講義のトランスクリプションに加筆訂正しているのですが、ほとんど全面的に書き直さなければならず、思ったよりも時間がかかりました。その第1稿ができたもので、この三心通信を書いております。もう少し寝かしてから、再度点検して、英語を添削してくれる弟子の正龍・ブラッドレイに送ります。

 

また一年が過ぎてしまいました。お寺の運営や坐禅その他の活動のことは副住職の法光やその他の人たちが中心になってやってくれていますので、私は自分の坐禅と、講義の準備、翻訳や原稿書きが主な仕事になっています。ですので、反省するべきことも、自分の仕事が随分と遅くなっていることと、知識や理解が曖昧で、しょっちゅう調べ直さなければならないこと、相変わらず下手な英語しか使えないことくらいです。若い頃と違って、いくら努力してもこれらが改善される可能性はほとんどありませんので、あきらめて、受け入れる意外にしようがありません。

 

来年は2月末からほぼ1ヶ月、ヨーロッパの4カ国を訪問し、5つのセンターで話をしたり、接心をしたりする予定です。体力が続くように願っております。

 

 

2019年12月24日

 

奥村正博 九拝

 

 

 


三心通信 2019年11月

 

11月6日(水)夕方から11日(月)昼食まで5日間の眼蔵会がありました。眼蔵会が円成した日の午後から雪が降るということで、ミネソタ州ミシガン州など北の方から自動車で来た人たちの中には、昼食も食べずに帰りを急いだ人たちもありました。ブルーミントンでは降雪量は大したことはありませんでしたが、夕方までには雪景色になっておりました。気温が低いので、その雪が今日(14日)に至るまであちらこちらに残っております。眼蔵会の間に晩秋は終わり、冬が到来いたしました。木々の葉は全て散ってしまい、今日は青空が大きく広がっています。

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今回の眼蔵会は17年以来はじめてブルーミントン市内にあるTMBCC (Tibetan Mongorian Buddhist Culture Center)の施設を借りて行いました。三心寺で行うには禅堂、食堂、台所、洗面所などの関係で22名が受け入れの限度ですが、今回は50名近くの参加者がありました。TMBCC内で宿泊する人たち、三心寺の禅堂やドームで宿泊する人たち、市内のB&Bなどに宿泊して通う人たちと様々でした。アメリカ国内の西海岸、東海岸ミネソタ州フロリダ州、カナダからの人たち、それにヨーロッパのドイツ、オーストリア、オランダから4人の人たち、また昨年の11月の眼蔵会に引き続いて4人の曹洞宗のお坊さんたちが日本からこられました。それぞれお寺を持ち、お忙しい中で、眼蔵会が始まる日に日本から到着し、最終日の講義が終わってすぐに、昼食も食べずにインディアナポリスの空港に出発するという強行日程で参加されました。幸か不幸か、悪天候のせいで帰りのフライトがキャンセルされ、ブルーミントンに戻ってこられたので、何人かの参加者たちとも一緒に夕食をとり、少し話をすることもできました。それにしても時差呆けと戦いながらの坐禅や英語の講義の聴講は大変な苦行だったと思います。

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「説心説性」の巻で道元禅師が書かれている論点をアメリカの人たちに理解してもらうために、ダンマパダからはじめ、パーリのニカーヤでの自性清浄心、そして大乗経典、如来蔵系統の経典、そして「楞伽経」、「起信論」、「円覚経」、「首楞巌経」に至るまでの唯識のアラヤ識と如来蔵心を結びつけた「心」と「心性」についての理解の仏教思想史のなかでの変遷、そして中国禅の中でのその受容について最初の3回の講義で話しました。それから「説心説性」の本文に入ったので、正直5日で全巻読めるかどうか疑問でしたが、なんとか終えることができました。

 

私が言いたかったのは、南宋の看話禅と黙照禅は理論的な基礎はどちらも「起信論」の本覚と始覚の構造の上に置かれているのに対して、道元禅師の教えはその基礎を釈尊から龍樹につながる非有非無の「中道」と「法華経」の諸法実相の縁起論に置かれているのではないかということでした。

 

それにつけても、体力の減退を感じさせられました。夜よく眠れればいいのですが、夜中に目が覚めて眠れなかった次の日には、一日中頭がボーッとしていて、丁度時差ぼけの最中のような状態になってしまいます。自分と外の世界との間にうすい膜があるようで、何か起こっていることにも、自分がしている行動や会話にもう一つ現実感がないのです。眼蔵会や接心の直後は、頭脳が全く機能しない感じです。

 

11月14日

 

以上を書いてから約2週間が経ちました。あの時の雪が溶けてからは比較的暖かい日が続いていますが、ブルーミングトンの街は初冬の風景です。今年はサンクスギビングの休日が遅く、今週の28日(木)になります。例年、サンクスギビングと次の日は坐禅も休みにしています。そのあと、30日(土)の夕方から7日間の臘八接心が始まります。例年、今年も全部坐れるかどうか気になって、一年中で一番緊張する時期なのですが、今年から副住職の法光が接心を担当してくれていますので、私は一参禅者として参加します。つまり、私が坐れなくてギブアップすることになったとしても、接心は問題なく続いていくということですので、昨年までとは緊張の度合いがやや違います。しかし、今年は1970年の12月8日に出家得度を受けてから49回目、その年の接心も含めれば50回目の臘八接心ですので、最後まで坐れるようにと願っております。

 

 

2019年11月26日

 

奥村正博 九拝

 

 


三心通信 2019年10月

 

日本では、台風の水害で多大な被害が出たとのこと、お見舞いを申し上げます。被災された人々の生活が早く元に戻るように願っております。

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当地では今年の秋もたけなわをやや過ぎた感じです。気温が下がったのと、昨日強い風を伴った雨が降って、大量の落葉がありました。添付した写真でご覧の通り、苔庭の苔が見えなくなるほど、いろんな色の落ち葉が地面を覆っています。「地に敷く錦」という感じです。これから境内の落ち葉掃きが大変です。

 

10月は、11月6日から始まる眼蔵会の準備に専念するために朝の坐禅も免除してもらっています。先月の通信にも書きましたが、今回は「説心説性」の巻を参究します。深草興聖寺を捨てて、越前に移転され、まだ新しい寺院もなく、吉峯寺や禅師峯で仮住まいをされていた頃に書かれたものです。示衆の日時は書かれてありませんが、75巻本では、先回、5月の眼蔵会で参究した第41巻「三界唯心」に続く第42巻になっています。大慧宗杲禅師を批判されるはじめての巻ですので、「説心説性」の巻の本文に入る前に、宋代の禅宗、特に大慧宗杲の看話禅と宏智正覚や真歇清了の黙照禅との対論、その歴史的背景の勉強から準備を始めました。およそ1ヶ月それに集中したのですが、本文の勉強を始めてから、それは徒労だったと悟りました。

 

大慧禅師が批判した「説心説性」している人たちというのは、曹洞宗で黙照禅の修行をしてい人たちではないように思えるからです。石井修道先生は「宋代禅宗史」に大慧禅師の「普説」を引いておられます。「学人を静坐させる者は、それゆえに悟門を説かない。さらに心と説き性ととく者も、悟門を説かないし、、、、」以下、5種類の人たちを揚げて、その人たちは悟り経験の必要性を説かないと批判しているのですが、最初の静坐させる人というのは黙照禅の指導者達だということは明白ですが、それと第2類の人たちとは別のグループだと思われます。「説心説性」のなかで道元禅師は大慧禅師の「いまのともがら、説心説性をこのみ、談玄談妙をこのむによりて、得道おそし。ただまさに心性ふたつながらなげすてきたり、玄妙ともに忘じきたりて、二相不生のとき、証契するなり」、という言葉を取り上げて批判されるのですが、黙照禅の修行者が得道するために、「説心説性をこのむ」ということはあり得ないことでしょう。黙して坐れば、それがそのまま照(証、「性」の発現)と信じて坐っている人たちが「心」とは何か、「性」とは何かと議論する必要はないからです。

 

もう一つは、よく言われることですが、ここでの大慧禅師の説心説性を批判する言葉は、道元禅師が以前に自分の文章の中で言われていたのとほとんど同じなのです。例えば、「学道用心集」(6)参禅可知事に、「首楞巌経」の文を引用して以下のように言われます。

「釈迦老子云、観音入流亡所知。即之意也。動静二相了然不生、即之調也。」

 

また同書(8)「禅僧行履事」にも趙州無字の公案を引いて、

趙州僧問、狗子還有仏性也無、趙州云、無。於無字上擬量得麼、擁滞得麼、全無巴鼻。請試撤手、且撒手看。身心如何、行李如何、生死如何、仏法如何、世法如何、山河大地人畜家屋畢竟如何。看来看去、自然動静二相了然不生。此不生時、不是頑然、無人証之、迷之惟多。参学人、且半途始得、全途莫辞。祈祷祈祷。

 

永平広録第1巻「上堂96」、同じく第8巻の法語5、11にも、説心説性を否定する言葉があります。1240年に書かれた「山水経」でも、「見性」と並んで「説心説性」が否定されています。

 

国際禅学研究所の「研究報告第3冊」での、松岡由香子さんのご指摘によると、「二相不生」ということを大慧禅師は言ったことがないとのことです。「もしかりに二相不生という表現あるいは内実があやまりなら、道元自身が自己批判すべきではなかろうか。、、、『説心説性』での大慧批判は、道元の勝手な思い込みというほかない。」「まず、確認すべきは、道元のこの大慧批判は、すでにあきらかにしたように事実の錯認であるということだ。」というお言葉にもうなずけるものがあります。

 

大慧禅師が黙照禅を攻撃しているのではないのに、道元禅師はどうして大慧の「説心説性」に対する批判説を批判しなければならなかったのか?今でもよく分かりません。あと十日足らずで眼蔵会が始まるのに、どうすればいいのか、思案に暮れています。

 

もう一つ気がついたのは、この巻に取り上げられる、洞山と僧密師伯との説心説性の問答も、達磨と二祖慧可の問答も、「祖堂集」(952)や「景徳伝燈録」(1004)などの古い灯史には存在せず、「宗門統要集」(1133)、「宗門連燈会要」(1189)などに初めて出る話だと言うことです。ですからこれらの公案についてのコメントも南宋の圜悟や大慧の否定的見解以前のものは見つけることができませんでした。道元禅師がこの巻を書かれた意図の一部分は、洞山大師や慧可大師の「説心説性」を救い出したいと言うことではなかったかとも思いました。

 

普通は、週5日、月曜日から金曜日まで午前四時半におきて、五時から七時まで坐禅、そのあと、略朝課と掃除がありますので、朝食を食べて、仕事を始めるのはどうしても9時前後になります。10月中は、早朝の坐禅を免除されていますので、今月はなるべく6時半までに起きて8時には仕事が始められるように努力しています。午前中眼蔵会の準備の仕事をして、昼食後に昼寝、そのあと、寝床の中で参考になる本を読み、3時頃に起き上がってYMCAに行って運動。4時半から5時ごろに帰宅して風呂に入り、一休みして夕食。夕食後は午前中の仕事のまとめをして、9時過ぎくらいには寝床に入ると言う、きわめて静かな生活です。

 

2019年10月27日

 

奥村正博 九拝