三心通信 2018年8月

 

夏季安居が円成して間もなく、7月16日にブルーミントンを出発して日本に行きました。私の日本語の本「今を生きるための 般若心経の話」が港の人という出版社から6月に出版されましたので、その機会に日本でいくらか話をさせていただくためでした。

 

7月20日から22日までは名古屋にある愛知専門尼僧堂の緑陰禅の集いに講師として参加させていただきました。3日間で4回の講義がありました。内山老師が遷化なさってから今年で20年になりますので、私が老師から教えていただいたことの中核である「一坐二行三心」の話をしました。二行とは誓願行と懺悔行です。三心は喜心、老心、大心です。これは内山老師が引退される時、安泰寺での最後の提唱としてはなされた、「安泰寺に遺す言葉」の中で語られたものですが、老師の著作の多くには坐禅はそのまま誓願の行であり、また懺悔の行でもあること、また三心は坐禅が我々の日常生活の中で働く時の態度であるということが述べられておりました。私にとっては、老師が引退されてアメリカに行き、師匠なしで修行して行くようになってからも忘れてはならない核心でありました。今に至るまで老師の遺言だと考えております。公開の場で日本語でまとまった話をするのはほとんど25年ぶりぐらいでしたので、錆びついた日本語が通用するかどうか心配しておりましたが、なんとかなったのではないかと思います。

 

26日には宗務庁がある東京グランドホテルで行われた禅と今の夏季大学の講座で話をする機会を与えていただきました。「菩薩の誓願」について話しました。峯岸正典さん、福島伸悦さん、石井清純さんをはじめ昔からの知り合いの方々にお会いできて楽しい時をすごさせていただきました。

 

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 27日には新宿の朝日カルチャー・センターで藤田一照さんと一緒に坐禅の実習と「現成公案」の講義、対談をさせていただきました。両講座とも40名ほどの人々が参加されました。みなさん熱心なのに驚きました。

 

28日に鎌倉に移動し、29日には藤田一照さんの本拠である葉山の茅山荘をたずねて一照さんと2時間の対談をしました。テーマは「只管打坐の醍醐味と落とし穴」ということでしたが、テーマどおりの内容になったかどうか自信がありません。焼津の林叟院の鈴木包一老師がきておられたので驚きました。

 

30日には鎌倉の由比ヶ浜の公民館のようなところで山下良道さんとの対談がありました。これは私の本を出版していただいた港の人の主催の会でした。良道さんは、安泰寺で得度し、私が1993年にアメリカに来るために園部の昌林寺を出ることになった時、その後に入っていただいた人です。その後、ミャンマーに行って上座部の比丘として修行し、現在では鎌倉に一法庵を創立して布教されています。対談のテーマは「只管打坐とマインドフルネス」ということでしたが、私にはマインドフルネスについての知識がほとんどありませんので、話が噛み合わなかったのでないかと思います。

 

以上のどの会場でも「般若心経のはなし」を販売させていただきました。日本ではほとんど知られていない私の、日本の書店では何十冊もあるであろうありふれた「般若心経」の話の本をせっかくいい本にしていただいたのに、出版社の方に赤字が出たのでは申し訳ないと思い、私のできるだけの努力はさせていただきました。多くの旧知の方々とお会いすることができ、また新しくお目にかかった人々との出会いもありがたいものでした。

 

それにしても7月の日本の暑さにたまげました。今年の暑さは異常だったそうですが、日中はなるべく外を歩くのを避けておりました。早朝や日が落ちてから散歩するようにしましたが、それでも10分ほども歩くだけで汗で衣服が雨の中を歩いたようにビショ濡れになりました。

 

それでも、鎌倉で、大学生の頃以来50年ぶりくらいに、鎌倉駅から鶴岡八幡宮に行き、建長寺円覚寺を経て、北鎌倉の駅まで歩いたときには、あの頃どんなことを考え、何を追求しようとしていたのか、様々なことが思い出されました。70歳になってまた同じ道を歩けるとは思っていませんでした。

全ての行事が終わり8月2日にブルーミントンに帰り着きました。それから3週間近くもたちますが、まだ夜の眠りが浅く、夜中に何度も目を覚まし、そのせいで一日中眠いという状態が続いています。それでも、三心寺のニュース・レターに連載した「道元禅師和歌集」の翻訳と短い解説の原稿を弟子の浄瑩さんがエディットしてくれたものを見直し、序文を書き、参考文献のリストを作りました。原稿で100ページほど、今までの本に比べると短いのですが、出版社から刊行できるように願っております。

 

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現在、三心寺の地下の禅堂に地下のコンクリートの壁を切り抜いて避難出口を作る工事が行われています。壁のコンクリートを切る仕事以外は、ワークリーダー(直歳)の発心さんが引き受けてくれています。その工事のためにお寺の坐禅堂が8月いっぱい使えないので、ダウンタウンオフィスビルの一部屋を一ヶ月間だけ借りて臨時の坐禅堂として使っています。時差ボケでよく眠れないため毎日朝5時から坐りにダウンタウンまで行くのは辛いのですが、目が覚めた日には行くようにしています。

 

日本ではまだまだ残暑厳しい日々が続くことでしょう。どうぞご自愛ください。ブルーミントンでは早朝は15℃程度、最高気温も25℃くらいまで涼しくなりました。

 

 

2018年8月23日

 

 

 

奥村正博 九拝

 

 

三心通信 2018年7月

 

西日本の広域に記録的な豪雨がふり、多数の死傷者、甚大な被害が出たとのこと、お見舞い申し上げます。当地では、異常というほどではありませんが、このところ連日摂氏30度を越す日が続いております。カナダから来た人によると、カナダでもここと同じような暑さで、モントリオールでは観測史上最高の気温を記録したとのことです。毎年のように日本だけではなく世界各地に異常気象、天変地異がおこり、地球全体として何か大きなものが変わりつつあるようです。人間の活動がそのことにマイナスの要因になっている可能性があるとすれば、私たちの生き方を変える必要があると思います。多くの人によってすでに指摘されていることですが、現在のアメリカの政権が、そのことを認めない人々によって運営されていることに不安を感じます。

 

昨日、5日間の禅戒会の最後に在家得度式がありました。これにて4月9日から3ヶ月間続いた夏季安居が円成いたしました。首座は発心・ショーフが勤めました。発心さんは、インディアナ州の出身でブルーミントンにあるインディアナ大学で美術を専攻した人です。その頃から禅や日本文化、芸術に関心があり、三心寺ができる前から坐禅修行をしております。自営の建設業で生活を支えており、三心寺でも長年直歳として務めてくれています。例年、安居の間は首座が日曜参禅会の法話をするのですが、今年は発心さんが、禅と詩、美術、建築、庭園などの様々な芸術について話をしてくれました。私は坐禅を始めるときに仏教の勉強と坐禅以外のことはすべてやめてしまいましたので、禅と芸術について話すようなことはできません。三心寺に来る人達の中にも芸術や音楽をする人が多いので、興味を持って聞いていたようです。

 

例年の通り夏季安居中、5月は眼蔵会、6月は坐禅に専注する接心、7月は禅戒会と、戒、定、慧の三学を主とした5日間の行持を行いました。5月の眼蔵会は三心寺創立15周年記念行事として、特別に2人の講師を招き、私と3人が分担して「正法眼蔵行仏威儀」の参究をしました。もう一人は、ミネアポリスのすぐ隣のセント・ポールにあるClouds in Water Zen Centerの前主任教師である白蓮・レギィア師です。もともとミネアポリスの禅センターで片桐大忍老師について参禅していた人で、私がミネアポリスにいた頃からの知り合いです。アメリカ人指導者の「眼蔵」の理解や、そのことをどのように受け止め自分の修行の中で実践しているかを聞くことができて、大変意味のある記念行事になりました。これからも機会を見つけて、アメリカ人の講師に来ていただいて「眼蔵」の参究をしたいと願っております。

 

昨年は眼蔵会の折にはTMBCC(Tibetan Mongolian Buddhist Culture Center)の大きな施設をお借りしたのですが、今年はあちらの都合でそれが不可能になり、会場が三心寺に戻りました。禅堂や台所、宿泊施設が十分になく参加者の数を22名に制限する必要がありました。これから、お寺全体の施設の改善を考えなければなりません。理事会でも、現在地で必要な施設を建てるかあるいは郊外の静かな場所にリトリートをする場所を作るか、なるべく多くの可能性を検討していくことになりました。

 

7月の禅戒会では毎年、「教授戒文」を講本にして、十六条戒の様々な面に焦点をあてて参究しています。今年は「序文」にある「諸仏大戒」という表現を取り上げ、道元禅師の戒は仏祖正伝の「正法眼蔵」あるいは「諸法実相」そのものだということを、具足戒と大乗戒(菩薩戒)の性格の違いについて、また道元禅師の「懺悔」は、間違いを犯したときにごめんなさいというだけのものではないということをについて話しました。今年は3人の人たちが受戒して仏弟子になりました。

 

長円寺本「正法眼蔵随聞記」の英語訳は、Wisdom社と出版についての契約を結ぶことができました。現在、出版社に提出できる原稿を作成する作業をしています。「道元禅師和歌集」の英訳と解説もこれから加筆訂正をするところです。

 

法光さんはこれまで副住職とオフィス・マネージャーを兼任して多方面の仕事をしてくれていましたが、このほどお寺の事務の仕事をしてくれる人を雇用することがきまりました。これからは専任の副住職としてもっと禅の指導者としての活動に重心がおけるようになります。おかげさまで私は坐禅や講義、翻訳や著作により多くの時間を使うことができるようになりました。

 

私の日本語の本「今を生きるための 般若心経の話」はもうすぐに出版されます。先月書きましたようにこれを機会に来週日本に行き名古屋の尼僧堂を始め数カ所でお話をさせていただきます。この25年ほど、公開の場で日本語でのまとまった話をしたことはほとんどありませんので、どういうことになるか、心配しております。

 

 

2018年7月10日

 

 

 

奥村正博 九拝

 

三心通信 2018年6月

 

日本では梅雨の最中で鬱陶しい天気が続いていることでしょう。この何日かブルーミントンでも、一日中降り続くというわけではありませんが、毎日のように雨が降り湿度の高い日が続いています。温度も30度前後まで上がります。

 

お寺の1エーカー弱ある境内は、建物のあるところと花壇、駐車場以外はほとんどが芝生ですが、芝刈りが大変なので、芝生ではなくて、この地方の自然の草花を育てることになりました。その第一歩は一旦芝生を枯らして育てる植物の種をまくことです。今ではその部分は茶色になっています。種がまけるのは次の冬の間で、来年の春には自然な草花が咲くようになるとのことです。アメリカの大都市以外で土地が広くある町では、夏の芝刈りが一大事業です。普通の家庭でもガソリンエンジン付きの芝刈り機を持っています。芝刈りを怠けていると近所や町から苦情がきますので、週に一度はきれいにしなければなりません。三心寺の境内の芝を刈るにはおよそ2時間はかかります。もう少し大きな土地を持っているところは、トラクターを小さくしたような四輪の芝刈りを使っています。この時間と、ガソリンの消費と騒音は秋になって芝生の成長が止まるまで続きます。その時間や労力がない場合は業者に依頼しなければなりません。

 

6月は例年のように5日間の接心から始まりました。5月30日の夕刻にオリエンテーションと一炷の坐禅があり、坐り始めるのは31日の早朝4時からでした。いつものように少人数ですが、静かで充実した接心でした。

 

16日に本則行茶、17日には首座法戦式がありました。今年の首座は発心・Shoafさんです。インディアナ州の出身でブルーミントンにあるインディアナ大学で美術を学びました。そのあとずっとこの町に住んでいる人です。三心寺が創立される以前からZen Center of Bloomingtonのメンバーで長年坐禅修行をしています。生活を支える職業としては自営の建設業をしています。ですので、三心寺創立以来建物の維持、補修などで何かと助けられています。この10年ほどはワークリーダー(直歳)として作務の中心になってくれています。

三心寺の夏季安居では毎年、首座が日曜日の法話をすることにしています。今年は「禅とアート」というテーマで、禅と詩歌、建築、絵画、などについて話をしてくれました。

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17日(日曜日)の首座法戦式には例年のように秋葉玄吾北アメリカ国際布教総監に助化師としておいでいただきました。飛行機の遅れもあって、15日のほとんど真夜中にインディアナポリスの空港に到着され、空港付近のホテルに一泊、16日のシャトルバスでブルーミントンに来ていただきました。17日法戦式が終わると昼食もされずに空港に向けて出発されるというタイトなスケジュールでおいでいただき誠にありがたく申し訳なく存じました。おかげさまで、30名ほどの人が集まり滞りなく法戦式は円成しました。

 

7月の4日から9日まで禅戒会があります。例年通り、最終日には受戒の式があります。今年は3人の人が菩薩戒を受けて仏弟子になります。今年から絡子の把針は4月に行う1週間のリトリートでしてもらうことになっています。ですのですでに絡子も出来上がり、法名も決まって、血脈の準備なども始めています。

 

私の日本語の著書は「今を生きる 般若心経の話」というタイトルになりました。編集、校正作業はすでに完了し、7月初旬には印刷も出来上がるとのことです。これを機会として16日に日本に出発し、何箇所かで話をさせていただきます。20日から22日までは名古屋の愛知専門尼僧堂の緑陰禅の講師として4回の講義をします。26日には東京グランドホテルで「禅といま」の夏季大学で講師の一人として「菩薩の誓願」について話します。27日には新宿の朝日カルチャーセンターで藤田一照さんと一緒に坐禅についてと「現成公案」について講義をします。29日には一照さんの茅山荘で対談。30日には山下良道さんと対談します。

 

 

自分でも信じられませんが明日は誕生日で70歳になります。体力や脳力は目に見えて衰えていますが、70歳になってもできる仕事に恵まれていることに感謝せざるを得ません。

 

6月21日

 

奥村正博 九拝

 

 

 

三心通信 2018年5月

 

五月もはや半ば、新緑の候になり気温も摂氏30度近くまで上がるようになりました。芙蓉やジャーマン・アイリスなどの、大きくて豪華な花が庭を飾っています。昨日と今日雨が降り、苔庭の緑が綺麗です。

 5月1日から6日までの特別眼蔵会は無事に円成しました。ミネソタ州から来ていただいた白蓮・レギア師、シカゴからの太源・レイトン師からそれぞれ、私にはできない講義をしていただきました。講本は「正法眼蔵行仏威儀」でした。長くて、しかも内容の濃い巻ですので、一語一語、丁寧に説明することは5日間の眼蔵会では無理でしたが、道元禅師が、独特の表現で教示されようとした内容は的確に話していただいたように思います。三心寺で受け入れられる限界の22名の参加者がありました。

 5日目の日曜日には、私の最後の講義は半分の45分にし、3人の講師によるパネル・ディスカッションがありました。この部分は、一般の人々にも公開されましたので、眼蔵会参加者を含めて40−50名の人々が三心寺の創立15周年を祝うために集まっていただきました。 

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今年に入って、大通・トム・ライトさんが訳された内山老師の「正法眼蔵有時」「諸悪莫作」の提唱の英語訳に私が訳した「摩訶般若波羅蜜」の提唱を加えていただいたDeepest Wisdom, Deepest Practiceが1月に出版されました。今回の15周年記念出版としてDogen InstituteからBoundless Vows, Endless Practice,と内山老師の「生死法句詩抄」の英訳の改訂版を出しました。そして、5月末には私の「山水経」の講義を基にしたMountains and Waters SutraがWisdom社から出版されました。

 三心寺のダルマ・スタディ・グループで、2、3年かけて長円寺本「正法眼蔵随聞記」の英語訳を続けました。80年代に、岩波文庫の面山本を底本とした英語訳を作り、現在でも曹洞宗宗務庁から教化資料として出ていますが、長年、長円寺本の英訳を作成したいと願っておりました。おかげさまで、今回、長円寺本「随聞記」がWisdom社から出版される運びになりました。スタディ・グループで一応作成した英訳原稿に私が全体を見ながら調整したドラフトを、弟子の一人道樹・レイトンさんがもう一度、全体を見直して出版社に送るれる原稿を作成してくれています。道樹さんは今年の9月からインディアナ大学の大学院修士課程に入り日本仏教を勉強する人です。今週から週一度金曜日の朝に会って、訳文の調整などをしています。今年の秋までに原稿を出版社に送ることができれば、来年中には刊行されることになると思います。

 もう一つ、三心寺のニュースレターに数年間連載した「道元禅師和歌集」の英語訳と一つ一つの和歌についての私の解説が昨年12月で完了しましたが、現在、もう一人の弟子の浄瑩・ホワイトヘッドさんがエディットしてくれています。浄瑩さんは、Zen Teaching of Homeless Kodoのエディットをしてもらった人です。

 現在、ダルマ・スタディ・グループでは「道元禅師語録」の英語訳をしております。例によって、私が英訳の第1稿を作り、私が意味の説明をし、数名の参加者の人たちに英語の表現を検討してもらうという方法でやっております。太源・レイトン師と共訳した「永平広録」の英語訳、Dogen’s Extensive Recordと対照していますが、様々な興味深い違いがあります。この違いが誰によって、どのようになされたのか資料がないので完全に究明されることはないでしょうが、考え続けたいと思います。

 もう一つは「道元禅師和歌集」が終わった後、面山瑞方師によって道元禅師の漢詩150首が選びだされ「洞上句中玄」に収録された漢詩の英訳を「永平広録」の英語訳、Dogen’s Extensive Recordの英語訳を紹介し、私のコメントを加えて三心寺のニュースレターに連載しております。私たちの英語訳は門鶴本を底本にしていますので、面山本に基づいた「洞上句中玄」とはやや違っている部分があります。その場合には、違いを指摘するようにしております。

 これらが、現在取り組んでいる仕事です。終着点というものが見えてきません。体力と脳力が続く限り、このようなことを続けていくのだと思います。もうすぐ、接心の指導は副住職の法光が担当してくれるようになる予定ですので、少しは時間的な余裕ができるものと期待していますが、余裕はあっても、1日にこういう仕事ができる時間は短くなってきています。何時間も続けてコンピューターに向かっていることができなくなりました。休憩しながらでないと、どうにも頭が働かないのです。自分でも信じられませんが来月には70歳になります。しかし、70歳になってもできる仕事に恵まれていることに感謝せざるを得ません。

 先月の三心通信でお知らせしましたように、7月には私の日本語の本が出版され、その機会に日本でいくつかお話をする機会を作っていただきました。この25年間、公開の場で日本語でまとまった話をしたことはありませんので、どのようなことにばるのか心配しています。

 5月19日

 

奥村正博 九拝

 

 

三心通信 2018年4月

 

3月から4月半ばにかけて、温度が低く、雨の日が多く、例年に比べると花々が咲くのがかなり遅れました。境内の桜は今が満開です。ようやく春らしい気候になってきました。

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 4月8日に仏降誕会の法要をしました。例年のようにその翌日から、7月9日の授戒会まで続く3ヶ月の夏期安居が始まりました。今年は、発心・マイケル・ショーフさんが首座を務めています。インディアナ州出身で、ブルーミントンにあるインディアナ大学で美術を先攻した芸術家です。生活のためには自営で建築の仕事をしてきました。三心寺が創立される前からあった、ブルーミントン禅センターの創立時からのメンバーですので、長年坐禅修行を続けている人です。

 

今年は、2003年に三心寺が創立されて15周年になります。それで5月の眼蔵会を記念行事を兼ねて特別なものにすることにしました。いつもは、私一人が講師で、1時間半の講義を1日に2回、5日間で合計9回するのですが、今回は外部から2人の講師に来てもらって、3人で3回ずつ分担することになりました。講師は、シカゴに禅センターを持つ太源・ダン・レイトン師と、ミネソタ州セント・ポールにある禅センターの前主任教師の白蓮・レギヤー師です。講本は太源師の希望で「正法眼蔵行仏威儀」になりました。「行仏威儀」の巻を3つに分けて、夫々が3分の1づつ講義します。最終日に、15周年記念として講師3人がパネル・ディスカッションをします。そのあと、レセプションがあります。

 

まだ国際センターに勤めていた2002年に、サンフランシスコ禅センターを会場として初めて眼蔵会を行いました。講本は「山水経」でした。この時は7日間の眼蔵会で13回の講義をしました。その時の講義のテープ起こしをしてくれる人がありました。それを元に私が書き直し、弟子の一人がエディットしてくれたものが、この度ウィズダム社から出版されました。最初の講義をした時から15年以上かかりましたが、すべてボランティアでの仕事ですので、どうしても時間がかかります。このあとも、私の講義を元にした正法眼蔵の解説書を作成していきたいと願っています。

 

「眼蔵会」以外には、15周年記念として、Dogen Instituteから二冊の本が出版されました。一つは私と弟子たち10人が、21世紀における菩薩の誓願をテーマとして、書いた文集 Boundless Vows, Endless Practice: Bodhisattva Vows in the 21st Centuryです。私は序文として、パート1に初期曹洞宗の祖師がたの誓願について、道元禅師、義雲禅師、義尹禅師の発願文を紹介しながら書き、パート2には内山老師の「自己」に収録されている「ある出家者の手記」から内山老師の誓願について書きました。200頁ほどの、本格的な本になりました。

 

もう一つは、創立10周年記念の時に作った内山老師の「生死法句詩抄」の改訂版です。旧版は藍染の布を表紙に使った、かなり凝った製本をしましたが、今回はソフトカバーで私の弟子の高橋慈正さんの写真が入りました。両方ともオンデマンドで、アマゾンから買うことができます。副住職の法光さんが編集やデザインの作業を担当してくれました。

f:id:sanshintsushin:20180429115512j:plain    内山老師の折り紙

 

3月の「三心通信」で書きましたように、私の日本語の本が刊行されることになり、それを機縁として7月に日本に行くことになりました。20日から22日まで名古屋の尼僧堂での緑蔭禅のつどい、26日東京グランドホテルでの「禅といま」の夏期大学、27日に藤田一照さんとカルチャーセンターで坐禅と講義、29日には一照さんのおられる茅山荘で対談、30日には鎌倉で山下良道さんと対談をさせていただくことになりました。本の内容は、もう20年以上前に主にクリスチャンの方々を対象にした「般若心経」の講義をもとにしたものと、最近英語で内山老師から受けた教えと私が歩んだ道について書いたものをもとに日本語で書きなおした「只管打坐の道」という原稿です。

 

3月22日

 

奥村正博 九拝

 

 

 

三心通信 2018年2月, 3月

 

今年もはやお彼岸になり春の息吹を感じることもありますが、まだ今でも最低気温は氷点下以下です。一昨日の夕方から雪が降り始め、昨日の春分の日の朝には、木々の枝や地面は真っ白になりました。それでも陽光はすでに春のもので、午後には、雪はほとんど消えておりました。

 2月から3月初めにかけて、インフルエンザが流行り、多くの人々が咳をしておりました。私もほとんど一月間体調がすぐれませんでした。2月9日、10日の涅槃会接心は寝込んでいて休ませてもらいました。11日の涅槃会の法話と法要はなんとか務めることができましたが、そのあとも咳と鼻水が続きました。

 20日テキサスのオースティン市の禅センターに行きました。21日から25日まで眼蔵会があったのでした。今回は、あちらの希望で「正法眼蔵一顆明珠」を講本にしました。以前にも2月にオースティンに行ったことがあるのですが、このあたりの4月ぐらいの気候でした。今回も暖かいだろうと、半袖のシャツなども準備して行きましたが、案に相違して眼蔵会の最後の日まで毎日のように雨が降り続き、肌寒い日が続きました。あちらでも、インフルエンザが流行っていて、多くの人が咳をしていました。多分そのせいだろうと思いますが、26日にブルーミントンに帰ってまた寝込み、1週間ほど休みました。3月1日からの3日間の接心も休まなければなりませんでした。2ヶ月続けて病気で接心を休んだのは、アメリカに来て初めてだろうと思います。

 これまでは、少々咳が出たり、鼻水が出ても、我慢してごまかしながら、するべきことをしている間にいつの間にか治っていたのですが、今回は、何をするエネルギーも出てきませんでした。後3ヶ月ほどで70歳になりますが、60歳代と70歳代の違いをすでに予感し始めています。60歳を少し超えた頃、「老耄の弁道」という言葉を使いましたが、今と比べると、老耄でもなんでもなかったのだと思い直しています。

 お陰様で、副住職の法光さんが中心になって私が少しくらい休んでも三心寺の接心や、日曜参禅会、平常の坐禅、その他の行持を続けてくれています。これから休まなければならないことも増えてくることと思います。後5年間、多くの人たちに支えてもらって、引退までなんとか務めたいと願っております。

 今年の6月に三心寺創立15周年を迎えます。今回は5月の眼蔵会を記念の行事にすることになりました。特に、シカゴに禅センターを持つ太源・レイトン師とセントポールの禅センターの前の主任教師の白蓮・レギアー師に講師として来ていただきます。私を含めて3人で分担して、「正法眼蔵行仏威儀」を講本として参究します。最終日には一般にも公開してパネル・ディスカッションをいたします。その準備を始めております。

 また、15周年の記念として、私と私の弟子たち10人ほどの文集を作成します。タイトルはBodhisattva Vow: Continuing Dogen Zenji’s Work in the 21st Centuryとしました。私は序文に、初期曹洞宗道元禅師その他の祖師がたの発願文を紹介し、また内山老師の誓願について書きました。200頁程の結構本格的な本になりそうです。三心寺は日本ではほとんど知られていない中西部の小さな町にある、ほんとに小さなお寺ですが、そのネットワークはかなり広がっております。アメリカ合衆国各地、南アメリカ、ヨーロッパで活動している人々には、大きな禅センターを作る必要はないから、それぞれの場で一隅を照らすようにと願っております。

 私の日本語の本が刊行されることになりました。それを機縁として、7月に日本に行き、名古屋の尼僧堂での緑蔭禅のつどい、「禅といま」の夏期大学、藤田一照さんとカルチャーセンターなどでお話をさせていただくことになりました。日本語で公開の場で話をすることはアメリカに来てからほとんどありませんので、どうなることか心配しております。

 3月22日

 奥村正博 九拝

三心通信2018年1月

三心通信 2018年1月

 

昨年の暮れからずっと続いていた厳しい寒波は一度収まり、一度は雨が降るほどに暖かくなりました。その後また最高気温が0℃以上にはならない冷凍庫状態が1週間ほど続きました。2、3日前からからまた暖かくなり、雪はとけて、芝生が見えました。ことしは、温かい日々と寒い日々が交互にくるようです。

 元旦には、例年のように日本の皆様に年頭のご挨拶の手紙を書きました。120通ほどですが、発送するには、プリントし、宛名を書き、封筒に詰め、切手を貼って郵便局に持っていくまでには3日ほどかかります。息子の正樹が11月に日本から帰って来ました。娘の葉子もボーイフレンドと一緒に年末に帰って来ました。久しぶりに家族揃ってのお正月になりました。

 11日から14日まで3日間の接心がありました。今回は、州外から来た4人の人たちと、三心寺の僧侶3人が坐りました。少人数で静かな接心で新しい年を始めることができました。

1969年1月の接心が私の安泰寺での最初の接心でした。来年で50年になります。過去を振り返ると、実に様々な生活風景の中で、接心を続けて来たことに驚きます。20歳代の安泰寺やバレー禅堂での修行生活。30歳代はじめ、清泰庵でトムさんや横井さんといつも3人で坐っていた接心。30歳代の後半から40歳代のはじめ、京都曹洞禅センターの活動を始めて、宇治田原の禅定寺や園部の昌林寺で坐らせていただいた接心。1993年にミネアポリスに移り、ミネアポリスの願生寺や宝鏡寺での接心。1997年から2010年まで、曹洞宗国際センターの活動としての全米各地の禅センターを訪問しての接心。2003年から現在までの三心寺での接心。私の年齢に応じ、家族の状況に応じ、働きの場に応じて様々な風景が移り変わっていきましたが、そのどこにも、坐ってしまえば変わらない、接心がありました。

 昨年3月に得度した高橋慈正さんの努力で、20年以上前にできた、私の唯一の日本語での著書、「般若心経を語る:渾身口に似て虚空に掛かる」が今年、港の人という出版社から再刊されることになりました。園部の晶林寺にいた頃にカトリックの人たちの東西の会というグループのために話したものをテープ起こししていただいて、私が加筆訂正したものです。東西の会の人たちが古い布を持ち寄って表紙を作り、製本もハンドメイドで和本のように綴じてていただいたものです。確か100部できたのですが、私が何部かいただいて友人、知人にお送りしたほかは、カトリックの教会で頒布していただいたので、一般の書店には全く出ませんでした。

 最初は、元の本のまま再刊してもらえればいいと思っていたのですが、私がどういう人間で、どのような道を歩んで来たのかを書いた方がいい本になるということで、「只管打坐の道」と題して高校生のとき初めて内山老師のご著書を読んでから、老師の教えとして学んだこと、安泰寺での老師の指導のもとでの修行、その後の私のアメリカおよび日本での歩のみを「只管打坐の道」と題して書かせていただきました。その文章を書くために、子供の頃から現在に至る70年近い私の来し方を色々と思い出し、考える機会がありました。その結果、今私に言えることは、私の今回の人生はたった一炷の坐禅だったなということです。

 

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昨日、首座法戦式がありました。イタリア人の弟子、行悦が首座を勤めました。普通、首座法戦式は夏季安居の最中に行うのですが、今回は特別です。秋葉総監老師と総監部書記の宮崎良孝師にはご多忙な中、この法戦式に出席するためだけにカリフォルニアから1泊でおいでいただきました。申し訳なく、有難く存じました。

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1月21日

 

奥村正博 九拝