三心通信 2018年6月

 

日本では梅雨の最中で鬱陶しい天気が続いていることでしょう。この何日かブルーミントンでも、一日中降り続くというわけではありませんが、毎日のように雨が降り湿度の高い日が続いています。温度も30度前後まで上がります。

 

お寺の1エーカー弱ある境内は、建物のあるところと花壇、駐車場以外はほとんどが芝生ですが、芝刈りが大変なので、芝生ではなくて、この地方の自然の草花を育てることになりました。その第一歩は一旦芝生を枯らして育てる植物の種をまくことです。今ではその部分は茶色になっています。種がまけるのは次の冬の間で、来年の春には自然な草花が咲くようになるとのことです。アメリカの大都市以外で土地が広くある町では、夏の芝刈りが一大事業です。普通の家庭でもガソリンエンジン付きの芝刈り機を持っています。芝刈りを怠けていると近所や町から苦情がきますので、週に一度はきれいにしなければなりません。三心寺の境内の芝を刈るにはおよそ2時間はかかります。もう少し大きな土地を持っているところは、トラクターを小さくしたような四輪の芝刈りを使っています。この時間と、ガソリンの消費と騒音は秋になって芝生の成長が止まるまで続きます。その時間や労力がない場合は業者に依頼しなければなりません。

 

6月は例年のように5日間の接心から始まりました。5月30日の夕刻にオリエンテーションと一炷の坐禅があり、坐り始めるのは31日の早朝4時からでした。いつものように少人数ですが、静かで充実した接心でした。

 

16日に本則行茶、17日には首座法戦式がありました。今年の首座は発心・Shoafさんです。インディアナ州の出身でブルーミントンにあるインディアナ大学で美術を学びました。そのあとずっとこの町に住んでいる人です。三心寺が創立される以前からZen Center of Bloomingtonのメンバーで長年坐禅修行をしています。生活を支える職業としては自営の建設業をしています。ですので、三心寺創立以来建物の維持、補修などで何かと助けられています。この10年ほどはワークリーダー(直歳)として作務の中心になってくれています。

三心寺の夏季安居では毎年、首座が日曜日の法話をすることにしています。今年は「禅とアート」というテーマで、禅と詩歌、建築、絵画、などについて話をしてくれました。

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17日(日曜日)の首座法戦式には例年のように秋葉玄吾北アメリカ国際布教総監に助化師としておいでいただきました。飛行機の遅れもあって、15日のほとんど真夜中にインディアナポリスの空港に到着され、空港付近のホテルに一泊、16日のシャトルバスでブルーミントンに来ていただきました。17日法戦式が終わると昼食もされずに空港に向けて出発されるというタイトなスケジュールでおいでいただき誠にありがたく申し訳なく存じました。おかげさまで、30名ほどの人が集まり滞りなく法戦式は円成しました。

 

7月の4日から9日まで禅戒会があります。例年通り、最終日には受戒の式があります。今年は3人の人が菩薩戒を受けて仏弟子になります。今年から絡子の把針は4月に行う1週間のリトリートでしてもらうことになっています。ですのですでに絡子も出来上がり、法名も決まって、血脈の準備なども始めています。

 

私の日本語の著書は「今を生きる 般若心経の話」というタイトルになりました。編集、校正作業はすでに完了し、7月初旬には印刷も出来上がるとのことです。これを機会として16日に日本に出発し、何箇所かで話をさせていただきます。20日から22日までは名古屋の愛知専門尼僧堂の緑陰禅の講師として4回の講義をします。26日には東京グランドホテルで「禅といま」の夏季大学で講師の一人として「菩薩の誓願」について話します。27日には新宿の朝日カルチャーセンターで藤田一照さんと一緒に坐禅についてと「現成公案」について講義をします。29日には一照さんの茅山荘で対談。30日には山下良道さんと対談します。

 

 

自分でも信じられませんが明日は誕生日で70歳になります。体力や脳力は目に見えて衰えていますが、70歳になってもできる仕事に恵まれていることに感謝せざるを得ません。

 

6月21日

 

奥村正博 九拝

 

 

 

三心通信 2018年5月

 

五月もはや半ば、新緑の候になり気温も摂氏30度近くまで上がるようになりました。芙蓉やジャーマン・アイリスなどの、大きくて豪華な花が庭を飾っています。昨日と今日雨が降り、苔庭の緑が綺麗です。

 5月1日から6日までの特別眼蔵会は無事に円成しました。ミネソタ州から来ていただいた白蓮・レギア師、シカゴからの太源・レイトン師からそれぞれ、私にはできない講義をしていただきました。講本は「正法眼蔵行仏威儀」でした。長くて、しかも内容の濃い巻ですので、一語一語、丁寧に説明することは5日間の眼蔵会では無理でしたが、道元禅師が、独特の表現で教示されようとした内容は的確に話していただいたように思います。三心寺で受け入れられる限界の22名の参加者がありました。

 5日目の日曜日には、私の最後の講義は半分の45分にし、3人の講師によるパネル・ディスカッションがありました。この部分は、一般の人々にも公開されましたので、眼蔵会参加者を含めて40−50名の人々が三心寺の創立15周年を祝うために集まっていただきました。 

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今年に入って、大通・トム・ライトさんが訳された内山老師の「正法眼蔵有時」「諸悪莫作」の提唱の英語訳に私が訳した「摩訶般若波羅蜜」の提唱を加えていただいたDeepest Wisdom, Deepest Practiceが1月に出版されました。今回の15周年記念出版としてDogen InstituteからBoundless Vows, Endless Practice,と内山老師の「生死法句詩抄」の英訳の改訂版を出しました。そして、5月末には私の「山水経」の講義を基にしたMountains and Waters SutraがWisdom社から出版されました。

 三心寺のダルマ・スタディ・グループで、2、3年かけて長円寺本「正法眼蔵随聞記」の英語訳を続けました。80年代に、岩波文庫の面山本を底本とした英語訳を作り、現在でも曹洞宗宗務庁から教化資料として出ていますが、長年、長円寺本の英訳を作成したいと願っておりました。おかげさまで、今回、長円寺本「随聞記」がWisdom社から出版される運びになりました。スタディ・グループで一応作成した英訳原稿に私が全体を見ながら調整したドラフトを、弟子の一人道樹・レイトンさんがもう一度、全体を見直して出版社に送るれる原稿を作成してくれています。道樹さんは今年の9月からインディアナ大学の大学院修士課程に入り日本仏教を勉強する人です。今週から週一度金曜日の朝に会って、訳文の調整などをしています。今年の秋までに原稿を出版社に送ることができれば、来年中には刊行されることになると思います。

 もう一つ、三心寺のニュースレターに数年間連載した「道元禅師和歌集」の英語訳と一つ一つの和歌についての私の解説が昨年12月で完了しましたが、現在、もう一人の弟子の浄瑩・ホワイトヘッドさんがエディットしてくれています。浄瑩さんは、Zen Teaching of Homeless Kodoのエディットをしてもらった人です。

 現在、ダルマ・スタディ・グループでは「道元禅師語録」の英語訳をしております。例によって、私が英訳の第1稿を作り、私が意味の説明をし、数名の参加者の人たちに英語の表現を検討してもらうという方法でやっております。太源・レイトン師と共訳した「永平広録」の英語訳、Dogen’s Extensive Recordと対照していますが、様々な興味深い違いがあります。この違いが誰によって、どのようになされたのか資料がないので完全に究明されることはないでしょうが、考え続けたいと思います。

 もう一つは「道元禅師和歌集」が終わった後、面山瑞方師によって道元禅師の漢詩150首が選びだされ「洞上句中玄」に収録された漢詩の英訳を「永平広録」の英語訳、Dogen’s Extensive Recordの英語訳を紹介し、私のコメントを加えて三心寺のニュースレターに連載しております。私たちの英語訳は門鶴本を底本にしていますので、面山本に基づいた「洞上句中玄」とはやや違っている部分があります。その場合には、違いを指摘するようにしております。

 これらが、現在取り組んでいる仕事です。終着点というものが見えてきません。体力と脳力が続く限り、このようなことを続けていくのだと思います。もうすぐ、接心の指導は副住職の法光が担当してくれるようになる予定ですので、少しは時間的な余裕ができるものと期待していますが、余裕はあっても、1日にこういう仕事ができる時間は短くなってきています。何時間も続けてコンピューターに向かっていることができなくなりました。休憩しながらでないと、どうにも頭が働かないのです。自分でも信じられませんが来月には70歳になります。しかし、70歳になってもできる仕事に恵まれていることに感謝せざるを得ません。

 先月の三心通信でお知らせしましたように、7月には私の日本語の本が出版され、その機会に日本でいくつかお話をする機会を作っていただきました。この25年間、公開の場で日本語でまとまった話をしたことはありませんので、どのようなことにばるのか心配しています。

 5月19日

 

奥村正博 九拝

 

 

三心通信 2018年4月

 

3月から4月半ばにかけて、温度が低く、雨の日が多く、例年に比べると花々が咲くのがかなり遅れました。境内の桜は今が満開です。ようやく春らしい気候になってきました。

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 4月8日に仏降誕会の法要をしました。例年のようにその翌日から、7月9日の授戒会まで続く3ヶ月の夏期安居が始まりました。今年は、発心・マイケル・ショーフさんが首座を務めています。インディアナ州出身で、ブルーミントンにあるインディアナ大学で美術を先攻した芸術家です。生活のためには自営で建築の仕事をしてきました。三心寺が創立される前からあった、ブルーミントン禅センターの創立時からのメンバーですので、長年坐禅修行を続けている人です。

 

今年は、2003年に三心寺が創立されて15周年になります。それで5月の眼蔵会を記念行事を兼ねて特別なものにすることにしました。いつもは、私一人が講師で、1時間半の講義を1日に2回、5日間で合計9回するのですが、今回は外部から2人の講師に来てもらって、3人で3回ずつ分担することになりました。講師は、シカゴに禅センターを持つ太源・ダン・レイトン師と、ミネソタ州セント・ポールにある禅センターの前主任教師の白蓮・レギヤー師です。講本は太源師の希望で「正法眼蔵行仏威儀」になりました。「行仏威儀」の巻を3つに分けて、夫々が3分の1づつ講義します。最終日に、15周年記念として講師3人がパネル・ディスカッションをします。そのあと、レセプションがあります。

 

まだ国際センターに勤めていた2002年に、サンフランシスコ禅センターを会場として初めて眼蔵会を行いました。講本は「山水経」でした。この時は7日間の眼蔵会で13回の講義をしました。その時の講義のテープ起こしをしてくれる人がありました。それを元に私が書き直し、弟子の一人がエディットしてくれたものが、この度ウィズダム社から出版されました。最初の講義をした時から15年以上かかりましたが、すべてボランティアでの仕事ですので、どうしても時間がかかります。このあとも、私の講義を元にした正法眼蔵の解説書を作成していきたいと願っています。

 

「眼蔵会」以外には、15周年記念として、Dogen Instituteから二冊の本が出版されました。一つは私と弟子たち10人が、21世紀における菩薩の誓願をテーマとして、書いた文集 Boundless Vows, Endless Practice: Bodhisattva Vows in the 21st Centuryです。私は序文として、パート1に初期曹洞宗の祖師がたの誓願について、道元禅師、義雲禅師、義尹禅師の発願文を紹介しながら書き、パート2には内山老師の「自己」に収録されている「ある出家者の手記」から内山老師の誓願について書きました。200頁ほどの、本格的な本になりました。

 

もう一つは、創立10周年記念の時に作った内山老師の「生死法句詩抄」の改訂版です。旧版は藍染の布を表紙に使った、かなり凝った製本をしましたが、今回はソフトカバーで私の弟子の高橋慈正さんの写真が入りました。両方ともオンデマンドで、アマゾンから買うことができます。副住職の法光さんが編集やデザインの作業を担当してくれました。

f:id:sanshintsushin:20180429115512j:plain    内山老師の折り紙

 

3月の「三心通信」で書きましたように、私の日本語の本が刊行されることになり、それを機縁として7月に日本に行くことになりました。20日から22日まで名古屋の尼僧堂での緑蔭禅のつどい、26日東京グランドホテルでの「禅といま」の夏期大学、27日に藤田一照さんとカルチャーセンターで坐禅と講義、29日には一照さんのおられる茅山荘で対談、30日には鎌倉で山下良道さんと対談をさせていただくことになりました。本の内容は、もう20年以上前に主にクリスチャンの方々を対象にした「般若心経」の講義をもとにしたものと、最近英語で内山老師から受けた教えと私が歩んだ道について書いたものをもとに日本語で書きなおした「只管打坐の道」という原稿です。

 

3月22日

 

奥村正博 九拝

 

 

 

三心通信 2018年2月, 3月

 

今年もはやお彼岸になり春の息吹を感じることもありますが、まだ今でも最低気温は氷点下以下です。一昨日の夕方から雪が降り始め、昨日の春分の日の朝には、木々の枝や地面は真っ白になりました。それでも陽光はすでに春のもので、午後には、雪はほとんど消えておりました。

 2月から3月初めにかけて、インフルエンザが流行り、多くの人々が咳をしておりました。私もほとんど一月間体調がすぐれませんでした。2月9日、10日の涅槃会接心は寝込んでいて休ませてもらいました。11日の涅槃会の法話と法要はなんとか務めることができましたが、そのあとも咳と鼻水が続きました。

 20日テキサスのオースティン市の禅センターに行きました。21日から25日まで眼蔵会があったのでした。今回は、あちらの希望で「正法眼蔵一顆明珠」を講本にしました。以前にも2月にオースティンに行ったことがあるのですが、このあたりの4月ぐらいの気候でした。今回も暖かいだろうと、半袖のシャツなども準備して行きましたが、案に相違して眼蔵会の最後の日まで毎日のように雨が降り続き、肌寒い日が続きました。あちらでも、インフルエンザが流行っていて、多くの人が咳をしていました。多分そのせいだろうと思いますが、26日にブルーミントンに帰ってまた寝込み、1週間ほど休みました。3月1日からの3日間の接心も休まなければなりませんでした。2ヶ月続けて病気で接心を休んだのは、アメリカに来て初めてだろうと思います。

 これまでは、少々咳が出たり、鼻水が出ても、我慢してごまかしながら、するべきことをしている間にいつの間にか治っていたのですが、今回は、何をするエネルギーも出てきませんでした。後3ヶ月ほどで70歳になりますが、60歳代と70歳代の違いをすでに予感し始めています。60歳を少し超えた頃、「老耄の弁道」という言葉を使いましたが、今と比べると、老耄でもなんでもなかったのだと思い直しています。

 お陰様で、副住職の法光さんが中心になって私が少しくらい休んでも三心寺の接心や、日曜参禅会、平常の坐禅、その他の行持を続けてくれています。これから休まなければならないことも増えてくることと思います。後5年間、多くの人たちに支えてもらって、引退までなんとか務めたいと願っております。

 今年の6月に三心寺創立15周年を迎えます。今回は5月の眼蔵会を記念の行事にすることになりました。特に、シカゴに禅センターを持つ太源・レイトン師とセントポールの禅センターの前の主任教師の白蓮・レギアー師に講師として来ていただきます。私を含めて3人で分担して、「正法眼蔵行仏威儀」を講本として参究します。最終日には一般にも公開してパネル・ディスカッションをいたします。その準備を始めております。

 また、15周年の記念として、私と私の弟子たち10人ほどの文集を作成します。タイトルはBodhisattva Vow: Continuing Dogen Zenji’s Work in the 21st Centuryとしました。私は序文に、初期曹洞宗道元禅師その他の祖師がたの発願文を紹介し、また内山老師の誓願について書きました。200頁程の結構本格的な本になりそうです。三心寺は日本ではほとんど知られていない中西部の小さな町にある、ほんとに小さなお寺ですが、そのネットワークはかなり広がっております。アメリカ合衆国各地、南アメリカ、ヨーロッパで活動している人々には、大きな禅センターを作る必要はないから、それぞれの場で一隅を照らすようにと願っております。

 私の日本語の本が刊行されることになりました。それを機縁として、7月に日本に行き、名古屋の尼僧堂での緑蔭禅のつどい、「禅といま」の夏期大学、藤田一照さんとカルチャーセンターなどでお話をさせていただくことになりました。日本語で公開の場で話をすることはアメリカに来てからほとんどありませんので、どうなることか心配しております。

 3月22日

 奥村正博 九拝

三心通信2018年1月

三心通信 2018年1月

 

昨年の暮れからずっと続いていた厳しい寒波は一度収まり、一度は雨が降るほどに暖かくなりました。その後また最高気温が0℃以上にはならない冷凍庫状態が1週間ほど続きました。2、3日前からからまた暖かくなり、雪はとけて、芝生が見えました。ことしは、温かい日々と寒い日々が交互にくるようです。

 元旦には、例年のように日本の皆様に年頭のご挨拶の手紙を書きました。120通ほどですが、発送するには、プリントし、宛名を書き、封筒に詰め、切手を貼って郵便局に持っていくまでには3日ほどかかります。息子の正樹が11月に日本から帰って来ました。娘の葉子もボーイフレンドと一緒に年末に帰って来ました。久しぶりに家族揃ってのお正月になりました。

 11日から14日まで3日間の接心がありました。今回は、州外から来た4人の人たちと、三心寺の僧侶3人が坐りました。少人数で静かな接心で新しい年を始めることができました。

1969年1月の接心が私の安泰寺での最初の接心でした。来年で50年になります。過去を振り返ると、実に様々な生活風景の中で、接心を続けて来たことに驚きます。20歳代の安泰寺やバレー禅堂での修行生活。30歳代はじめ、清泰庵でトムさんや横井さんといつも3人で坐っていた接心。30歳代の後半から40歳代のはじめ、京都曹洞禅センターの活動を始めて、宇治田原の禅定寺や園部の昌林寺で坐らせていただいた接心。1993年にミネアポリスに移り、ミネアポリスの願生寺や宝鏡寺での接心。1997年から2010年まで、曹洞宗国際センターの活動としての全米各地の禅センターを訪問しての接心。2003年から現在までの三心寺での接心。私の年齢に応じ、家族の状況に応じ、働きの場に応じて様々な風景が移り変わっていきましたが、そのどこにも、坐ってしまえば変わらない、接心がありました。

 昨年3月に得度した高橋慈正さんの努力で、20年以上前にできた、私の唯一の日本語での著書、「般若心経を語る:渾身口に似て虚空に掛かる」が今年、港の人という出版社から再刊されることになりました。園部の晶林寺にいた頃にカトリックの人たちの東西の会というグループのために話したものをテープ起こししていただいて、私が加筆訂正したものです。東西の会の人たちが古い布を持ち寄って表紙を作り、製本もハンドメイドで和本のように綴じてていただいたものです。確か100部できたのですが、私が何部かいただいて友人、知人にお送りしたほかは、カトリックの教会で頒布していただいたので、一般の書店には全く出ませんでした。

 最初は、元の本のまま再刊してもらえればいいと思っていたのですが、私がどういう人間で、どのような道を歩んで来たのかを書いた方がいい本になるということで、「只管打坐の道」と題して高校生のとき初めて内山老師のご著書を読んでから、老師の教えとして学んだこと、安泰寺での老師の指導のもとでの修行、その後の私のアメリカおよび日本での歩のみを「只管打坐の道」と題して書かせていただきました。その文章を書くために、子供の頃から現在に至る70年近い私の来し方を色々と思い出し、考える機会がありました。その結果、今私に言えることは、私の今回の人生はたった一炷の坐禅だったなということです。

 

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昨日、首座法戦式がありました。イタリア人の弟子、行悦が首座を勤めました。普通、首座法戦式は夏季安居の最中に行うのですが、今回は特別です。秋葉総監老師と総監部書記の宮崎良孝師にはご多忙な中、この法戦式に出席するためだけにカリフォルニアから1泊でおいでいただきました。申し訳なく、有難く存じました。

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1月21日

 

奥村正博 九拝

 

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三心通信 2017年12月

 

2017年も残すところ3日となりました。ここ数日、寒い日が続いています。ブルーミントンの今朝の気温はマイナス7度Cです。最低気温がマイナス8度Cで、最高気温がマイナス5度Cですので、一日中気温がほとんど変わらないようです。先日、ここよりもっと寒いミネソタ州では、マイナス38度Fになり、1924年以来の最低気温を記録したとのことです。これくらいの低い気温になると、摂氏と華氏はあまり違わないとのことです。要するにマイナス40度Cくらいになったということです。私がミネアポリスに住んでいた間にも、マイナス30度くらいになったことがありましたが、低温には慣れている町でも学校や公共施設は閉鎖になりました。この冬は寒くなりそうです。

 

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11月27日に曹洞宗宗務庁で行われた宗典翻訳事業の英訳「伝光録」の完成と曹洞宗国際センター設立20周年を記念してのシンポジウムに参加するために東京に行きました。5人の発表者の一人だったのですが、私以外は皆さん高名な学者さんたちで大きな翻訳事業に携わっておられる方ばかりでした。私のように個人で細々と翻訳をしているものが出る幕ではないと、余り気乗りがしなかったのですが、国際センターの20周年でもあるので、お断りすることができませんでした。それでも駒澤大学で英語を教えていただいた小笠原隆元先生、国際センターで仕事をしていた頃にお世話になった何人かの方々、旧友や知人に会うことができてシンポジウムの間以外は楽しい時間を過ごさせていただきました。

 

そのあと、大学時代の友人2人と広島に行き、車椅子で生活している学生の頃からの友人のお寺を訪ねました。そのうちの一人とは30年ぶりくらいに会うのでしたが、昔に帰ったような気がしました。そのあと、尾張一宮、京都、大阪で安泰寺のころに一緒だった人たちを訪ねたり、今年亡くなった友人の御墓参りをしたりしました。今回もまた駆け足旅行で、毎日新幹線で移動し、違う場所で眠るということになりました。限られた時間の中でなるべく多くの人たちと会いたいのでそうならざるを得ないのですが、大きな荷物を引きずって旅行するのは、ぼちぼち限界だという感じがしました。

 

広島の友人から、大中寺時代の内山老師が写っている写真をいただきました。近くのお寺の先代か先先代の方が大中寺で修行されたとのことでした。勿論コピーをしたものですが、老師は1941年に29歳で沢木老師から大中寺に於いて得度を受けられましたので、30歳になられたばかりの頃の写真です。

 

また京都の鷹峰道雄さんの泉谷寺を訪問させていただいた折、思いがけなく内山老師のご揮毫をいただきました。一つは「水鳥樹林念仏念法念僧」と書かれたもので表装をしていただいて、掛け軸になっているものです。もう一つは、浜坂の安泰寺の本堂の前の「帰命」の額のために書かれたもので、使われなかったもののようです。老師は揮毫を頼まれてもいつも断っておられたので、このようなものがあることさえ私は全く知りませんでした。ですので驚くとともに、道雄さんのご法愛に深く感謝いたしました。三心寺に帰って、私の書斎に内山老師の折り紙の観音様、沢木老師、内山老師、浄心さんのご遺影をお祀りしてある壇の上に掛けさせていただき、毎朝坐禅の後に三拝をしております。

 

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1996年に出来た私の唯一の日本語の本「般若心経を語る」が再刊されることになりました。カトリックの信者の人たちが自主的に仏教とキリスト教を勉強するために結成された東西の会の集まりで私が「般若心経」について話したもののテープ起こしをしていただいたものに加筆訂正をし、会員の方々が手作りで製本されたものです。今年、三心寺で得度を受けた高橋慈正さんの努力で港の人という出版社から出していただくことになりました。私は日本では全く知られておりませんので、自己紹介を兼ねて、これまでの歩みを書いたものを追加した方がよりいということで、日本から帰ってから「只管打坐の道」という題で書き始め、第一稿を書きおわったところです。

 

そのあと、今年の1月まで3年ほどかかって翻訳した「正法眼蔵随聞記」の20ページ足らずのイントロダクションを英語で書きました。1988年に面山本の英訳を京都曹洞禅センターから出し、今でも宗務庁の教化資料として出ていますが、今回は長円寺本を底本として訳したものです。弟子の一人の道樹さんが現在、エディットしてくれています。アメリカの出版社から出るように願っております。

 

これまで何年か、三心寺の電子ニュースレターに道元禅師の和歌の翻訳と短い解説を連載してきましたが、今月で「道元禅師和歌集」に収録されている和歌を完了しました。これも弟子の浄瑩がエディットしてくれています。いずれ本にしたいと考えております。

 

来年からは、面山さんが「永平広録」から選ばれた道元禅師の漢詩を集めた「句中玄」の中の漢詩を毎月紹介する予定です。

 

12月29日

 

奥村正博 九拝

 

三心通信 2017年10月、11月

三心通信 2017年10月、11月

 

例年通り、10月6日から8日まで、ペンシルバニア州ピッツバーグの在家の禅グループ、スティル・ポイント サンガが主催する週末の接心がありました。今年もオハイオ州との州境にあるカトリックのリトリート・センターで行われました。このグループとの接心は1995年、私がまだミネソタ禅センターで教えていた頃からですので、20年以上続いています。在家得度式も2回行いました。最初に来た時にいた人たちがまだ2、3人続けて参加してくれています。この辺りは禅や仏教に関しては後進地域なのですが、小さなグループで、長年静かに坐り続けている人たちがいます。私の願いは、大きな禅センターをつくることではなく、そのような地道に坐り続けている人たちを支援することです。ただ気になるのは、参加者の高齢化です。ほとんどが、50代以上の人たちです。30代・40代の人たちはちらほら、20代の人はほとんどいないような状態です。

 今回も、私が訳した「道元禅師和歌集」から3首について話しました。和歌を使って話すのは、道元禅師の教えの様々な方面を「正法眼蔵」や「永平広録」ほどには難しくない言葉で表現されていますので、いい方法だと考えています。

 この接心から帰ると、11月の眼蔵会の準備に追われました。今回は拙訳の「正法眼蔵葛藤」を講本にいたしました。「葛藤」という言葉は中国語や日本語の常用語としても、あるいは仏教用語、禅語としても否定的な意味でしか使われていません。

一般語としては、一人に人の中に互いに矛盾した二つあるいはそれ以上の願望があり、どちらとも決めかね、悩んでいる状態、あるいは家族や職場などでの対人関係で、絆があって離れられないけれども、常に対立しているような状態のなかでのおたがいの心理的状態、という意味で使われます。仏教語としては、愛結つまり煩悩に基づいた執着のことを指します。禅語としての独特の意味は、言語、概念、論理を使った思考、表現、対論などを否定的に指す場合に使われます。別の仏教語で言えば戯論や虚妄分別のことです。それら執着や概念的思考を断ち切って、自由になることが悟りだと言われます。

 しかし、「眼蔵葛藤」で道元禅師は「嗣法」という禅の伝統の中ではもっとも重要で肯定的な、師弟関係、兄弟弟子の関係をさして「葛藤」と呼ばれています。一般的には否定的な意味で使われる表現を肯定的に使うのは道元禅師のある意味では常套手段です。「空華」「画餅」「夢中説夢」などがその例ですが、巻名にはなっていなくても、同じような手法を使われているところはいくつもあります。読者に通常の常識的な概念的思考を断念させ、思いがけない世界に目を開かせるためなのでしょう。

 しかし、「葛藤」の場合は、嗣法ということについて、通常連想するような師資一体、一器の水を一器に移すような、ただただ親しい関係というだけではなく、否定的な意味での「葛藤」も裏面から透かして見えるようにしておられるのだと私には思えます。その例として、パーリのサミュッタ・ニカーヤ16、Kassapasamyuttaに含まれる、摩訶迦葉とアナンダの葛藤の物語を、「葛藤」の巻の最初の文、「釈迦牟尼仏正法眼蔵無上菩提を証伝せること、霊山会には迦葉大士のみなり。嫡嫡正証二十八世、菩提達磨尊者にいたる。」について話す時に紹介しました。

 それと、「葛藤」の巻の主題は、ダルマから法を継いだ4人の弟子たちが全て平等にダルマの仏法を継いだのであって、一般に理解されているように、皮肉骨髄の間に深浅の差別はないということなのですが、それでは、釈尊の法を継いだのは摩訶迦葉だけだとどうして言わなければならないのかという疑問も提出しました。釈尊初転法輪の時、まず陳如尊者が釈尊の教えを理解した時、英語訳ではthe pure, immaculate vision of the truth (清浄法眼)を得て阿羅漢になったと言われています。他の4人の比丘についても同じことが言われ、その時この世界に6人の阿羅漢が存在するようになったと言われています。最初期においては釈尊と弟子たちの間に、そして阿羅漢となった弟子たちの間に上下の区別は無かったようです。釈尊の入涅槃のあと、500人の阿羅漢があったと言われています。その人たちはみんな清浄法眼を得ていたはずです。道元禅師が「葛藤」の巻で主張されている論理を使えば、摩訶迦葉と他の阿羅漢との間にも差別は無かったはずです。なのに、道元禅師はどうして、釈尊の法を伝えたのは、摩訶迦葉だけで、ダルマの場合は4人の弟子が平等だと言われるのでしょうか?

 古い禅のテキストでも伝法を表現する時「清浄法眼」を得たといわれていたのが、「正法眼蔵」という表現にかえたのは9世紀にできた「宝林伝」からだと言われています。これは禅の伝燈を他の仏教諸宗の伝統よりも価値づけ、釈尊から伝法されたのは摩訶迦葉だけで、それを受け継いでいるのは禅宗だけだと主張するためだったように思えます。

 道元禅師がこの巻で、4人の弟子が深浅の差別のないダルマの法を平等に継いだのだといわれるのは、歴史的にダルマの門下でおこったことについていわれているだけではなく、道元禅師ご自身の弟子たちへのメッセージだと私には思えます。あるいはすでにご自分のサンガの中に、三代争論に至る不和合の萌芽を察知されていてのかもしれないと。

 「葛藤」の巻が1243年の7月7日に、興聖寺での最後の著作として書かれたことの意味も考えなければならないと思います。7月16日、越前に旅立たれる9日前です。7月15日に夏安居が円成した解制の翌日、17日の如浄禅師の忌日も待たずに興聖寺を離れられたのには、余程逼迫した事情があったような気がします。

 11月の眼蔵会は、5月と同じくTibetan Mongolian Buddhist Culture Centerの施設をお借りして行いました。参加者は約30名でした。三心寺では収容できない人数です。2018年は三心寺創立15周年ですので、それを記念して、特別な眼蔵会を予定しております。私以外に2人の講師をお呼びして、「眼蔵行仏威儀」を講本にそれぞれ3回ずつの講義をする予定です。

 11月27日に東京の宗務庁で催されるシンポジウムに発表者の一人として参加するために明後日、23日に東京に出発します。曹洞宗国際センターの20周年と曹洞宗の翻訳事業である「傳光録」英語訳完成を記念してのシンポジウムです。

 

11月21日

奥村正博 九拝